訳者あとがき

 ほぼ40年前,境界例の人々との転移・逆転移関係の渦の中で道に迷っていたわたくしに,師匠である西園昌久先生はM. Littleを読むようにすすめて下さった。彼女からわたくしは逆転移のポジティヴな意義を学ぶことができ,現在まで続く自分なりの視点を得た。その後,転移解釈の技法論にゆきづまっていたとき,西園先生はM. M. Gillの出たばかりの論文を示して下さった。
 月日がたち,わたくしの指導を求めて来られる方々の中には,転移・逆転移の世界を生きようとする志向をもった方々が多かった。類は友を呼ぶのであろう。
 その中の一人,溝口純二さんとM. LittleとM. M. Gillという,わたくしの歴史上の大切なお二人の著作を共訳することができた。今では溝口さんは心理臨床の業界のリーダーの一人であり,転移・逆転移という関係論の視点から後進の指導にあたっておられる。文化の伝承というテーマを自分自身の体験として味わうとき,重い感慨がある。
 本著はGi11の理論の著作である。しかし末尾の引用文献には自らのものが5篇しかなく,その中のいくつかは表題から察するに理論的著作でない。
 Gillは治療者である。治療の場を生きる者は言葉以前の体験を自らの心身に蓄積しており,そうした人が論をまとめようとすると,すっきりした構造になりにくい。常日頃,自己の心身内でくり広げられていた論争をぶちまけたようなものになる。
 Gill自身はこれでも言い足りないくやしさを噛みしめていたことが行間からくみ取れる。その分,訳業は難渋した。遠からず訳出する予定の第2巻実例集を参照してもらうことで,はじめて理解してもらえる論旨が多々あるであろう。訳者としての力不足の言い訳でもあるが……。

神田橋條治


 大学院を修了し,ロールシャッハ・テストを中心とした心理検査を実施していた私は,次第に心理療法に惹かれていった。その機会をはじめて与えられたとき,私はかなり意気込んで臨んだ。しかし回数を重ねていくにつれ,面接が非常に窮屈で不自由なものと感じられるようになった。患者から面接以外の関係を強く求められている感じがした。私が患者を刺激して,そうさせているようでもあったが,なにがどうなっているのかよくわからなかった。転移・逆転移と呼ばれていることが肝要だと思われた。
 数年後,神田橋先生に指導していただけることになったとき,私は最初の会で,ある症例を報告した。そのとき私は,「まだ1回しか会っていないのに,この人は,2回目に前回とまったく違う服装やお化粧をしてやって来た。誰だかわからないほどだった。これは転移であり,転移がこんなに早く生じるのは,重症ということだ」と述べた。それに対して神田橋先生は,「そう考えるのではない。この人が前回とまったく違う服装やお化粧でやって来たのは,それがこの人が身につけた,自分の好意を示す唯一の方法なんだ。それ以外の方法を知らない,可哀そうな姿なんだ」という主旨のことをおっしゃった。
 以後私は,転移関係をまず生きる,という方向を目指して歩んできた。道は平坦ではなかった。誰の転移なのか,誰の逆転移なのか,よくわからない関係の世界の中にさらに入り込んでいった。時を経て,関係の世界を,以前よりは楽に体験できるようになった。そのとき作られている関係を,患者と共に生きることができるようになった。しかし,このことを治療技法としてあまり考えてこなかった。十分に意識しておこなってこなかった。
 今回Gillを翻訳して,意識することの大切さを学んだ。「いつも意識すること」,「瞬間瞬間に新しく意識すること」が大切だと思った。このことは,矛眉するようだが,無意識を信頼することでもある。
 Gillは論客である。Freudを始めとして,多くの分析家の文献を引用しながら,自説を粘り強く説き起こしていく。転移分析の実際を,何とか言葉にして説得しようとする。その情熱と論理が凄かった。神田橋先生のご示唆がなければわからないところが多々あった。屁理屈屋を自認していた私など,可愛いものである。それがわかってホッとしているし,もっときちんと理屈を捏ねようと思う。
 転移の世界は豊穣な世界である。人と人とが結びつき,人といろいろなものとが結びつく世界である。それどころか,私にとっては,ものとものとさえも結びつく豊かな世界である。今そう思っている私は,かつてはまったくそうではなかった。神田橋先生のご指導をはじめて受けてから,やっとここまで来たのかな,とつくづく思っている。
 本書はGil1の主著である。転移に関する文献では必ず引用される古典である。この第1巻は理論家Gillが真骨頂を発揮した素晴らしい本である。そして臨床家Gillの治療者としての力量は,続いて訳出される第2巻に明らかである。読者にはぜひ両巻とも読んでいただきたい。読むことが自分の臨床技法を上達させる本というのはそうあるものではない。本書はそうした本である。

2006年1月 溝口純二