日本の現場から
―ポスト・クライン派精神分析になにができるか―

平井正三

 1990年代中ごろ,私がタビストック・クリニックの児童心理療法の臨床訓練中にかかわった事例の多くが何らかの形で虐待を受けた子どもでした。またグループ・スーパービジョンや臨床セミナーで報告される事例の大半が被虐待児であるという週もあったように記憶しています。日によっては聞く事例すべてが性的虐待の事例であるような日もありました。それほどに,私が留学していた当時のタビストックにおいては,虐待,とくに性的虐待の事例が主要な関心ごとになっていました。これは,私がイギリスに留学する前に日本で受けていた研修や臨床の実感と大きくかけ離れていました。そこでは自分が虐待の事例を担当することはもとより,事例検討会等でそのような事例を聞く機会もなかったように思います。
 その後,90年代の後半に帰国して,次第に子どもとかかわる臨床心理士にスーパービジョンや臨床セミナーなどでかかわる機会が増えるにつれ,児童養護施設や情緒障害児短期収容施設などで働くセラピストの事例を聞くことが多くなっていきました。1999年に厚生労働省の指導で,多くの児童養護施設にセラピストが配属されるようになったのが大きな転換点だったように思います。
 以上のような限られた背景の中で私が日本の被虐待児の臨床に関してもっている印象は,大雑把に言えば,このような臨床グループの子ども自体が社会や専門家にネグレクトされてきたかもしれないということです。本書の第15章でホクスターが指摘しているように,一度このような子どもたちの窮地にかかわるようになった専門家たちは,痛みを誰かに転化して,怒りの矛先を向けるか,あるいは痛みなどないと主張したり無感覚になったりしがちであり,本書で示唆されているような子どもの痛みと向き合い,それとともに生きようとすることはきわめて難しいように思われます。しかし,子どもの心の健康に大きな関心をもっているはずの臨床心理学の世界で,このような子どもたちの臨床が従来十分に注目されてこなかったことは,考えれば考えるほど驚くべきことのように思われます。
 児童養護施設に配属された多くの若い臨床心理士たちが直面する問題は,自分たちがそこで遭遇する問題に十分に対処できる専門的技量をもち合わせていないことではないかと思います。実際のところ,学会水準で考えた場合,臨床心理士という専門性自体がいまだ十分に確立されていない状況で,まさしくその専門性を最大限に試される現場の代表とも言える児童養護施設の臨床は,多くの志のある若い臨床心理士にとって荷が重過ぎるように思われます。心理療法とはどのようなものなのか,心理療法士の役割は何なのか,ということに関して突き詰めて考えることを余儀なくされる中で,それをやりぬくのに十分な訓練を大半の臨床心理士が受けていないのが現状です。子どもとの格闘の中で燃え尽きていったり,施設の中での自らの役割を見失い,生活指導職員と変わらない役割を取る羽目に陥ったりする「心理療法士」は後を絶たないのが現状のように思います。
 本書がこのような日本の臨床の現実に提供するものは計り知れないように思います。本書全体に通底している考えを2つ挙げるとすれば,心理療法は保育という前提があってこそ成立しうるし,また保育を中心とした子どもとかかわる人々との良好な協働関係という文脈の中で心理療法は有効に機能しうるという考えと,「心の中のスペース」ということばに端的に表現される心理療法過程に関する考えではなかろうかと思います。本書に登場する心理療法士たちはいずれも,タビストック・クリニックにおいてクライン派の子どもの精神分析的心理療法の訓練をつんだ人たちです。しかし,これら2つの考えは,子どもの心の発達における環境面や治療における逆転移を重視するという点で,いずれもクラインの理論や技法を越えた部分で発展してきた流れ,すなわち「ポスト・クライン派」精神分析と呼ぶことのできる流れに属しているということができます。ポスト・クライン派精神分析の流れは,クラインが展開した,子どもの内的世界への強い関心を対人的相互作用や環境との相互作用の見地と結びつけるビオンの独創的な仕事に支えられ発展してきました。子どもの心の痛みに子どもとともに真正面から向き合い,他のおとなとともに子どもに寄り添いながら,子どもの心の成長を育もうと試みる,本書に見られる実践は,ビオンを中心として推進されてきた精神分析のこの流れのひとつの成果と見ることもできるでしょう。
 家族の破綻という事態は,内的には,心の容器の不全や破綻とかかわること。子どもが,心の容器を発達させるためには,誰かの心の中にスペースを占めるということを必要としていること。それがクラインのいう正常な分裂(分裂と理想化)の重要な側面であるということ。クラインの妄想・分裂ポジションに至る以前の心の状態として,心の容器の形成不全として,2次元的な心のあり方というものが存在すること。心の容器の不全や破綻と学習障害や発達障害との関連。考えられないこと,感じられないことを伝える重要なチャンネルとしての投影同一化。子どもを知るための中心的な道具として自らの心を用いること,すなわち心理療法における逆転移の中心性という認識。
 以上,本書に表されている着想で,このような子どもたちの臨床に大いに役に立つと思われるものを列挙してみましたが,このリストはまだまだ続くことでしょう。本書は,タビストック・クリニックを中心とした臨床家たちが,情緒的剥奪を受けた子どもたちとの長年の格闘の経験の成果を結集したものといえます。おそらく,本当にこのような子どもと向き合い,格闘しようと試みたことのある者ほど,本書に書かれていることの真価を見出すことができるでしょうし,またそのような経験が本当に報いられるものであることを知る機会があるのではないかと私は思います。
……(後略)