【あとがきにかえて】 イギリスの現場から
―里親制度の現状と心理療法士・臨床心理士にできること―

鵜飼奈津子

 本書の骨子となっているワークショップは,私がタビストック・クリニックで臨床トレーニングを受けていた2000年から2004年には,“Adoption & Fostering Workshop”として開催されていました。ワークショップのメンバーは,本書にも記されているように,やはり,児童心理療法士,臨床心理士,ソーシャルワーカーなど多職種の専門家から構成されており,その職場もタビストック・クリニックのみならず,ロンドン市内および近郊はもちろんのこと,かなり遠方のクリニックや福祉機関にもわたっていました。そこでは,毎週,ケースをもとに活発な議論が行われました。本書の初版は1983年ということですが,今回この翻訳作業に携わる中で,私は,その内容もさることながら,被虐待児や諸般の事情でいわゆる自分の家族のもとでは生活できなくなってしまった子どもたちのこころを理解していこうという,臨床家たちの思い入れといったようなものが,今なお引き継がれていること,また初版以来20年を過ぎても,本書の内容が新鮮で,あたかもまさに現在進行中の議論であるかのように響くことに感銘を受けました。
 イギリスは,ゆりかごから墓場まで,に形容されるような福祉大国であり,移民や難民の受け容れにも寛容で,何より里親制度が非常に発達している,というイメージが強いかと思われます。しかし,国民はもとより英国に6カ月以上滞在するものはすべて無料で受けられる国民医療制度は崩壊寸前といわれていますし,里親制度にも多くの問題点があるのが現実です。人種差別問題やそれに絡む犯罪も後を絶ちません。一方で,ここ数年でイギリスは過去に例を見ないほどの経済成長を遂げ,住宅バブルをはじめとし,とくにロンドンは世界でももっとも物価の高い都市になったのではないかと思われます。もともと階級社会であり,その名残が今も根強く残るイギリス社会において,こうした経済成長は,富めるものはより富み,貧しきものはより貧しく,といった格差を押し広げているように思われます。実際に,ロンドンでは,福祉・医療従事者や教師などなくてはならない職業につく人たち(キーワーカーと呼ばれていいます)が生活苦のため,ロンドンを離れていく,という社会問題にまで発展しています。こうした社会状況の中で,もっとも大きなダメージを受けるのは,やはり子どもたちではないでしょうか。それも,本書に登場するようなもっとも弱い立場にいるといっても過言ではない子どもたちだと思われます。
 本書が執筆された1980年代から,再版された1990年初頭ごろまでは,こうした公的保護の下にある子どもたちは,children in careと呼ばれていましたが,現在では,looked after childrenと呼ばれるようになっています。careという言葉のイメージがよくない,ということなのでしょうか。しかし,呼び方はどうあれ,こうした子どもたちが現在でもイギリスにはたくさんいて,必ずしも適切にlooked afterされていないのが現実です。
 イギリスには,現在では児童養護施設は,ますます減少の傾向にあり,いわゆる要保護児童の養育は里親が中心です。里親には,緊急の際にたとえ一晩だけでも子どもを預かるという契約をしている家庭,長期の里親や養親が見つかるまでの期間限定で子どもを預かるという契約をしている家庭,そして,子どもが成人する18歳になるまでという長期の見通しで子どもを預かるという契約をしている家庭などさまざまです。また,心身に障害をもつ子どもなど特別の配慮のいる子どもを預かる,いわゆる専門里親specialist fosterの制度も整いつつあります。そして里親家庭自体も,片親であったり,実子がいたり,いなかったりと,現在のイギリス社会を反映するかのごとくさまざまな家庭があります。これは,養子を希望する家庭にも当てはまります。一般の児童養護施設が減少している一方で,いわゆる情緒障害児治療施設のような,治療的コミュニティは,現在でも数多く残っています。たとえば,週日はこうした施設や寄宿学校で生活し,週末になると里親家庭で過ごす,といった生活形態をとるなど,より多くの社会資源によってlooked afterされている子どもたちもいます。
 イギリスで,児童養護施設が減少していった背景のひとつには,施設内での虐待があげられるようです。現在,成人し,人生の後半に差しかかった人々が,いかに施設で過ごした幼少期に虐待を受けたのかという告発をするのもよく耳にします。しかし,里親制度に移行したからといって,やはり100%問題がないというわけではないのです。里親宅で虐待を受けるという事例もありますし,あるいは,1件の里親宅で落ち着けず,それこそ里親宅を何件もたらいまわしにされるといった,これはまさに情緒的虐待にあたるのではないか,と思われる事例も後を絶ちません。これは,里親自身にも,また子どもや里親を取り巻くケースワーカーや,もし児童心理療法士がかかわっているのなら,その児童心理療法士も含めた専門家の間に本書に描かれているような考えるスペースが,さまざまな事情のために欠落してしまっている結果ではないかと思われます。どうして,この子どもは,この里親家庭になじめないのか―暴力的な言動,里親家庭の実子や他の里子への嫉妬,退行や過度の甘えなど,表現の仕方はさまざまであれ,こうした子どもたちは,確かに何らかの信号を発しているのです。そして,実際にこうした難しい言動に24時間,振り回され,対応しなければならないのは里親です。そこで,里親がギブアップしたときに,あるいは,ギブアップする一歩手前で,関係機関の専門家が,そうした危機的状況にある里親を支える機能が不可欠です。しかし,ソーシャルワーカーも非常に多くのケースを抱える現状では,里親を支え,何とか措置を継続しようと腐心するよりは,ここがダメなら次,と新たな里親家庭を探すことに流れてしまいがちになるのかもしれません。そうすれば,子どもについて「抱えきれない」と苦情を言ってくる里親の問題は,一見,解決したかに見えるでしょう。しかし,そうして次々と家庭を移される子どもが,新たな家庭で落ち着いて生活できるでしょうか。どうせ,ここにも長くいないのだから,とまったく愛着を示さないか,あるいは,少しでも希望をもちつづけている子どもなら,ここはどうだ?と,よりいっそう難しい言動によって新たな里親のことを試すかもしれません。そういった意味を,理解されないままに,また次に移される……本当の解決には程遠い現状です。ここで求められるのは,そうしたソーシャルワーカーを支える機能―それはスーパーヴァイザー的役割をとる上司かもしれませんし,あるいは仲間の児童心理療法士であり,臨床心理士であるかもしれません―が不可欠なものになるといえるでしょう。こうした,支えあう機能がうまく作用しているところでは,子どもたちが次々と里親家庭を転々とせざるを得ないといった状況も確かに少ないと思われます。
 ここで,私が児童心理療法士や臨床心理士を「同僚」と呼ばずに「仲間」と呼んだのには,理由があります。日本では,子どもが養護施設や里親に委託される際には,必ず措置機関である児童相談所を経由しますし,何らかの形で心理と名のつく職員がかかわることになるかと思われます。しかし,イギリスでは,措置機関であるソーシャルサービスに,心理職はいません。ですから,ケースワーカーや里親が,子どもに何らかの理由で心理的なアセスメントや心理療法が必要だと考えた際には,地域の精神保健サービス(タビストック・クリニックなどのメンタルヘルスクリニック)に子どもを紹介するという手続きを踏まねばならないのです。ですから,おのずとソーシャルワーカーと心理療法士や臨床心理士は,同僚というよりも,他機関の人,といった離れた関係にあり,そこでまずこうした専門家同士が互いにどのような関係を築いていくのかが重要なポイントになってくるわけです。中には,子どもの心理状態に非常に関心を示し,常に相談にやってくるソーシャルワーカーもいれば,そのようなことにはまったく関心がなく,極端に言えば子どもを一度もメンタルヘルスクリニックに紹介してきたことのないソーシャルワーカーもいる,というように,子どもが心理的なサービスを受けるかどうかは,担当のソーシャルワーカーによって異なる,という自体も珍しくないわけです。このような子どもたちが果たしてどれくらいいるのか,想像もつきませんが,こうした福祉機関とメンタルヘルス機関の分断は,当の子どもたちにとって,決してよいこととは言えないと思います。
 ただ,大学を卒業してソーシャルワーカーの資格を取った後にも,たとえば子どもを専門とするソーシャルワーカーになるための卒後訓練の充実や,また,ソーシャルサービスの内部でも,きっちりとしたスーパービジョンの制度が整っているなど,個々のソーシャルワーカーの資質を向上させる機会は,たぶん日本のそれとは比較にならないものがあると思われます。これは,心理関連職にしても同様で,本書にも登場するように児童心理療法士,臨床心理士,教育心理士等,その専門性は非常に細分化されており,それぞれに高度専門職としての訓練と資格取得後の訓練,スーパービジョン制度が充実しています。ですから,こうしてそれぞれの分野で培われる専門性を,どのように相互にリンクさせ,子どもたちの将来につながる最善の暮らしを提供していくために役に立てて行くのか,が大きな課題だと思われます。そして,その試みのひとつが,現在もタビストック・クリニックで続けられているこのワークショップではないかと思うのです。本書は,日本でも,児童相談所や養護施設で働く心理職員のみならず,ソーシャルワーカーや養護施設の先生方など,幅広い層に読んでいただけたらと願っています。