訳者あとがき

 1年半の翻訳の取り組みがいよいよ終わろうとしています。
 このあとがきでは,私がこの翻訳をはじめた経緯を述べた上で,本書の内容と翻訳にあたっての修正点や問題点について少し触れておきたいと思います。

 本書の翻訳の取り組みは,2005年1月にフォーカシング・コーディネーター・リストというEメールのやり取りで,イギリスの心理療法家であるグレッグ・マディソンGreg Madisonが本書の紹介をしているのを見かけたことから始まりました。
 マディソンは,本書を手に入れて読み始めたばかりだけれど,高く推薦したいと紹介していました。最初の部分でパートンは,クライエント中心療法の歴史と問題点を概観していますが,それについてマディソンは「自分がよく知らなかったがジェンドリンの仕事と近しくも波乱含みの関係にあったクライエント中心療法の伝統を非常に明確に提示している点で貴重であった」と述べていました。
 このメールを読んで私はすぐにこの原書を注文しました。そして,届くとすぐ読み始め,ほとんどマディソンと同様の感想を持ちました。私自身そもそもは発達心理学の教育を受け発達臨床の仕事をしてきた人間です。ですから,クライエント中心療法の基本や歴史については疎いままで,カウンセリングの仕事を始めました。そして,その仕事のかなり早い時期にフォーカシングに出会ったために,その背景にあるクライエント中心療法については,もっぱらロジャーズが一般向けに書いた著書を通してしか,知らなかったからです。
 そしてマディソンと同様に読み通さないままに,すばらしい本であり,翻訳をすることが有意義であることを確信しました。自分が適任かどうかには疑問もありましたが,翻訳をする中で自分自身がさまざまなことを学べるに違いないと思い,翻訳を希望しました。そして,さっそくに,それまで国際会議で一度しかあったことのないパートンに連絡を取り,翻訳について問い合わせを始めていました。
 そこには,私がフォーカシングに関わり始めてから,しばしば起こるようになった,自然な流れにまかせるという感覚がありました。大胆すぎるかなと思うことも動いてみて,断られるなら断られればいい,と気軽に動いてしまうのです。そして,それはいつも起こるわけではなく,後から考えてもやはりよかったと思える重要な転機に起こるように思います。
 同時期,学習院大学大学院心理学専攻で1年間限定で心理学演習の授業を依頼されました。そこで伊藤研一さんから,自分のためにも学生のためにもなり,その成果が本にまとまるような授業をしてください,というお誘いを受けたことがヒントになって,本書をテキストとして講読演習の授業するというプランができました。もちろん,本書は,クライエント中心療法の基本と歴史をふり返る教科書として,臨床心理学を学びはじめようとする学生さんにふさわしいテキストですから,翻訳のためにこの授業を利用したわけではありません。しかし,この授業がこの翻訳を促す大きな力になったのも事実です。
 そして,ジェンドリンの『フォーカシング指向心理療法』を出版してくれた金剛出版から,快く出版への同意をいただき,とんとん拍子で本書の翻訳への道が整いました。
このようなさまざまな幸運というか,促しが重なって,2005年講読の授業とともに,翻訳が始まりました。
 実際には,授業は,関係代名詞で長々と続く英文の解読に苦しみ,また,さまざまなクライエント中心療法の概念や問題点の指摘に関して議論しながらの読解となり,進行は遅々としたものになってしまい,実際の翻訳作業は休み期間にしか進めませんでしたが,この講義によって理解が深まったことは確かです。演習での議論を反映した翻訳になっていることを願っています。また,今後,日本語でのテキストで読めることで,同じ内容の理解や議論がもっと容易にできると思いますし,今後,学部専門課程や大学院レベルでのクライエント中心療法とフォーカシング指向療法の基本テキストとして,教員として自分も使えることを,また,心理療法の基本や面接を教える先生方や学生さんに広く使っていただけることを楽しみにしています。

 本書の内容は,序論に紹介があるので重複は避けますが,私にとっての本書の貴重さを2点のみ挙げておこうと思います。
 1点目は,最初にも述べましたが,パーソン・センタード・セラピーの歴史と現在を俯瞰することができ,その中にジェンドリンの思索と実践を位置づけることができた点です。
 この点については,日本でも池見(『心のメッセージを聴く』講談社, 1995)近田(『フォーカシングで身につけるカウンセリングの基本』コスモスライブラリー, 2002)らが,ロジャーズの実践との共通性と,その理論化としてジェンドリンの概念が有効であることを示していますが,パートンの記述は,パーソン・センタードの理論と実践の,欧米での現在の広がりを概観している点で,広い展望の中でのジェンドリンの位置を再確認できるものでした。また,ロジャーズの理論化の問題点の整理は実に明確でわかりやすいものでした。そして,その中で,ジェンドリンの理論の貢献が鮮やかに示されていました。
 ジェンドリン自身が書いたテキストである『フォーカシング指向心理療法』は,理論の面でも実践や事例提示の面でも,包括的で体系的で豊かなものですが,唯一の欠点は,ジェンドリンが一貫して自分の観点からの記述を行っているために,ジェンドリンの観点を広い文脈に位置づけるような比較検討や客観的検討が欠けている点です。大学や大学院で教える場合,フォーカシング指向心理療法を,それだけに限定した講義や演習としてではなく,より広い心理療法理論や歴史の中に位置づけて教えたいと思うのですが,そのような比較検討の文献はなかなか見つかりませんでした。そのような検討のためには,ジェンドリンの仕事に精通しつつも,その背景となっているクライエント中心療法にも親しんだパートンのような著者が必要だったのだと思います。今後は本書が,クライエント中心療法の中でのジェンドリンの仕事の意味をとらえるためのテキストとして活用されることを願っています。
 2点目は,ジェンドリンの幅広い哲学の明晰な紹介が含まれていることです。
 ジェンドリンは元々哲学徒としてシカゴ大学に在籍しており,自分の哲学が実践されている場としてロジャーズの創始したカウンセリング・センターを訪れたことは本書でも紹介されています。フォーカシングや心理療法についての彼の理論化の背景には,『体験過程と意味の創造』『Thinking Beyond Patterns: Body, Language, and Situations』『Process model』等の哲学的な仕事があります。また,1999年以来ジェンドリンは,自分の40年の心理療法への道草を終えて,哲学の仕事に専念すると宣言して,彼の哲学を元にした,誰もが自分の体験的な知を理論化していく作業であるTAE(縁で考える)というプロセスの確立と教育に力を入れるようになっています。
 このような彼の体験過程理論や暗黙性哲学は,フォーカシングの実践から入った私にはなんとなく理解できるものではあり,そして,その考えの方向性の正しさは納得できるものでした。特に心理療法の領域での理論化である『人格変化の一理論』は説得的です。しかし,その哲学を自分なりのことばで説明しろと言われると,いつも困るものでした。例や比喩としては語れても,なかなか,ジェンドリンの哲学的背景を押さえながら,しかも彼の独自で創造的な概念を理解し駆使して,彼の論理を追っていくのは,かなり挑戦的な課題です。しかも,それを他の人に伝わるように語るのは至難の業でした。そして,実際に伝える必要がある場合には,私自身が理解したように「なんとなくわかるでしょ!」と曖昧な形でしか伝えられず,それにはいつもはがゆい思いをしていました。
 そのような哲学的背景を含めて,明瞭にしかも,コンパクトに紹介してくれたのがキャンベル・パートンでした。本書以前に私は,フォーカシング研究所の学術誌であるThe Folio誌の“TAE”特集で,パートンが書いた,ジェンドリンのプロセス・モデルの紹介論文を読み,初めて『プロセス・モデル』の骨子がわかった気がしました。実は,ジェンドリンのプロセス・モデルは読まなくてはいけない本として,2年以上も枕元に置いたまま,いつも2章半ばあたりで挫折しており,読み終えられていません。
 ジェンドリンの思考や論理は,ともかく,他の人のことを考えないで,自分のために進んでいくようなところがあります,それ自体には論理的一貫性がありつつも,創造的な飛躍や独自性があります。だからこそ,新しい理論化を生み出すことができるのだと思いますし,だからこそ非常に魅力的でもあります。しかし,凡人にもわかるように,既存の概念や伝統との比較の中で,どう位置づけていいか,誰か解説してください,と願う気持ちにもなります。その必要に答えてくれたのが,パートンの仕事です。実際に,パートンは世界のフォーカシング関係者がジェンドリンの哲学を学ぶワークショップで5年来講師として教え続けています。その仕事のエッセンスが,本書の第8章「心理療法の理論化に向けて」や付録A「より広い文脈」には,展開されているのだろうと想像しています。
 少し難しい話になりましたが,言いたいのは,私にとって今までよくわかっていなかった歴史的背景と難しすぎた哲学的背景を理解するために,本書は非常に有益だったということです。そして,それができるためには,パートンならではの経歴,パーソン・センタードの歴史と現在を深く知ることのできた経歴と,哲学的な解説ができるだけの哲学の訓練が,必要だったのだと思います。彼の存在と彼が本書に取り組んでくれた3年間に深く感謝したいと思います。

 もちろん,上記の点ばかりではなく,フォーカシング自体の紹介も簡にして要ですし,フォーカシング指向療法についても,最新の情報も踏まえつつバランスよく記述されています。そして,ポイントをわかりやすくするための,例や比喩が見事です。一例をだけあげましょう。ロジャーズのいうセラピスト条件「無条件の肯定的関心」「共感的理解」「純粋性」がたくさんあればいいというものではなく,適度にあれば十分であることを説明する比喩として,車のタイヤの空気圧があげられています(p. 79)。空気が抜けていたら,車は進まないけれど,空気圧が高くても車は速く走るわけではない。セラピスト条件もタイヤの空気圧と同じで,たくさんあるから効果的なわけではない。最小限備わっている必要はあるけれど。そう説明されると,すっきり納得します。そのようなふっと笑える(その程度の穏やかな)イギリス風ユーモアが散在しているのも,本書の魅力ですし,理解を助けてくれるものです。

 このような本書は,先にも書いたように,広く心理臨床を学ぶ学生さんに読んでいただきたいですし,すでにフォーカシングやフォーカシング指向心理療法を学び実践している方が,その歴史的理論的背景を知るためにも読んでいただきたいと思います。
 しかし,何よりも,本書を読んでいただきたいのは,今までパーソン・センタード・アプローチに親しみそれを基本に仕事をしてこられた方たちです。特に第2章「パーソン・センタード・セラピーの欠陥点」を,パーソン・センタードを基盤にする方たちがどのように理解されるのか,私としてはお話を伺ってみたいと興味津々です。そこから議論が進み,そこからジェンドリンやフォーカシング指向心理療法への関心が拡がることも期待しています。
 さらに,パーソン・センタードやフォーカシング指向の観点や立場は,特定の指向というよりも,どのような療法にも共通する基盤となるものです。そういう意味で,広く心理臨床に関わる方に関心を持ってもらえたらと願っています。

 ここで,本書の翻訳上の変更と訳語についてお断りをしておきたいと思います。
 本書は,できるだけ原文に忠実に訳すことに務めたつもりですが,1つだけ章を省略しました。それは原書で第7章に位置づけられていた「Training and Supervision」(養成訓練とスーパーヴィジョン)です。この章では,フォーカシング心理療法の一般原則や臨床をカウンセラー養成に生かす試みが紹介されています。これは,基本的にパートンが,イーストアングリア大学で教えている大学院教育と大学院修了後プログラムに基づきながらの試案として提案されているものです。しかし,日本での臨床心理士養成大学院教育の実態を考えると,英国との実態の違いが大きく,そのまま役立てることは今の段階では難しいように思われました。また,翻訳後に分量が多くなりすぎるのを押さえる必要もあり,全体の構成上省いても差し支えないとの判断もあり,著者の了解を得て翻訳からは省略しました。
 また,原著では代名詞における性別の扱いについての注釈がありましたが,日本語の代名詞では問題が起きませんので省略しました。それ以外は,できるだけ忠実にすべてを訳したつもりです。
 ただ,訳語には苦労し,これでいいと満足がいくものにはなっていないません。とりあえず,満足のいかない訳語の場合や,ジェンドリンの哲学の中での重要概念については本文中に原語も付記することで,理解の助けにしていただきたくことにしました。特にジェンドリンは,自分の言いたいポイントを言う既存のことばはない場合,言いたいことを言うための概念や用語を創出します。しかもそのような独自な概念が理論の中核になっています。experiencing(体験過程が定訳となっていますが,もともとは体験している,であり,今ここでの体験でもあり,現在進行形としての今ここでの体験というニュアンスです),direct referent(直接のレファレント),carry forward(進展させる)などがその例です。
 また,話をややこしくしているのが,英語としては一貫した意味を持つ一般的な語彙であっても,日本語としては一対一の明確な単語がなく,文脈によって別語を当てないと意味が通じなくなることばも多くあります。中でも,implicit(暗黙の),imply(含意する),refer・reference・referent等々などは,中心的な概念でもあり,苦労しました。例えば,referという英語の意味合いの範囲全体と重なるような日本語の概念はありません。それぞれの文脈でふさわしい日本語を当てることをすると,指示・言及・参照・照合・紹介等々さまざまなことばになっていまい,一つの概念としての共通性が失われます。
 それぞれの訳語について,解説を始めるときりがなくなりそうなので,ここでは控えますが,必要最小限は訳注という形で補いました。しかし,そのような難しい状況で,今回は,できるだけ,同一英単語には同一日本語を当てるようにするように努めたつもりです。不本意なところも多いのですが,翻訳の限界であることをご理解いただきご容赦をお願いします。
 なお,題名にもなっている,Person-centered Therapyの訳についても迷いました。以前の訳書では「パーソン中心」という訳し方もしており,私自身としては,従来「クライエント中心」療法と言われていたものの発展形の呼称であり,最初の訳では「パーソン中心」という訳語を選びました。単語数としても短く,日本語の意味としても一目で了解しやすいので,今でもそちらの方がふさわしいのではないかと思っています。しかし,今回,新しい書物や流派としての自称として「パーソン・センタード」アプローチという言い方の方が一般的になっている中で,「パーソン中心療法」というのが新たな立場であるように誤解されては困るので,一般的に言われている「パーソン・センタード」セラピーという名称を選びました。ともかく,クライエント中心療法の発展形全体を指し示している名称であることをご理解ください。また,Client centered Therapyについても「パーソン・センタード」と統一して「クライエント・センタード・セラピー」と訳しました。

 キャンベル・パートンに最初に出会ったのは,2000年アイルランドでの会議でした。フォーカシング研究所のメアリー・ヘンドリクス・ジェンドリンと穏やかに話し合っている姿が印象に残っています。また,2006年5月(つい,この間です)のオランダでの国際フォーカシング会議では,この翻訳についてや哲学について,まじめにも食事の席でもビールを飲みながらも広く話ができました。イーストアングリア大学のプログラムやインドでのフォーカシングやフォーカシング指向心理療法の教育等に,彼の活躍がさらに拡がっていることがよく伝わってきました。白いワイシャツとグレーのパンツで目立たない,シャイな微笑みと堅実さが印象的な人です。
 カジュアルな青いチェックのシャツをラフに着る,自由闊達なジェンドリンとは対照的です。ジェンドリンの創造と飛躍を,パーソン・センタードの歴史や社会的文脈との関連の中に,着実に根づかせてくれ,私たちにわかりやすいものにしてくれたパートンにもう一度感謝し,できれば,この翻訳が彼らの仕事を日本のみなさんにも伝える一助となることを願っています。
……(後略)

2006年7月1日  日笠摩子