まえがき

はじめに
 これがセッションのはじめにであれば,前もっていつもの場所をいつも通りに,できるだけ快適なエアーコンディショニングに気を配りながら用意して,待つ。そこに患者が,あるいはトレーニーたちが入ってきて,私は「では時間ですので。始めましょう」と告げるのだけれども,本の最初をどう始めたらよいのか戸惑うばかりだ。
 ある機会に,自身が医者になって以来書いたものを自家出版した。内容は専門論文に限らず,山に登った話や犬との生活,友人との別れをめぐるエッセイなどもあって,身近かな人にだけ配った。それがプロの編集者の目に触れる幸運を得て,勧められて本書の出版が決まった。精神分析的個人精神療法と精神分析的視点に立つ集団精神療法の,いずれも臨床経験報告が中心である。そういうわけでそもそもあらかじめ体系的に整えたものではなくむしろ幾分とも回顧的傾向のある企画だが,臨床家として実践した流れは多分なぞれたと思う。そこで以下に,あのときあそこで,こんな風に書いたとふり返る格好で,すべてとはいかないまでも本書の各章について説明を試みたい。
 ただしお断りしておきたいことがある。まず,疾患名Schizophrenieの日本語訳は1937年以来の「精神分裂病」に代わって2002年8月から「統合失調症」とすると日本精神神経学会で決めた。私が受け持つ患者のうち数人は,これが医者たちによる一方的な決定に過ぎない,つまり自分たちは永年かけて分裂病という病名を受け入れる努力をしてきたのに今さらなんなのだと不満を表明した。とは言え,この日本語訳の変更には少なからぬメリットもあったと私は思う。ただし本書においては「精神分裂病」の訳語を用いた方が文脈上通じの良い箇所に限り,論文を書いた当時の表記に従ってそのままにした。次に,「精神病院」は日本精神科病院協会の提唱に始まり現在では法律用語も含めて「精神科病院」と表記するので,特に必要な箇所を除いて,当時の表現をその表記に変更した。またFairbairnについては「新版精神医学事典」(弘文堂,1993)に準じてフェアベーンと表記した。他方ちょっと勝手だったが,各著作の時期に関わりなく,本書では「スーパーヴィジョン」「ヴァイザー」「ヴァイジー」の表記に統一させてもらった。
 なお論文によっては初出時のタイトルを本書において改題した。そもそも元のタイトルを不適当だと思ったことはこれまでになかったと記憶するが,本書の編集上は変更が相応しいと考えたものである。改題した際はその旨を最初のページの脚注に付記した。

 私が精神科医になりたての頃にふたつの印象的な出来事があった。ひとつは朝日新聞に載った「ルポ・精神病棟」という連載記事(1970年3月)である。このキャンペーンは,当時の日本精神神経学会理事会の「精神病院に多発する不祥事件に関連し全会員に訴える」という,精神医療の質を改善しようという呼びかけに端を発したものだった。しかし私(たち)にとったら臨床家としての出発点から,精神科病院で働くこと自体に孕む負の要素の直面化を受け,同時に精神医療状況をより良くするという課題を与えられたような体験であった。もうひとつは英国での「反精神医学運動」の紹介で,その旗手とされたのがCooper, D. たちであり,またLaing, R. D. だった。ただし私の見解では,Laingがスキゾイド論を語る精神分析家としてではなくむしろ反体制的活動家のひとりとして紹介されがちな当時の精神医療状況こそ,数年来続いたわが国での,あるいは同時に世界の,混沌を改めて示していたと思う。いずれにせよ,1960年代後半のインターン闘争,大学闘争,各種学会闘争,また上述のような出来事が続いた一種混乱の時代を新人医師として過ごしたという事実こそ,やがて私と周辺の者たちの多くが精神療法の世界に足を踏み入れていく要因のひとつになったのではないだろうか。私自身もこうした諸状況の許で精神療法家の道を歩み始めたのだった。
 私たち「火曜グループ」と呼ばれた慶大精神科心理研究室で学んだ数人のレギュラーメンバーと,そのときどきに参加された精神科医やクリニカル・サイコロジストたちは,故小此木啓吾先生のご指導の下に英国対象関係論から学び始める機会を得た。1970年代後半のことである。たとえば後のKlein, M. 著「分裂機制についての覚書」(『メラニー・クライン著作集』,誠信書房,1985)共訳もこの頃の仕事だが,こういった環境下でとりわけ私の臨床の方向決定に影響したのは,いくつもの偶然の重なりの中で,Fairbairn, W. R. D. を紹介する役をいただいたことだと思う。これは『現代のエスプリ』への抄訳発表(1977)を皮切りにその後複数の解説記事(1983,1991,他)を経て「フェアベーンの考え方とその影響」(1995,本書第2章[以後「本書」と断らない])に至る。
 第1章「ひきこもりと抵抗」の背景には,上述した時代状況と共に,Fairbairnに触れるうちに私の内面でシンパセティックになったスキゾイドの世界があったと思う。そこから発してやがて私は,外から見ただけでは必ずしも明確ではない内的ひきこもりをめぐり,彼らを理解する上ではむしろ内的ひきこもりへの治療者の感性が大事だと主張するようになる(第3章「ひきこもり」)。
 出版関係の友人に誘ってもらい,十分な自信はないものの,なんだか熱い思いだけはあって引き受けた執筆が「ロナルド・D・レイン」(エッセイ・1)だった。当時は自分がやがて精神療法家を目指す以上やたらに名前が知られてはいけないというような気持ちも働いて,結局この記事は急ごしらえのペンネームで書いた。こうしてLaingについて書いた頃に比べたら,第4章「精神分析的個人精神療法の始め方・構造化」を依頼されて執筆した頃には,もはや筆者(つまり私)には内的な不安も減ってずいぶんとふてぶてしい態度に変わったように,読み直して感じる。けれども自分が精神療法家として主張する固有さを何とか表現したいという試みにおける頑なさ(あるいは孤立感と言ってもよい,最初は熱い思いだった)は,ふたつの作品の間に20年を経てもなお共通して窺われる,書き手がその背後に抱いていた感情のように思う。この頑なさに対して拒みたい気持ちが湧くからだろうが,読み手によって難解だと評される所以だろう。
 第5章「スーパーヴィジョンの終結をめぐって」は,精神療法家として経験しながらそれまで表現しなかった領域に改めて触れる機会を雑誌『精神療法』の特集で与えられて記した。結局,治療者と患者,またスーパーヴァイザーとスーパーヴァイジーとの間にある,相互的な関係をめぐって改めて考察できたと思うし,合わせて実は私がそれまで受けたスーパーヴィジョンへの感謝の気持ちを論文に潜ませて書けて,ありがたかった。つまり治療者としての成長が,患者やその家族から学び,同僚から学び,聴衆やヴァイジーから学び返し,チームの中で学んだところから得られるのは言うまでもない。けれどもそういった臨床から学ぶこと自体をもっとも基本で教わったのはスーパーヴィジョンにおいてだった。
 以上のような,個人精神療法に関連して得たさまざまな「準備」の後に集団精神療法の実践に進んだが,これらをつなぐ体験を述べている意味から,講演記録「サイコセラピーと集団精神療法」(第6章)を,個人精神療法領域の論文を集めた第1部の最後に加えた。

 15年過ごした東京都下の精神科病院を辞し慶応の助手になった翌1987年の秋,日本精神分析学会大会での発表「看護スタッフへの教育をめぐって―力動精神医学の観点から―」を下敷きに,弟子たちで編んだ小此木先生の還暦を祝う記念論文集『治療構造論』(岩崎学術出版社刊)に載せたのが第7章「アソビのある容れ物としての病棟―精神科病院における治療構造化過程―」である。この論文はついで私が移った土地,群馬県での臨床にしっかり定着していく内的出発点にもなった著作だが,基になったはずの学会発表原稿紛失というアクシデントのために改めて書き下ろさざるを得ず,かなり苦労したのを思い出す。だが,古いものを失くしてまったく新しく書き直さないとならない作業には,当時の私の再適応に相応しい面もあったかもしれない。
 看護教育というテーマで臨床活動をまとめようとし始めると,実は医師である私が「教育する」のではなく,まさに「チームとしての臨床」「チームとしてのコラボレーション」それ自体なのだと気づき,教えられる過程を辿った。その過程で極めて大切なのはグループという認識だったが,そういったことはずっと後になってわかったのだった。とりわけこの事情を,病棟をどうやって精神療法的雰囲気にもっていくかという動機に焦点をあてて第12章「入院病棟における集団精神療法的アプローチ」に書いた。「個人」精神療法家の私と,「集団」精神療法モデルを使う臨床活動の,病棟での対比を描く結果になった。
 これに似通った臨床体験と言ったらよい。病院あるいは臨床現場をシステムとして捉える観点も学んで意義があった。それは自身の若いときの「失敗」をやがて逆説的に生かせるようになった経験として,第11章「ぼくたちの失敗・考」執筆のチャンスに記した。さらに,ときにかつての私と同様な過ちを犯しがちな若者たちに会って懐かしい気分を味わうが,彼らに送るエールの意味から教科書執筆の際にも触れた(第8章「システムとしての病院」)。
 またグループという捉え方に慣れてくると,実は家族は紛れもなくグループだった。この観点にもっと早くに気づけたら家族療法により熱心になれたかもしれない。今はしっかりした家族療法家に入ってもらったチーム作りを是非目指したいものだと考えている。自身は現場で直に感じるところを述べ(第9章),初心者としての失敗について学会発表を試みたり(日本家族研究・家族療法学会第10回大会,1993),さらに初心者でなければ書けないようなところを乞われて原稿を送ったが,残念なことにその共著は未刊に終わった。しかし今回印刷されて運が良かった(第10章「夫婦療法覚書」)。

 1987年10月,国際集団精神療法学会第1回環太平洋会議への偶然の出席こそ,私が集団精神療法に近づく直接のきっかけとなった。医局の廊下で開催を告げるポスターをたまたま見かけたからだった。ちなみにこの機会に精神分析セミナー(東京)がDr. Ramon Ganzarainによる特別講演(Introduction to Psychoanalytic Group Psychotherapy)会を開き,さらに翌1988年11月に日本集団精神療法学会が第1回研修会を開催している。すなわちこの頃はわが国で集団精神療法を盛んにする機運が高まり始めた時期だったのだろう。私は上記の機会すべてに参加できてラッキーだったと思い出すが,この間1988年夏,これも比較的偶然ながら幸運な機会を得て精神療法研究会(主宰・鈴木純一先生)の体験グループ・セミナーに参加し,これをきっかけにグループに関する本格的トレーニングを受けるようになった。後にふり返って,当時の私は15年間にわたる大変長い期間馴染んだ勤め先の病院という,自らにとって母体であったグループを喪失し,新たなグループ(複数)との関係,つまりひとつには新たな勤め先に,またもうひとつは集団精神療法文化への接近に,自身を志向させたという自己解釈を得るが,いずれにせよこの時期は私の臨床生活におけるターニングポインとなった。その後各種のトレーニング・グループで体験した多くの出会いから私は,かつて教育分析やスーパーヴィジョンを通して得たところに勝るとも劣らない多大な影響を受けたのである。
 第3部に集めたグループの経験に基づく諸論文は,結果的にあたかも連続性があるように並んだので,これ以上の説明は要らないだろう。他方こういうことにも気づいた。グループについて語る私には,先に触れた個人精神療法について記す際に書き手の私が抱いていた頑なさや孤立感が,たとえばコンダクターとしての孤独感を述べている場合であっても,とても減っている(か,解消していた)。多分,書き手の私の背後に(主観に過ぎないにしても)私を支えるグループがあると感じているからだと思う。私が「グループは信じられる」と語るところと深く関係していると考える。そして,私にそのようなグループ経験が得られるまで,じっと(恐らくは)耐えながら,私を育ててくれたトレーナーと,それにも増して付き合い続けてくれたトレーニー仲間に心から感謝したい気持ちで一杯になる。本書を編んでみて,私は改めて,このことを是非読者に伝えたい。人は学び,必ず育てられる。臨床活動(それ自体)という訓練が,人を変え,人を育てるに違いないのである。
 臨床的には,そして気づいたら,辺りはグループだらけになっていた(第18章「病院の中にグループがあるということ」)。
おわりに
 第4部・第19章の対談は,終わってみれば小此木先生による私という新人グループワーカーへのインタヴューになったというのが実のところで,彼の聴く能力に改めて敬服した出来事だった。しかし読み返してみると,個人精神療法家としてはそれなりの経験をもちながらグループへの関わりでは未だ新人である臨床家の体験を我ながらよく語れているという感想をもったので,お願いしてご許可いただき転載の運びになった。
 本書のタイトルに触れて終わりたい。精神分析的精神療法とは一定の治療構造において精神分析をモデルに実践する精神療法だといった辞書的定義は改めて要るまい。それが個人療法であれ集団療法であれ,私が精神分析的オリエンテーションによる精神療法の実践において訓練を受け,自らも注目し続けたポイントはこうまとめられる。ひとつに患者(やトレーニー)と治療者(やトレーナー)との治療(やトレーニング)関係を認識する上での準拠枠となる治療構造の大切さである。関連して「治療構造をめぐって」(エッセイ・3)を述べた。もうひとつは治療者自身のあり方についてである。私は治療関係において治療者として,そこで語られる意味を考え続けること,連想し空想し続けること,また自身の内面への注目を休まないこと,そうして治療者として(トレーニー,ヴァイザーとして)機能する大切さを常に思う。こういった個人精神療法家として学んだ,傾聴,共感,ホールディング,コンテイン,夢想とさまざまに呼ばれる営みを,集団精神療法の臨床でも心がけている実践的態度として,たとえば第16章「コミュニティ・ミーティングにおけるリーダーシップ」などで繰り返し述べた。そして大事なのは実践だという,常々考えているところもタイトルに込めた。
 ことに第18章「病院の中にグループがあるということ」に記した通り,シニアの治療者が受け持つグループ療法への同席参加から,個人精神療法の場合にはあり得ない学ぶ機会をもてた経験があるので,「同様に」とは言い過ぎだけれども似た方向で,集団精神療法を始めようと志す方々に私の臨床報告が参考になれば大変嬉しいと,読み返して,改めて思う。
 サブ・タイトルについてはこうだ。個人精神療法から集団精神療法に実践領域を拡大してきたというのが時間軸に沿った私自身の体験だが,「個人精神療法から集団精神療法へ」と定めると,そこに含まれる一方向性のニュアンス故に臨床感覚とずれてしまうと感じた。そのどちらも必要で,意味あるものだと認識している気持ちを込めて,精神療法における2つのモデルを「そして」でつないだ。