あとがき

 率直に書いてみたい。
 出版されて店頭に並ぶ以上はこんな本になって欲しいという願いがある。私はこれまで,それなりの臨床経験に平行して,セミナーに講師として呼ばれたり,大小のグループでのスーパーヴィジョンに招かれてきた。そういった会場は私のところから大概は遠いものだから往きの道すがら時間潰しに本を読む。その本は今さら精神医学や精神療法の教科書であるわけもなく―多分その読書の背後にはセミナーなどを控えた不安もあったろうが今さら教科書を繙いても間に合わないし―,小説は合わないし週刊誌は元来嫌いだ。いつ頃からだったろうか? 私は精神療法の先輩(たち)が専門領域に触れながらエッセイ風に書かれた類の本を気ままに選んで出かけるようになった。そこには無論,これから私が講演したりスーパーヴィジョンする内容に直接関係した理論や解釈は,大抵は載っていなかった。けれども私は先輩の書かれた一文に触れるうちに,私の内面に精神療法家としての何かが整い直されてくるのを感じるのだった。そしてこの読書は出かけた先で生きた。ここを立体的に詳述するのはなかなか難しいが,精神療法家としてのアイデンティティが確認されるとか,拠って立つモデルを改めて思い起こせるとか,感性が活性化される時間とでも言えば,その読書体験の近似値かもしれない。
 そんな風に私が道すがら読書して得たようなインパクトを提供できる本,臨床の実践家たちがこれを読むと励みになるような,底辺や背後からの微かな支えを体感できるような,そんな本になって欲しい。思い上がりかもしれないが,私は本書についてそう願っている。教科書のように一つひとつ体系づけた項目を記したわけではないが,ひとりの精神療法家の臨床実践の様子を,何度読んでもその度に感じるところが見出される,そんな本になってくれたらどんなにか素晴らしいと,願う。さて,以上は著者の本心を率直に書き過ぎたろうか。また思い上がりが過ぎるだろうか。もし書物にも精神療法過程に似て著者と読者との相互関係で変容していく面があるとすれば,優れた読み手の輔けを得て,そうした本になってくれることをせめて密かに祈りたいのである。

 故小此木啓吾先生の奥さま,榮子夫人に深く感謝します。先生との対談転載をご快諾いただき,それ自体が私を支えて下さいました。そしてご覧の通り,お蔭様で本書がぐっとしまりました。ありがとうございました。
……(後略)

2006年7月  相田信男