本書は,主として神経性無食欲症――過食症への言及も少々ある――に関する私の論文集である。
 もっとも論文集とはいっても一般向けに書いた文も混じっている。また専門論文でもここに収載しなかったものもある。ただし一般向けといっても手抜窺したつもりはないので,専門の方に役立つと思われるものを採用した。
 第二章は,もっとも長文の論文で,発表当時は評判を得たけれども,現時点から見ると批判すべき点が多々ある。例えば神経性無食欲症者の心的世界を描き出すことに終始して,その心的世界のもつ防衛的側面への着眼の乏しいことと本症と強迫的心性ならび抑うつとの密接な関連が論じられていないこととはすぐ欠点として目につく。P・ジャネの発見にかかわる成熟嫌悪を,本症を説明する主導概念として用いていることも,その後のわが国の研究者たちによって批判されている。この問題に対するその後の私の考えの展開は,7章と8章とにおいて少しく触れておいた。しかし,本論文にも取り柄がないわけではない。本症に関する論文は今日おびただしい数に上っているが,私のみるところ,私が行なったほどの詳しい症例の分析――1,2例の症例報告は別として――は,まずみられない。いずれにせよ27年前に発表された本論文はすでに古典に属する。この論文が今日の若手の研究者たちによって再検討されるようになれば望外の幸せである。
 3章までは,私が順天堂大学医学部に奉職していたときに書いた。それ以後の章は,多忙な開業生活を送るかたわら書いたものである。
 元来,私は自己の臨床体験をもっぱら土台として論文を書くということを心掛けてきたが,開業以後は,この傾向がさらに徹底したと思う。こんな次第で,治療論は,外来通院治療が主として取り上げられている。そこでは,私の日々の治療の流儀がそのままに叙述されている。私はこのような治療の進め方によって,多年にわたって治療の実効を収めてきた者であるから,治療論についてはいささかの自信をもっている。しかし反面,文献的渉猟がほとんどなされていないことは欠点といえよう。したがって,あるいはひとりよがりの面がないとはいいがたい。読者の遠慮のない批判をいただきたいところである。
 ところで,同一の病態を対象とした論文集という性質上,ある程度の重複を避けることはできなかった。この点については読者の御宥恕を乞いたい。また先行論文とその後の論文との間には意見に微妙な相違が見られるところもあると思う。これは自然の成行きであった。
 かえりみると私はほぼ30年余の長きにわたって神経性無食欲症の治療に取り組んできた。初めに論文をものしたころは,こんにちにおける本症の爆発的ともいえるほどの流行は,まったく予想もしなかった。この情勢の変化についていくばくかの感慨をもたざるを得ないが,同時に長年の治療努力のわりにはその収穫の乏しさを嘆じないわけにはいかない。
 神経性無食欲症の経過確認,家族療法の工夫ならびに私の治療技法と現代精神分析理論との照合など今後まだ私のなさねばならぬことが残されている。したがって本書は,私の摂食障害に関する第一論文集のつもりである。
 なお論文を本書に収載するにあたって,症例のプライヴァシイを守るために二,三の論文の表現に修正を加えたことを付記しておく。
 ここに収めた諸論文の成立について,患者とその家族,私の家族ならびに同学の先輩と同僚の方々のおかげを蒙ったことはもちろんだが,ここでとくに私のふたりの師,懸田克躬先生と村山七郎先生とに心から感謝申し上げたい。
 懸田先生は臨床経験を徹底して重視すべきことを長年にわたって身をもって教えて下さった精神医学の師であり,村山先生は世界有数の言語学者であるが,学問をすることの醍醐味を教えて下さった。かりにこの両先生の御教導がなかったならば,私が現在にいたるまで,ものを書きつづけるということもなかったであろう。
 ……(後略)

昭和63年7月 著者