あとがき

 早いもので,臨床動作法の誕生から四十数年が経ちました。木村駿先生が述べられているように,臨床動作法は,「成瀬悟策という天才的なひらめきを持った大きな存在なしには」創出されなかったでしょう。一方,成瀬先生はよく「多くの仲間がいたから,臨床動作法はここまで発展した」といわれます。先生のいう仲間とは,研究者や実践家,あるいは研修会メンバーだけではなく,脳性まひの子どもや保護者といった当事者を含めた広い範囲のひとたちを意味しているようです。
 こうした仲間には,臨床動作法の‘この時期に夢中になって実践した’や‘この技法の開発に自分は深く関わり合った’など,臨床動作法の歴史に自分の人生を重ね合わせているひとが少なくありません。それほど,この臨床動作法の四十数年間は,それぞれにとって活気に満ちた人生の一部になっているのだと思います。卓抜なオルガナイザーとしての成瀬先生のもとで,エネルギッシュに臨床動作法に取り組んだその仲間の一員になれたことは,私自身にとって本当に幸運でした。
 昨年の秋,韓国で心理リハビリテイションの会が開かれたとき,ある分科会で地域貢献の話が出ました。トレーニーとして動作訓練に習熟している脳性まひのある青年が仲間と共に,地域のひとに動作訓練をする会を運営しており,大変好評で採算もとれているということでした。その話は,会に出席していた,教育現場を退職して早十数年になる元教師にとって大きな刺激となりました。このあと,そうした教師たちや脳性まひのひとたち,そしてその高齢の保護者たちと話し合ったのは,次のようなことでした。
 長年,動作訓練法を行ってきて細かいところの援助のポイントが分かっているので,からだに直接触れて援助をしなくても,言葉で詳細に助言することでかなりの程度まで援助できるのではないかということでした。これは対象者を選ぶとしても,可能性は高いと思いました。私は,これまで,からだに触れられることに抵抗感のある神経症のひとには,からだに触れない臨床動作法を行ってきましたが,言葉が理解できるひとであれば誰にでも適用できる臨床動作法の実用化を本気には考えていませんでした。援助者として以前のように対象者のからだをしっかりとは受け止められなくなったという事情や,他者を援助したいが自身に動作不自由があるという事情を解決する援助法が,こうした仲間の現場感覚のもとで,これから生まれてくるという期待が膨らみます。
 平成12年に,福岡教育大学から秋田大学に赴任し,その4年目に附属幼稚園長を併任したことにより幼児への動作法に取り組み始めました。しかし,そのヒントは福岡教育大学大学院を修了して今は臨床心理士となって活躍しているかっての学生たちからのものでした。幼児の立ち姿にその子の生活体験様式が見てとれるという彼女らの観察は納得のいくもので,幼児の発達援助に臨床動作法が有効だろうとする仮説はすぐに立ちました。ちょうど,そこに,秋田県教育庁の幼保推進課から,「幼児のこころの育ち調査研究」の依頼があり,秋田大学大学院を出た臨床心理士や大学院生たちと3年間にわたり2つの幼稚園で幼児への臨床動作法を行うことになりました。その結果,幼児が動作課題を手がかりに自分自身に向き合い動作を実現していく努力過程を通して,ものごとに対してことを見極めながらうまくやっていけるという自信を自ら育てていくことが分かりました。この研究は,幼稚園における発達障害の幼児をはじめ多くの子どもへの援助につながるもので,今後さらに検討を重ねていきたいと思っています。
……(後略)

2007年2月10日 秋田・千秋公園を望みながら 鶴  光代