おわりに

 今後,「司法臨床」の対象領域は,家庭裁判所や福祉諸領域から,地方裁判所など裁判所全般,さらには犯罪被害者支援,学校などの関係諸領域に拡大するものと思われる。
 すでに,新しい成年後見制度がスタートしたり,離婚訴訟などの人事訴訟事件が家庭裁判所の管轄に移管したことによって,家事事件においては,他機関との連携や訴訟事件への関与に拍車がかかっている。少年事件においては,修復的司法の重要性が認識されるにしたがって,犯罪や非行を地域社会の問題として解決しようとする動向が強まっている。刑事司法においても,2005年に「刑事施設及び受刑者の処遇等に関する法律」によって受刑者の資質や環境に応じた適切な処遇を行うことが要請された。さらに,2009年には一般市民が刑事裁判に参加する裁判員制度がスタートする。
 このように見ると,現代社会が司法に要請するさまざまな問題については,家庭裁判所における狭義の司法臨床として対処するだけでは足りず,当然,司法と福祉関係機関,学校,病院などとの協働による広義の司法臨床として取り組まなければ,すべての国民の期待に適うことはできない。家庭裁判所に限らず,今日論議されている司法制度改革の焦点はまさに「司法の協働体制」の実現ともいうべきものである。この点からすれば,本書は狭義の司法臨床を主にした議論であり,現代社会の諸問題に具体的に対応する広義の司法臨床の展開については今後の課題として残されている。
 しかしながら,司法臨床の場である家庭裁判所と司法臨床家とも称されるべき家庭裁判所調査官の活動を基にした「司法臨床論」を構築することの意義は以下の点で強調される。すなわち,本書の各章で詳述したことであるが,「司法臨床」とは,単なる「司法」と「臨床」によるアプローチではないということである。司法領域に密接に関連する,少年非行や児童虐待,離婚など今日の子どもと家族が抱える問題に適切に対処するための,司法における臨床的実践こそが「司法臨床」と称されるべきものだからである。今後,家庭裁判所と行政諸機関等との協働による広義の司法臨床的実践が必要不可欠になるからこそ,法と臨床の基本的枠組みを理解して両者を橋渡ししておかなければならない。そのための中核となる方法論的視座を本書で提示したものである。
 本書をまとめていた2006年10月に,二人の少年に対して重要な司法判断が下された。大阪地方裁判所は,逆送後の寝屋川教職員殺傷事件の18歳の少年に懲役12年の判決を下したうえで,少年刑務所に対して少年の広汎性発達障害をケアするように求める異例の意見を述べた。また,奈良家庭裁判所は,母子放火殺人事件の16歳の少年に対して,精神鑑定で指摘された広汎性発達障害の専門的治療は必要ないとして中等少年院に送致した。
 この二つの司法判断は,少年に対する現在の司法制度では刑事処分を選択するにしても保護処分にするにしても,発達障害のある非行少年にはいずれも適切な対応ができないことを図らずも示したといえよう。
 約100年ぶりに監獄法が改正され,受刑者の資質や環境に応じた処遇を行うことが新法で求められたとはいえ,刑事処分の基本は犯罪者に対する応報と隔離を目的とした受刑者処遇であることに変わりはない。寝屋川事件の判決は,刑事処分を選択しながらも発達障害の少年の処遇には専門的なケアが必要であることを認めざるを得なかった司法の苦渋がにじみ出ている。
 一方,保護処分は,制度的に臨床的な機能が付与されているとはいえ,刑法の特別法である少年法に基づいたものであり,その処遇は刑事処分を基盤として成り立つものである。一部の少年院では発達障害に対応した個別処遇を試みているが,依然として受刑者処遇をモデルとした矯正教育の枠に制約されている。関係性の障害が著しい少年にとって少年院での集団行動はさらに状態を悪化させるおそれさえある。
 また広汎性発達障害のある少年は興味関心事にこだわる傾向があり,寝屋川事件の少年は「刺すこと」に,奈良事件の少年は「家を燃やすこと」にそれぞれ執着して事件に至っている。どちらの目的も臨床的には了解できても法には受け入れられず,結局殺意があったかどうかという法的議論に集中してしまい,少年の臨床的な個別性が十分に検討されないまま司法判断に委ねられている。
 すなわち,すでに半世紀以上も前に制定された,刑事司法を基盤とする少年に対する司法制度による限り,いずれを選択したとしても発達障害的傾向のある非行少年を適切に判断し処遇することは困難である。彼らに今求められている支援方法は,臨床的知見に基づく少年司法による個別支援プログラムである。まさに,「臨床を基盤とした司法」ともいうべき少年司法システムのパラダイムシフトが必要なのである。逆説的であるが,このプロセスを経ることによってようやく「司法における臨床的関与」の方法が具体的に明示されていくものと考える。
……(後略)