新版に寄せる序文

 本書が初めて出版されてから,寄稿者の中にはさらなる発展を求めて,他の分野に向かっていった者もいる。しかし,タビストック・クリニックでは,重い情緒的剥奪と虐待を受けた子どもたちについての研究は続けられ,さらに養子縁組をした子どもたちとその家族をも含めるまでに発展した。この間,児童養護の世界には大きな変化があった。多くの児童養護施設は閉鎖され,最近クリニックに紹介されてくる子どもたちの多くは,里親家庭や養親家庭で生活している。また,そのような里親・養親家庭と子どもたちとの人種的・文化的適合性に,注意が払われるようになっている。
 このような子どもたちに,より継続的な養育を提供できるよう努力が続けられているにもかかわらず,残念ながらそれが実を結んでいるとは言いがたいのが現実である。里親・養親縁組が破綻する割合は,今なお高い(Berridge & Cleaver, 1987)。こうした代替家庭は,情緒障害をもつ子どもを育てることに伴う,とてつもない困難と苦闘せざるをえない。現在,クリニックに紹介されてくるのは,子どもとその里親・養親家族がすでに差し迫った破綻の危機に瀕していたり,そうした状況が長く続いた最後の時点であったりする。児童養護施設がまだ存在している地域では,子どもがそこに戻らざるを得ない場合もある。長期にわたり里親を務めてきた家庭が,いよいよ養子縁組に移行するというプレッシャーのもとで,破綻が起きることもあるが,すでに養子縁組をしている場合でさえ,破綻してしまうこともあるのである。
 このような出来事をめぐる痛みや苦悩は,今なお変わっていない。本書に登場する子どもたちの内的世界についての洞察は,本書が書かれた7年前訳注2)と同様に,今日的意義がある。社会全体として,近年,身体的虐待・性的虐待のみならず,情緒的虐待が,一生涯にわたって子どもに与える心の傷について,認識をより深めるようになってきている。虐待や剥奪のサイクルを,以後の世代への負の遺産としないためには,これらの幼い犠牲者たちが被ったダメージを癒すための援助が必要である。そしてこれは,今や急を要する課題として広く認識されるようになっている。以下, 本書では,こうした危険にさらされている子どもたちへの治療の取り組みの一端が描かれる。

追跡調査と調査研究
 本書に登場する子どもたちは,心理療法の終結後,どのような暮らしを送っているのだろうか。児童養護施設の閉鎖や,ソーシャルワーカーの交代,公的保護を離れて訳者3)以後の音信不通などにより,その追跡調査は大変困難であり,これまでに入手できた情報は断片的なものでしかない。ボビー(第1章)の場合には,治療終結直後,支援機関にいた者全員が辞めてしまった。ボビーが治療を受けていたことをまったく知らなかった新しい寮父は,彼のことを「他の子どもたちとは随分違って,ずっと責任感があり信頼できる」と評した。ボビーは,訪問してきたある治療者に,「治療は僕を,“一緒に暮らしやすい子”にしてくれたんだ」と話し,「前はミルクが嫌いだったけど,今は好きになったよ」と付け加えた。5年後,彼は他の重い喘息症状をもつ子どもの担当心理療法士に,「僕も喘息だったけど,ある女の先生のところへ通ったんだ」と話した。
 大変なダメージを受け,長期間施設で育った子どもたちの予後についてのわれわれの期待は,決して高いものではなかった。アイリーン(第3章)は,学校を終えて仕事に就き,ある時期は誰もが考えなかったくらいよくやっていた。しかし,施設が閉鎖され,兄弟と一緒にアパートに住むようになってからは,下り坂を降りていくようだった。彼女は,23歳のときに再びクリニックに紹介されてきた。そのとき,彼女は妊娠していたのだが,周囲の者は,アイリーンが生まれてくる子どもの面倒を見ていくことは無理だろうと考えた。彼女は,生まれてくる赤ん坊には,自分よりもよい人生のスタートを切らせてやりたいと願って,養子に出すことに同意した。
 キース(第4章)は,(治療者の退職により)十分に準備ができないままに治療を止めることになったにもかかわらず,しばらくの間は学校でよい成績を修めるなど,驚くほどよくやっていた。しかし,それまで暮らしていた施設の閉鎖に引きつづき,小規模で細やかな対応がなされていた学校を卒業して,そのサポートを失ったことが,彼にとっては大きな打撃になった。献身的な寮母が,引きつづき彼の里親となったにもかかわらず,18歳で公的保護の下を離れたことは,人生早期の見捨てられ体験の際限ない繰り返しの,最後の一撃になってしまったようだった。B&B(ベッドと朝食付きの宿泊施設)から,福祉施設,そして精神科病院を転々とする中で,暴力やアルコールや,おそらくは薬物乱用とかかわるようになった。
 対照的に,「お母さんと赤ちゃん」の絵(p.51)を描いたクリス(第3章)は10代で妊娠し,われわれはいよいよ剥奪のサイクルを繰り返しはじめたものと考えた,しかしソーシャルワーカーによると,クリスは18歳で高齢者介護の仕事に就き,順調に生活しているということだった。デズモンド(第5章)は,17歳の時点で,美術大学に進学するつもりで,Aレベルのコースで勉強していた。彼が芸術的才能を活かして生きていくことが期待されている。39ページで触れるシンディは,結婚して,2人の子どもがいるが,公的機関の保護を必要としていない。レイチェル(第10章)は,里親のもとで数年間うまくいっている。当初,「この家族とはやっていきたくない」と訴えて,里親に耐え難いほどの悩みをもたらしたマシュー(第11章)は,16歳のときの調査面接では,(里親が離婚してしまったにもかかわらず)自分は確かに,この里親家庭の一員であると感じるようになっていた。彼は,担当の治療者によって,1年ごとに振り返り面接を受けている。これは,彼が治療終結直後の実母の死と折り合いをつけるのを助けた。そして,17歳のときには,自らさらなる心理療法を求めた。そして,その機会を十分にいかして,ついには大学進学を果たした。
 追跡調査で得られた情報は,(研究を複雑化するが)そのタイミングなど,多くの事柄について考える材料を提供してくれる。その中でももっとも重要なのは,公的保護の終了が,いかに深い落とし穴(p.99参照)であるのかについて,私たちの注意を引くことである。つまり,この傷つきやすい若者たちが保護の対象外になるということは,その当然の結果として,あらゆる支援体制から抜け落ちてしまうことを意味するのである。
 子どもたちは心理療法を受けたことで,家庭生活によりよく適応できるようになったのだろうか。その機会に恵まれた子どもたちが,それが事実であることを証明してくれている。クリス(上述)は,里親家庭に落ち着いた。マーティン(第1章)は,新しい里親のところでやっていけるようになった。トム(第4章)は,徐々に,原家族に戻ることができるようになった。ボビーは,実母や祖父母との接触を増やしていった。デズモンドでさえ,ついには里親のもとで暮らすことができるようになった。このように,里親家庭にとどまることが困難になるような危機が何度あっても,それを回避できた例は,多数ある。
 心理療法を受けた,里親家庭で暮らす,あるいは養子縁組をした子どもたちについてのより系統立った追跡調査研究が,現在タビストック・クリニックで進められている。この研究によって,われわれの仮説―精神分析的心理療法は,子どもが,どこかの家庭に引き取られた後,一貫してそこで成人するまで生活するのを支えること,そしてそのような家庭生活は,心理療法とともに,子どもが被った情緒的傷を癒すのに役立つということ―に,さらなる光が当てられることが望まれる。