本書復刊にあたって

中村伸一 (中村心理療法研究室)

 本書は,下坂幸三先生の名を斯界に知らしめた「青年期やせ症(神経性無食欲症)の精神医学的研究」(精神神経誌,1961)を含む,先生の生涯のテーマであった摂食障害に関する初期の論文を収録したものである。
 金剛出版の話によると,本書初版の完売時,金剛出版からの重版要請に対して,先生は全面的に補注を付し,さらに本書に寄せられた批判に対する反論など,新たな章を追加して,増補版として刊行されることを希望されており,そのため追補を完成されるのを待って増補版の刊行を予定したというが,残念なことに,先生は2006年3月に急逝され,増補版の刊行は不可能になってしまった。
写真1
写真2
写真3
 さて,2006年に高崎で開催された日本家族研究・家族療法学会第23回大会の折に行われた下坂先生を偲ぶ展示で目にされた方も多いと思うが,先生の手元に残されていた本書(本書に限らず,自著はすべてそうだが)には,写真1のように,びっしりと付箋が貼られ,本文中にもいたるところにマーカーや傍線が引かれており,ところどころには書き込みもみられる。また,見返しの部分や挟みこまれたいくつもの紙片(写真2,3)には,先生独自の書体でマーカーや付箋に対応すると見られるメモが書き込まれている。
 これをみた金剛出版から,これらのメモや書き込みを拾い出し,補遺という形にまとめたものを追加して本書を重版できないだろうか,との相談が私に持ち込まれた。そこで,金剛出版の方と一緒にこれらのメモを詳細に検討してみたのだが,これらのメモは極めて私的な覚え書きで,その意図するところが他人には判然とせず,本書に対する補注の準備だけでなく,ご自身の考えを発展させるために問題を整理したり,新しい発想を引き出すための材料となりそうなポイントだったり,研究会や講演のための抜き書きがまじっていたりしていると思われること,そして多くがドイツ語まじりの断片的な走り書きで,判読できない部分も多いことから,先生の意図を読者に意味ある形で伝えるような補注を作成することは不可能であり,断念せざるを得なかった。
 そこで,わずかな誤植の訂正を指示されている部分以外は,金剛出版と相談して初版のまま復刊することとなった。先生が考えておられた補注や追補が実現できないことは誠に残念であるが,そのことが本書の価値を下げるものではなく,以下に述べるような理由で,むしろこの貴重な文献が復刊されないことの不利益のほうが,大きいと思われるからである。
 ここで僭越ながら本書の第二章として組み込まれている「青年期やせ症(神経性無食欲症)の精神医学的研究」と銘打った論文の歴史的意義と,この論文にすでに含蓄されていた下坂幸三先生(以下著者)のその後の臨床的発展について若干の解説を加えてみたいと思う。
 本論文はわが国における神経性無食欲症(Anorexia Nervosa:以下アノレクシア・ネルヴォーザと記す)の精神医学的研究,とりわけ精神病理学的研究の先駆的論文として最重要なものであり,現在でも国内のアノレクシア・ネルヴォーザに関する諸論文のほとんどすべてに引用参照される論文であることは言うまでもない。この論文に目を通されたことのあるものなら誰しも,著者による内外のアノレクシア・ネルヴォーザに関する先行研究の肝要な紹介とそれらへの検討と批判,それらを踏まえての本論の存在意義についての主張にはじまる書き出しには迫力すら感じるであろう。それほどまでにこの「奇病」の原因はこの論文の出現まで暗中模索だったといっても過言ではない。
 本論の読みごたえは,なんといってもその症例研究の肝要かつ緻密さにある。そこでは患者の現症における精神病理だけではなく,その発達的病理と背景にある家族病理にも綿密な現象記述が施されている。掲載誌が今日のように紙面を少なく規定していなかったという事情もあり,それだけにアノレクシア・ネルヴォーザの多面的な理解とその後の研究課題についても無限大の可能性を秘めたものとなっている。
 著者は約5年間で25例の症例を経験し,そのうちの18例にもとづいて考察を展開する。なかでも9例についての叙述を症例研究の柱に据えている。もとより著者は,「本論文においては患者の心理の追及が最大の関心事であり,統計的研究をめざすものではないから……」と控えめだが,18例という症例数は,昨今の最低30例とされる統計的研究に耐えられる症例数には及ばないものの,当時としては,あるいは現在においてもひとりの医師がアノレクシア・ネルヴォーザに直接かつ密にかかわった数としては膨大であり,この論文の科学的信憑性を高めている。これらの症例はすべて著者自身による精神療法的関与と,そこでの冷静な心理あるいは行動観察の記載からなり,その症例描写のそれぞれに,フロイトの『ヒステリー研究』の個々の症例を読んでいる時のような患者との近接感と医師としての厳しい観察眼が感じられる。
 特に患者の心理探究をめざした論文であるだけに,患者自身のことばそのものの陳述や手記の提示,そして主に患者と密に接している母親からの情報から構成された生活歴と病歴とは仔細にわたりかつ無駄がない。こうした叙述から読者はアノレクシア・ネルヴォーザの家族関係を三世代にわたって読み取ることすらできる。このような主観をできるだけ排除した慎重な症例記載の方法自体も読者には学ぶべきところが大いにある。
 代表的症例である〈症例1〉のなかにでてくるいくつかの記述を紹介しつつ,著者の肝要できめこまかな描写と,そこから垣間見られる著者のその後の研究発展の萌芽を読み取ってみたいと思う。以下の文中の〈 〉は著者の原文のままの引用である。
 ○○戦世〈14歳8ヵ月の少女。同胞4人中の第一子。家庭は中流,父は会社員,有能だが,家庭的な方ではない。母は内気,気丈な姑につかえ,「自分を殺して」今日にいたった。子供達に対してはやや口やかましい。姑は家中を思い通りにきりまわさぬと気が済まぬ激しい気性で76歳になるが,かくしゃくとしている。4年以降卒業まで主席で,3年連続して学級委員に選ばれた。彼女の才能を買った父は,女は家庭にいるばかりが能ではない,職業を身につけたほうが良い,将来女医になれとつよくすすめた。また,父も祖母も,戦世は頭がよいから男だったらよかったと口癖のようにいうようになった。〉〈「嫁にいって平凡になってしまうならつまらない」〉〈「食べないで勉強すると凄く頭がサァーッとして気持ちがよかった。数学でもパッパッと解けるので気持ちよくなってしまった」〉〈つよく母を慕い,面会に来た母を離そうとしない。しかし母以外の家族には会いたがらぬ。〉〈「女の子って嫌い,グチャグチャしていて」,女は皆嫌いかという質問に対して,「小さい女の子とお婆さんならよい,年頃の女の子や大人の女の人が嫌い」と答えた。〉〈「わたし,わがままならわがままでいいの,先生もはっきりそういってよ」とつめよってきたこともある。〉〈わたくしに対しては,終始,依存と反抗の混じた両価的ambivalentな感情転移を示したが,……〉〈「自分が病気してからバラバラだった家庭がまとまってきた」,「両親も自分の話をよくきいてくれるようになった」と述べ,「自分の病気も無駄ではなかった」との感想を述べた。〉〈なお,観察者にとって重要と思われたことは,彼女が,結果的には,疾患を通して従来不十分なものであった「母親との愛情関係を確立」したことである。彼女は,あらゆる機会に,母と二人きりの時間を過ごすことに腐心した。自身「こんなにゆっくり母と話ができたのは生まれて初めてだ」と告白してもいる。〉(本書31〜39頁)
 これらの記述の断片を読んだだけでも,読者は,著者がいかに患者本人だけでなく家族にも深い精神療法的接近をしてきたかをうかがい知ることができるだろう。三世代の家族関係とその変遷が症状形成にいかにかかわってきたか,症状の家族関係に及ぼす衝撃と効果,とくにその肯定的意味などを十分に事例からよみとることができる。こうした症状の持つ家族関係への肯定的変化への力は,1970年代になってようやく諸外国の家族療法家が指摘しているが,著者はその十年以上も前に治療的接近を通じて発見しているのは驚嘆に値する。さらに著者がのちに「平凡恐怖」として取り上げた本症のもうひとつの特徴も患者自身がこの事例で語っているのも興味深い。
 その後の著者はアノレクシア・ネルヴォーザに対する個人療法からさらに進んで,家族療法的アプローチを取るに至り,より一層の治療成果を収めたが,以上に引用した記述の断片からですらその後の発展を予測できる。加えて患者の病理と特にその母親との関係の病理はカーンバーグの境界性人格構造Borderline Personality Organizationの特徴の多くに合致することをも後の著者は指摘するに至るが,そうした観点からこの論文を読み直すと,わが国におけるきわめて先駆的な境界例およびその家族への理解と治療という重要な貢献も含まれていることは特記するに値する。
 さてこれらの症例から著者によって抽出された心理的特徴を列挙しよう。(1)成熟に対する嫌悪・拒否,(2)幼年期への憧憬,(3)男子羨望,(4)厭世的観念,(5)肥満嫌悪,痩身に対する偏愛と希求,(6)禁欲主義,(7)主知主義,以上7項目であった。
 このうち「男子羨望」は本論の要約にも述べられているように,「女子の成熟は男子に比し,心理的,社会的意味において,はるかに大きい困難を内包するため」の特徴であり,現在とは隔世の感があるといえるかもしれない。その後の著者も時代的な変遷と本症の時代的変遷をつぶさに観察し記述しており,興味ある読者は本著の第5章や第六章をお読みいただきたい。
 一方,これらの心理的特徴として掲げられた7項目の中には含まれてはいないが,要約のなかで,「従来,注意せられなかった固有な症状として,けちと変化をおそれることとの二症状を挙げることができる」とし強調している。この二症状は現在でも多くのアノレクシア・ネルヴォーザの患者たちには共通していると思われる。特に「けち」は,何気ない日常用語でありながらアノレクシア・ネルヴォーザの行動特徴を如実に示している点でより貴重な指摘であると思う。筆者の患者の一人もその慢性的な盗癖の理由を「こんなつまらないお菓子にお金を払う気がしない」と述べていた。
 以上述べてきたように,わが国のアノレクシア・ネルヴォーザ研究における金字塔的論文である本論以降も,著者はアノレクシア・ネルヴォーザとその家族に深く精神療法的に関わり続け,さらにこの疾患の時代的変遷についても論考を加えている。他の著名な論文をなした人々と比較しての,おそらくは最もきわだった著者の臨床活動の特徴は,丹念な時間をかけた精神療法的面接を長期にわたって続け,そこから得られた知見を生涯にわたって著し続けたという点である。しかしながら著者のアノレクシア・ネルヴォーザ研究の出発点であるこの論文には,その後の著者の臨床活動と研究の広がりとのすべての要素が含まれていたといっても過言ではない。アノレクシア・ネルヴォーザあるいは摂食障害に携わる臨床家であれば必ず,本論文を熟読した回数だけ,患者とその家族関係にたいする理解が深まり,前回読んだときとは異なる数多くの発見も見出されるような宝庫となるだろう。「精神病理学」という観点からすれば,個人のさらに家族の精神病理とはこのような質の高い精神療法的関わりをしてこそ知りうるという重要な証拠がこの論文でもある。
 さて本著の構成を見渡しても,その後の下坂先生が歩まれた初期の臨床研究が鳥瞰できるものとなっている。先に触れたように第5章と第6章では摂食障害と家族環境・社会環境との関連を臨床知見の中から述べられている。下坂先生は,自分の「小さな臨床の窓」から垣間見られる社会の変化について控えめに語られていた。しかし,すべからく臨床と読書の「虫」とのイメージは先生にはふさわしくない。社会変動と共に家族も変容し,患者たちもこの50年で大いに変わったとことあるごとにおっしゃり,それらの変化に合わせた介入を心がけておられた。最近のテレビ番組や若者の文化,政治や外国文化の影響などについてもよく話題にされていた。若者の流行ことばもすぐに臨床面接に取り入れられていた。こうした努力の証として,御高齢にもかかわらず多くの若者の患者さんたちに慕われていたことは,その後に何人かの方々の治療を引き継いだ私にはよくわかる。「これからは社会ウォッチングをして回りたい」「今の都会の若者の生態をじっくり観察したい」と何度かおっしゃっておられた。このように今の現実社会から決して遊離しない臨床を最期まで心がけておられたのである。
 「過食・嘔吐」への取り組みは特に開業なさってからの業績であろう。この現象は今でも多くの若者にみられる。軽重さまざまでその背後にある精神病理もさまざまだが,私にとっては,第13章に要約されている先生の極めて具体的な対応法は,特に慢性で重症とされる患者とその家族を援助する際の動かざる指針となっており,多くの患者と家族たちとの治療でこの指針をなぞることでよい経過を得ることができている。臨床家のために一見マニュアル的に書かれている章ではあるが,その他の章からなるこの病態への患者と家族への深い理解が背景にあることが御理解いただけるであろう。
 本論文集以外にも多くの著作を先生は出されたが,このたび黒田章史氏と共に『心理療法のひろがり』(金剛出版,2007)と題した著作集を出すお手伝いをさせていただいた。ここでは先生の最終的に到達された心理療法への工夫と思いが語られている。摂食障害の心理療法から始まってあらゆる心理的障害や苦難にある患者と家族にどのような援助が必要なのかを比較的平易に説いたものが多い。ただ,そこまでの到達点に至るまでの土台のすべてが本書の中にいまだに息づいていることを読者諸氏に感得いただければ,ささやかながら本著の復刊を手伝わせていただいた私の望外の喜びである。
 下坂幸三先生の長きにわたる御指導に深謝いたしますとともに,その御業績を後世の臨床家にお伝えしてゆく使命を担ったもののひとりとして。合掌。