あとがき

 本書は,対人恐怖の究明を通じて,青年期の発達の諸相を照らし出し,「青年期発達臨床学」樹立の礎石の一つになることを願って作成した学位論文「青年期の対人恐怖」を,多くの人に読んで理解して戴きたいとの思いで,読みやすく編成し直したものである。
 論文の最後は「自己を悩む対人恐怖への考察を通じて得られた幾つかの洞察を手掛かりにして,青年期というものが,危機に瀕した自己を見窮め直すことにより,自己実現の道程への旅立ちの必然の機会となるのだという論拠が提出できたのではないかということを本論文の結語としたい」という言葉で締めくくっている。
 対人恐怖を単に青年期のノイローゼの症状の一つとして捉えるのでなく,青年期の対人関係の危機の一つとして,将来の成長のために自己が直面する試練として目的論的に把握し,自己を人格成熟へ向けて再構築するための,青年期の一過性の一時的な不安定な対人関係の一様態として実態を把握し,その発達の方向を模索しようとするのである。
 そのような視点をある程度明確にして作業を進めるために,序章「青年期の対人関係の危機」では,対人恐怖について論ずる前提として,青年期の対人関係のありかたを,青年期の発達論からと青年期の対人関係の障害の問題点から概観した。
 第1章「対人恐怖について」では,対人恐怖の実態を概説し,さらに,理解しやすいように事例で具体的に,新しい対人恐怖といわれている人と対比して説明した。この事例は学位論文には掲載してはいないもので,別に発表した「対人恐怖症の新しいタイプの出現について」(神戸女子大学文学部紀要34巻,131-142頁,2001)から要約引用したものである。第2章「対人恐怖の分類と類型」では,従来からの伝統的な対人恐怖を5類型として整理して,その概要を示した。
 第3章「対人恐怖の心理機制」は,対人恐怖の形成のメカニズムを仮説的に分類,整理して紹介したものである。Ⅰ.「社会的場の葛藤回避説」には,伝統的な対人恐怖が日本独自の青年期のノイローゼといわれていた頃に,日本の社会の対人関係の特殊性に焦点を当てて,そのメカニズムを論じたものを紹介してある。しかし,日本の社会が著しく変貌を来たした現代に,青年たちが社会参加に際して直面する他者との関係のあり方に即応した説として説得力が乏しくなり,むしろ,青年たちが育って来た核家族の閉鎖的な親子関係に原因を求める説が登場してきた。それは対人関係の原点である乳児期からの母子関係に原因を探る精神分析的な視点を導入した発達観からの対人恐怖論である。
 Ⅱ.「幼児期葛藤再燃説」はその代表的な説であり,鍋田恭孝著『対人恐怖・醜形恐怖――「他者を恐れ・自らを嫌悪する病」の心理と病理』(金剛出版,1997)に詳しい。Ⅲ.「乳幼児期防衛再燃説」はフェアバーンの対象関係論から筆者が対人恐怖を読み解いた論稿であり,Ⅵ.「羞恥説:恥意識から見た対人恐怖」ではサルトルの「まなざし」論を踏まえて,内沼幸雄氏と岡野憲一郎氏の対人恐怖論を紹介した。
 Ⅳ.「メドゥサ・コンプレックス説」はかねてから筆者の唱えていた,父性の弱体化による現代青年の発達の遅延から来る「エディパス・コンプレックス形成不全」説をペルセウスのメドゥサ退治の神話と結合して対人恐怖形成のメカニズムを解明したものであり,本書のハイライト部といえる。さらに,この説は単に形成のメカニズムを説いただけでなく,対人恐怖の渦中にあり,自己形成の難題に翻弄されている青年が,自己変革を遂げて,社会参加のための課題を達成して,成長するための成人儀式をどのようにして自らが挙行するかを「ペルセウス神話」から示唆されて説いた対人恐怖の青年の人格成熟への方途を示したものである。
 メドゥサ・コンプレックス説はフロイトのエディプス・コンプレックス論に基づいて発展させた説であるが,ユングの分析心理学の視点から対人恐怖形成のメカニズムを読み解く試みをしたのが,Ⅴ.「グレートマザーとの対決説」である。これは筆者が「グレートマザーとの対決の変容としてみた対人恐怖」という標題で,仁愛大学附属心理臨床センター紀要,創刊号(1-7頁,2006年3月)に発表した論稿を転載した。
 第4章「自己と対人恐怖」は,自己意識,あるいは自己概念に関する心理学の今までの研究の成果から,対人恐怖の自己の様相を読み解こうと試みたものである。自己を過剰に意識し,自己と対決せざるを得ない青年期に,対人恐怖は自己という問題の解明を迫って来るのである。対人恐怖の人にいくつかの異なった視点から,自己を見つめる糸口になればよいと思う。
 自己についての考察をさらに進めると,対人恐怖の人が悩む「個の自己」から,潜在していて実現を待っている「本来の自己」というものがあるということに気付く。対人恐怖の人たちはこの「本来の自己」の実現へと人生の歩を着実に進めるべき必然性に気付く機会に恵まれたのである。それについて事例を添えて説明したのが,第5章「対人恐怖から自己実現へ」である。
 ここまでは,いわば従来の伝統的な対人恐怖の研究であるが,近年,時代の変遷により,対人恐怖の現れ方に変貌が見られるようになった。そこで,第6章「新たな対人恐怖の登場と従来の対人恐怖の分類」では,男・女高校生の調査の数量解析の分析により,従来の伝統的な対人恐怖を5類型に明確に分類できることと,新たな対人恐怖である「ふれあい恐怖」は,従来の伝統的な対人恐怖とは別の対人恐怖として区別して分類できることを示したものの要訳である。これは2001年に「新しく出現したタイプを含む対人恐怖の質問紙調査による分類の試み」の標題で,心理臨床学研究(19巻5号,477-488頁)に大略が発表してある。
 さらに,第7章「対人接触恐怖と外見評価恐怖」では,新たな軽症の対人恐怖である「ふれあい恐怖」と,軽症の醜貌恐怖とも考えられるが,新たに登場した軽症の対人恐怖である「外見恐怖」についての女子高校生と女子大生の調査結果の分析から,これらが2つの別種の類型に分類できることと,それぞれの実態について示したものを概説してある。これも2003年に「女子青年のふれあい恐怖と外見恐怖」の標題で,人間性心理学研究(21巻2号,187-197頁)に大筋が発表されている。
 学会雑誌の論文は枚数の制限上,意を尽くして思いが述べられなかったが,学位論文では必要な数表を多数掲載して詳しく述べた。本書では数表は最小限度にし,読みやすく簡潔にしてある。しかし,雑誌には紙面の都合で載せられなかった「ふれあい恐怖」と「外見恐怖」を,「対人接触恐怖」と「外見評価恐怖」に言い換えてはどうか,という学位論文で提案している部分を本書には転載し,読者のご意見を期待することにした。
 なお,本書では割愛した中高生男女2,173名の調査を分析した「対人恐怖の類型の性差と発達差」が学位論文にはあるが,これは2005年に「対人恐怖の類型の性差と発達差」の標題で,その要点を神戸女子大学文学部紀要(38巻,117-139頁)に発表してある。
 ……(後略)

2006年10月1日 福井康之