日本語版への序

 共著者であるフランク・ラクマンとジェームス・フォサーギ,そして私は,私たちの仕事が,ドイツ語,イタリア語,ロシア語に加えて,日本語に翻訳されることを喜ぶとともに光栄に感じている。私たちの背景は,初めは異なっていた。私自身はまったく古典的なフロイト派/自我心理学から出発しており,ラクマンは私と類似し,フォサーギは古典的な訓練の前にユング派の分析や関心から出発していた。しかし,その後,私たちはみな,ハインツ・コフート(Kohut, H)による自己心理学における発見と理論に感銘を受けるようになった。私たちの臨床的,理論的アプローチの基本は自己の心理学にあるのだが,私たちは各々,自分たちの専門領域をコフートの教えにもち込むということをしており,それによって,動機づけシステム理論Motivaitonal System Theoryと呼ばれる方向に,理論を拡張していくことになったのである。本質的に,私たちはみな,発達論者developmentalistsであり,とりわけ乳幼児研究に関心をもつ者(リヒテンバーグとラクマン)と,夢に関心をもつ者(フォサーギ)ということになる。しかし,本書の読者にとっては,私たちが,さまざまな情緒的な問題を抱えた患者の治療に携わる,フルタイムの臨床家と思ってもらうのが,一番良いだろう。このように,私たちにとって,理論というものは,いかにうまく自分たちの臨床経験と相互関係をもつかという点から,常に心の中でテストされているのである。したがって,患者を治療するのに役立つ,最適な臨床手段を提供するように思われる理論に,私たちは価値を見出そうとする。私たちが目指しているのは,理論と信奉する技法との間の密接な相互関係なのである。
 動機づけシステム理論の展開を理解するには,1980年代の初めに遡る必要がある。当時の米国では,自我心理学が優勢な理論であり,それへの挑戦が,米国ではコフートやMahlerによってなされ,英国ではKlein,Winnicott,そしてFairbairnによってなされていた。今述べたすべての理論に対する挑戦が,より静かに,しかし力強さではひけをとらず,乳幼児研究者(Sander,Ainsworth,Trevarthen,Brazelton,Spitz,Papousek,Stechler,そしてとくにStern)や感情の研究者(Emde,Tomkins,Ekman,そしてIzard)といった異なるグループから生じてきた。『精神分析と乳幼児研究Psychoanalysis and Infant Research』という本の中で,私はこの成長しつつある諸研究を広範にわたって概観し,多くの精神分析的「真実」が,調査研究の知見とはまったく一致していないことを示した。私は,Sternにならって,精神分析者は乳幼児を大人からの分析的な再構成から,つまり「トップダウンから」生じるものとして見ることができるのか,また見るべきなのだろうか,という疑問を抱いたのだった。むしろ,日常場面や実験研究における乳幼児観察は,「ボトムアップから」乳幼児の能力と,基本的な親‐乳幼児の関係性の物語を示している。フロイトの考えとは逆に,乳幼児は,生まれた時から感情に導かれて関係性を求めるし,刺激に反応するのである。精神分析的な発達理論が無効となったことを示しつつ,私は,観察と調査研究に調和した理論の定式化を試みようと考えた。理論形成の基礎を,構造に置くのではなく,システムという概念に置くことにした。生の体験lived experienceとは,力動的なものであり,その意味でシステムなのである。自己組織化し,自己安定化するシステムが存在するのは,恒常的で弁証法的な緊張の中なのであり,また,そうしたシステムとは,階層的な再組織化に常に開かれている。自己システムとは,養育者‐乳幼児という間主観的なシステムの中に埋め込まれているのである。(自己ならびに間主観的な)システムという概念に基づいて作業を行うにつれて,私が心に描くようになったのは,どのように動機づけを分類するのが,私たちの乳幼児に関する知識に適合し,また同様に大人にもうまく応用できるのか,ということである。この目標を成し遂げるために,イド,自我,超自我といった心的構造や,構造としての自己といった正統派の概念を,私は捨てることにした。その代わりに,体験に基づいた概念や,自己感a sense of self,他者感a sense of others,そしてとくに,他者と共にある自己感a sense of self with othersへと,移行したのであった。両親,同胞,教師,治療者といった―他者と共にある自己感という概念は,生の体験がもつ原理文脈を思い描くための,現代的な手段なのである。新生児とその養育者に立ち戻ってみると,24時間を通して,彼らはどのような欲求について合図を送っているのだろうか? 私が結論づけたのは,生理的な要請(栄養,排泄,体温,触覚および固有受容的活動proprioceptive activity【訳注:固有受容性感覚器とは筋肉,靱帯,関節内にある感覚器】,睡眠,そして全般的な健康)を調節しようとする欲求,安心できる個人的な愛着を形成する(後には集団に協同参加しようとする)欲求,探索と好みを主張することへの欲求,敵対行動と/や引きこもりによって嫌悪的に反応したい欲求,身体感覚的な喜び(後には性的な興奮)への欲求,という5つの欲求であった。欲求が引き起こされたり,反応を返されたりする際に,各動機づけシステムには特定の感情が含まれており,空腹に関しては,苦痛‐安心‐満腹といった感情が含まれ,愛着には,安全と親密さの感覚が含まれ,探索と主張には,興味や効力感や有能感が含まれ,敵対行動には怒りが,引きこもりには恐れ・悲しみ・恥・屈辱・困惑・罪悪感が含まれ,また,身体感覚的な快感の喚起とその静まりがあり,さらには性的な高喚起・オルガスム体験・弛緩が含まれているのである。
 動機づけシステム理論が用いる,調節regulationと状態stateという概念は,乳幼児研究から借りたものである。乳幼児研究ならびに成人の分析の両方において,私たちは,自己調節の組み合わせと,間主観的調節の組み合わせを観察することができる。状態は,空腹状態や探索で興味が高まった状態というように,刻一刻の動機づけを明確にするのを助けてくれる。分析中に,私たちがとくに注意しているのは,認知が逆に影響を受けたり,自省が失われてしまうことになる,激怒の状態やパニックの状態といった,高まった感情状態の影響である。感情状態については,本書で検討されることになる。
 『精神分析と動機づけPsychoanalysis and Motivation』という本で,私が指摘したひとつの側面は,各システムで記述している動機づけが,他の精神分析のグループの理論においても中心的な動機づけとされている,ということである。つまり,私が提示しているのは,動機づけに関する新しい発見ということではなく,むしろ,人間の創始性initiativesがもつすべての多様性と,それらの優位性の恒常的な変化とを説明する,包括的で力動的な方法の提示ということなのである。私が指摘した別の側面は,他の理論との違いであり,それは個人の動機づけの発達と,自己と他者という長い人生の文脈からもたらされる生態的基盤ecological matrixとを,統合しようと試みていることである。
 『精神分析と動機づけ』では,私が提唱した5つのシステムについての,理論的そして調査研究的な裏づけが,詳細に,量的にも多く述べられている。その後,私の関心はこの理論を臨床上の諸問題に適用することへと移ったが,それはこれらのシステムと自己心理学の中心的な基本原理とを統合することから生じた。とくに私にとって幸運だったのは,この計画に,各々が第一人者であるフランク・ラクマンとジェームス・フォサーギが加わったことである。3人の共著で書かれたのが『自己と動機づけシステム:精神分析的技法論に向けてSelf and Motivational Systems: Toward a Theory of Psychoanalytic Technique』である。私たちのアプローチは,分析上の刻一刻のやり取りを強調しており,また,そのやり取りの中で,どの動機づけシステムが優位かを認識するという点を強調している。分析関係の中心にあるのは,活性化vitalizationとなる自己対象体験が,分析者からもたらされるだろう,という被分析者の予期であり,またその対には,被分析者との作業から,効力感の自己対象体験がもたらされるだろう,という分析者側の予期がある。無意識の精神機能,葛藤,欠損,防衛,解釈,価値観,そして道徳性が,臨床場面におけるやり取りの中でどのように表れてくるのかを,私たちは考察した。また,概念的には厳密で,臨床的には柔軟な技法論の輪郭を示した。コフートに従いながら,私たちが思い描いた分析的な介入とは,共有された探求inquiryへの雰囲気と,発見の喜びを伴うような介入なのである。
 本書『自己心理学の臨床と技法―臨床場面におけるやり取り―』は,私たちのプロジェクトの論理的な継続であった。私たちが展開した12の技法を例示するのに十分なほど,本書では,単一の事例を細部にわたるまで提示できた。そして,多くの技法に関する描写とは異なり,私たちが勧めるアプローチを言い表す10の個別の原則を提示するのに,広範囲な臨床経験を用いることができるのである。私たちは,それらの原則が,感情,転移,そして夢に関する理論と,それらの技法的な取り扱いとを根本から再検討するように導き,また,治療作用thrapeutic actionの様式に関する理解に導く,と考えている。

2004年5月 ジョゼフ・D・リヒテンバーグ