はじめに

 本書は,統合失調症の精神療法や予防に関する文章を集めたものです。精神療法の章は,統合失調症の心理教育・認知療法の内容や実践例の紹介が主となっていますが,統合失調症の精神療法の簡単なレビューや薬物療法との関連についての文章も含まれています。予防と関連のある章には,統合失調症の1次・2次予防や遺伝に関するレビューと,一般者を対象とする統合失調症の疾患教育用教材が所載されています。また,統合失調症の代表的な症状である幻覚妄想を疑似体験できる日本版バーチャルハルシネーションのCD-ROM版と解説パンフレットを付録としています。筆者は,本書が統合失調症の精神療法や予防に関心をお持ちの精神科のスタッフだけでなく,統合失調症の当事者やご家族の皆さん,医学・心理・薬学・福祉領域の学生諸氏,統合失調症に関心をお寄せの一般の方々にも参考にしていただけるところがあるのではないかと期待をしています。

 精神科医になって以来,筆者は一貫して統合失調症や境界性人格障害の精神療法に関心を抱いてきましたが,これには筆者にとっての精神療法の師匠(神田橋條治先生,故・宮内勝先生)の影響が大きかったと感じています。筆者の修行時代に,お二人の先生が異なる立場(力動精神医学,生活臨床)から統合失調症や境界性人格障害の精神療法の独創的な臨床研究を進めておられる姿を身近に拝見する機会を得て,自らの臨床研究のテーマの一つが自然に決まっていったようです。
 加えて,考えるところがあり医者になってから7年目に国内留学と自称して2年間内科・救命救急センターで働き身体医学を学ぶ機会を得ましたが,その経験も精神療法への関心を高める契機となりました。東京下町の基幹病院の極めて多忙な臨床現場で,内科医が大変熱心に,しかも創意工夫を加えて疾患教育を実践しており,それに応える形で当初は病識が乏しかった内科患者が変貌していく様子が筆者の目に大変新鮮に映ったのです。診察室における情報提供の量と質の双方が,精神科の臨床現場と格段の差がある事実を痛感して,筆者の問題意識が刺激されました。加えて,内科の疾患教育では客観的なデータ(例:血糖値,心電図所見,レントゲン像)が無類の説得力を発揮しますが,多くの場合に客観的なデータがないまま疾患教育を行わなくてはならない精神疾患ではどのような情報提供が可能かということが,自分の関心事となりました。

 1990年代初め頃から以上のようなスタンスで臨床に従事し,90年代半ばから少しずつ本書に掲載されている文章などを発表してきました。発表を始めた10年前を振り返ると,本書のテーマである「統合失調症の心理教育,認知療法,予防」が当時のわが国の学会や学術雑誌で議論されることは稀であり,これらのテーマがある程度市民権を得つつある現状とは隔世の感があります。この間,正統的な精神医学の視点からすると,やや突飛で異端の感のある文章を恐る恐る書いてきましたが,筆者の中には「このような地味な仕事も必要だし,こうした視点が乏しかった従来の正統的な精神医学・精神医療のウイークポイントに,自分なりの処方箋を出していこう」という虚仮の一心がありました。本書を刊行するにあたって,ここまで細々と臨床研究を続けてきた筆者を励まして下さった方々への感謝を改めて実感しています。

 先にも触れましたように,筆者に精神療法を基礎から教えて下さり統合失調症の精神療法というテーマに目を向けて下さった神田橋條治先生と故・宮内勝先生への心からの御礼を記させていただきます。お二人は折にふれて筆者の仕事へのコメントを下さり,それが筆者の指針となってきました。真に傑出した独創的な臨床医・研究者・教育者であるお二人との出会いがなかったら,筆者が本書を書く機会はなかったと思います。
 また,本書に掲載したいくつかの論文で共著者になり転載を許可して下さった諸先生に御礼を記します。特に,筆者をさまざまな面でご指導下さってきた岡崎祐士先生(三重大学医学部精神神経科学教室教授),吉川武彦先生(国立精神・神経センター精神保健研究所名誉所長),亀山知道先生(東京逓信病院精神科部長)に深謝申し上げます。加えて,筆者の心理教育・認知療法に理解を示して統合失調症の心理教育の教材を無償で頒布し,日本版バーチャルハルシネーションのCD-ROMと解説パンフレットを本書の付録につけることを認めて下さったヤンセンファーマに感謝を申し上げます。
 さらに,筆者に統合失調症の世界を教えて下さった多くの患者諸氏と,いつも筆者を暖かく支えてくれている筆者の家族に満腔の感謝を記します。
……(後略)

2006年 元旦  原田誠一