おわりに

 本書は,村瀬嘉代子先生の論文および講演記録と,村瀬先生の先輩,同僚,後輩となる諸先生の文章からなる。編者の一人として,ご多忙のなか,寄稿してくださった諸先生に心より,お礼申し上げる。長い歴史を経た神社仏閣が,さまざまな角度から放たれるライトによっていくらかその威容を明らかにするように,村瀬先生というきわめて捉えにくい存在が,諸先生のさまざまな角度からの文章によって,いくらか立体的に,そして多面的に見えてくるように思う。
 そもそも心理療法とは,いったいどこにあるものだろうか? 治療者の頭の中にしっかりと刻み込まれたものとしてあるものなのだろうか。本棚にぎっしりと並べられている書物や論文の中にあるものだろうか。面接室の中のクライエントとのやりとりの中にあるものだろうか。確かに技術としての心理療法はそうかもしれない。しかし,たとえば,面接室で個々のクライエントに自由な発言を求める治療者が,自分の研究室や教室に帰って,新人に自由な発言を禁止し,さらには家に帰って子どもたちの自由な発言を禁止していたとしたら,その治療者の心理療法はその治療者の頭の中にある治療技術ではあっても,治療者の生きる姿勢や態度とは無縁なものである。心理療法とは面接室の中で行うものなのだから,それでよいという考え方もあるであろう。しかし,本当にそうなのだろうか。武術と武道の違いや,戦術と戦略の違いを思い起こさせる。村瀬嘉代子先生の心理療法は,武道としての,そして戦略としての心理療法なのだと思う。だからこそ,面接室やプレイルームの中だけでなく,日々の生活のさまざまなところに顔をのぞかせ,臨床と日々の生活を貫くものとして存在する。
 何気ない挨拶の中に。お茶を飲みながらの雑談の中に。道をたずねられたときの答え方の中に。ゼミの若い学生さんから頂く手紙の中に。懇親会で若い人の質問に対する姿の中に。さりげなく飾られた花の中に……。普段の生き方と技術が一体となっている。村瀬嘉代子先生の心理療法とは,そういうものだと思う。
 それは,クライエントであれ,患者であれ,町を歩いている人であれ,人を人としてていねいに遇するという姿勢でもある。そこには,何かを生産するかしないか,役に立つか立たないか,稼げるか稼げないか,有名か無名か,というような現世的な価値判断を越えた,苦悩や困難を抱きながら生きる人への畏敬の念がある。だからこそ,クライエントだけでなく,さまざまな人にとって,村瀬先生との出会いは,しばしばその人が自身への新たな誇りを見つける端緒となる。
 村瀬先生の臨床は強靭でしなやかである。たとえば,優しさと厳しさという軸で言うと,人と場と時機に応じた,絶妙な優しさと厳しさの間の位置が選びとられる。ぼんやりと捉えておくこととくっきりさせること。ゆっくり考えることとフルスピードで考え抜くこと。気づいていても言わずに待つ時とここぞと明言する時と。有限な点としての瞬間と自身を超えた長い時間と。村瀬先生は無数の軸の間に,瞬時に自身を定位させる。それはクライエントにとって村瀬先生が異なって見えてくる体験でもある。
 村瀬先生は,どうも自身の半分を現世に,そしてもう半分は現世を超えたところにおいておられるような気がする。個としての自分と,個を超えた自分と言い換えてもよい。村瀬先生の臨床は,半分は自覚しながら,そして半分はあたかも成り行きに流されるかのように,新たな領域へと広がっていく。家庭裁判所の調査官として,カリフォルニア大学バークレイ校の留学生として,大正大学カウンセリング研究所の教員として,青年の居場所・フリースクールの先生として,自立援助ホームの助っ人として,養護施設の子どもの「村瀬?おばさん」として,重複聴覚障害者施設に関わる臨床心理士として,さまざまな出来事が起こり,半分は意図して,半分は意図を超えて,事態は意外な展開を遂げていく。
 しばしば臨床家は,自分の得意な領域で,すなわち自分の土俵で,そして自分の決め技で勝負しようとする。無理やりにでも自分の土俵に持ち込もうとする。それは,時には治療構造,治療の枠組みなどと呼ばれることさえあるが,相手を自分の土俵に入れようとすることに変わりはない。村瀬先生は,相手の土俵に入って勝負する。そして,その場が相手の土俵でもあり,村瀬先生の土俵でもあるという不思議な場に変化させるのである。
 それだけではない。村瀬先生は,絶えず自身の臨床をよりよいものへと進化,変容,発展させていき,留まるところがない。そのため村瀬先生の臨床を理解しようとして,これが村瀬先生の臨床ではないかと思ったとき,当の村瀬先生はずいぶん先を歩いていたりする。
 だから,本書は,一つの通過地点あるいは中間報告ではあっても,最終報告書ではないし,この「おわりに」も,決して本当の「おわりに」ではない。村瀬嘉代子先生にとって,「おわり」はいつも新たな始まりであり,それが村瀬先生の生きる姿勢なのだと思う。
 本書が,多くの人のこころにたずさわる人々にとって,新たな村瀬先生との出会いとなり,その臨床に寄与するものとなることをこころより願ってやまない。

青木省三