監訳者あとがき

 本書は,ロバート・コーレンバーグ(Robert J. Kohlenberg)とマービス・サイ(Marvis Tsai)の「Functional analytic psychotherapy: Creating intense and curative therapeutic relationships」New York: Plenum Press 1991の全訳である。本当に本書が完成し,出版されることとなり,誠に喜ばしい限りである。
 臨床心理士,精神科医,その他心理的援助に従事している実践家,ならびにそれらの職を目指す大学院生,大学生,その他できるだけ多くの方々に本書が読まれることを願っている。その中でも特に読んでいただきたい方々とその理由を書いてみる。そうすれば本書の概要が浮き彫りにされ,私のように「あとがき」から読む癖のある方の助けになるかもしれない。
 精神分析のオリエンテーションの方は,本書に書かれている多くがなじみのあることに気づくだろう。本書の説く機能分析心理療法(FAP)は,セッション(面接)中のクライエント,セラピスト自身,そして両者の関係を注意深く観察することを強調している。クライエントが改善したいと願うのはセッションの外の自分であるが,そのことは,クライエントの問題がセッション中に起こらないことを意味しているわけではない。むしろ,たびたび起こるかもしれない。セラピストはそれ(本書では臨床関連行動と呼んでいる)をとらえ,その生起と維持に関与している変数をセッションの中から探し出す。成人の外来治療は,一人のクライエントと一人のセラピストだけで行われることが多いので,セッション中のクライエントの問題の生起と維持に関与する変数は,セラピストもしくはクライエント−セラピスト関係にまつわる何かである。このように,セッション内の,「いま,ここに」いるクライエントとの治療関係を見つめるFAPのアプローチには,精神分析だけでなく,ユング心理学やパーソンセンタードアプローチの臨床家も自分たちの考え方,やり方との共通点を見いだすに違いない。
 多くの共通点があるのなら,あえてこの本を読む必要はない,と考えるとしたら,残念ながら,それは間違いである。第一に,本書には行動療法の最新モデルの一つであるFAPが最も詳しく述べられているからである。自分のオリエンテーションとは異なる行動療法に批判的であるなら,その批判により説得力を持たせるために,本書を読むことが強く勧められる。「まず,敵を知る」のである。第二に,行動療法以外のオリエンテーションの臨床家にとって,本書は行動療法への入り口として最適であるからである。近年,エビデンスに基づいた治療法の選択ということが重視され,いくつかの精神疾患には,認知行動療法が最もエビデンスがあるといわれている。主にそのような事情により,精神分析その他のオリエンテーションの臨床家が行動的心理療法に強い関心を抱いている。しかし,何冊かの本を手にはしたものの,どうも,しっくりこない。やはり,「行動療法」というものは自分にはあわないようだ。気に入らないものをおのれの治療実践に取り入れるわけにはいかない。そのような方に,本書は特にお勧めである。自身の臨床オリエンテーションとの驚くべき共通点が,本書を表層的にではなく,その真髄まで読み取ることを可能にするであろう。
 行動療法家にとって,本書は治療関係のよい教材となるであろう。行動療法家はクライエントとセラピスト間の治療関係を無視あるいは軽視している,という批判を聞くことがある。この批判に対しては,そもそも,クライエントの問題解決に治療関係が本質的な変数なのだろうか?という問いも成り立つ。しかしながら,治療関係は治療にとって重要ではあるがそれだけで治療がうまくゆくわけではない(治療関係は治療の必要条件ではあるが十分条件ではない)と考える者も含めるなら,治療関係についての訓練の必要を認める行動療法家は決して少なくないだろう。ところが,ここでひとつの疑問にぶつかる。では,行動療法家は治療関係をどうやって学んでいくことができるだろうか?
 本書の第7章で著者たちは,治療関係が行動療法家によって言及されることはめったにない,と指摘しているが,わが国でも行動療法の教科書・専門書・その他の文献において,治療関係の記述を見つけることはきわめて難しい。いきおい,この問題について豊かな蓄積のある,精神分析やパーソンセンタードアプローチの文献に頼ったり,こういったオリエンテーションの臨床家から指導を受けることになる。もちろん,行動療法を志す者が精神分析を学んではいけない,と考えているのではない。幅広い視野と経験は臨床家としての成長にきわめてよい影響を及ぼすに違いないし,多様な価値観を受け入れる柔軟性もまた,臨床家にとって欠くべからざるものであろうからである。その意味で,行動療法家を含む臨床心理士の養成には,むしろ異なるオリエンテーションに基づいた複数のスーパーバイザーの指導を受ける方が望ましい。しかしながら,他のオリエンテーションの臨床家もしくはそのタマゴの中に行動療法がほとんど「体質的に」受け入れられない人がいるように,かつての私がそうであったように,精神分析やパーソンセンタードアプローチが頭に入らない行動療法家あるいは学生がいることも事実である。そのような行動療法の教師(スーパーバイザー)あるいは学生(スーパーバイジー)にとって,クライエントの援助に治療関係がいかに重要であるかを行動主義の枠組みの中で説いている本書は,まさに最良の教科書といえる。
 認知行動療法や認知療法の専門家にとっては,本書にこそ長年探していたものが書かれているかもしれない。いくつかの精神疾患の治療には最も有効であるというエビデンスのためか,「認知」という口当たりの良い言葉がその名称に使われているためか,近年,認知行動療法や認知療法といった認知的心理療法はわが国でも大いに関心を集めている。研究者ならびに臨床家として成長する時期を認知行動療法の専門家に囲まれて過ごした私は,しかし,認知的心理療法を臨床の主戦力とするすべての方が,その理論的背景に満足しているわけではないことを知っている。本書第5章で述べられているように,認知的心理療法はその理論と実践の間に深刻な乖離が認められる。また,行動を認知によって説明するのが認知的心理療法の大枠であるが,では,その認知は何によって説明されるのだろうか? 天から降ってきたのだろうか? 地から湧いてきたのだろうか? 認知的心理療法はこの問いに沈黙したままである。
 その答えは,本書の中にある。本書には認知的心理療法家が「認知」と呼んでいるものを制御している変数が書かれている。そのことの持つ実際的意味は理論的意味に匹敵する。認知の制御変数が同定,操作できれば,認知の制御が可能となるからである。認知行動療法や認知療法から学んだことですでに認知の制御はできるようになっている,と考える方には,今現在有している技術より,確実に効率よく強力に制御するための手がかりが本書から見つかるかもしれない,と述べておきたい。
 行動分析家が,成人の外来心理療法・カウンセリングを行うとき,本書はまさに座右の書となるであろう。本書第1章で指摘されているように,実験的行動分析で見いだされた行動の諸原理は,発達障害のある方への支援には絶大な成果をもたらしてきているが,不安障害や気分障害,人格障害といった成人外来治療にはほとんど貢献してこなかった。そのことを裏づけるものとして,応用行動分析といえば特別支援教育を連想してしまうほど,行動分析の実践家のほとんどは,発達障害を専門としている。しかし,現実には行動分析家も,勤め先で発達障害児の臨床だけに従事していたり,ハトを相手の実験にのみいそしんでいるわけではなく,学生相談を含む成人の外来臨床を求められることがある。その場合,これまでは,他に方法がなかったために,やむをえず,認知行動療法やその他の心理療法に頼っていたかもしれない。しかし,これからは違う。もはや行動分析とは似て非なる認知行動療法をおのれの主義に背いてひっそりと行うことはない。徹底的行動主義に矛盾することなく,成人の臨床ができる日が来たのである。本書を足がかりに,成人の外来治療の行動分析,臨床行動分析の道を歩んでいただきたい。
 すべての読者に共通して訴えたいことであるが,徹底的行動主義もしくは行動分析が,ことば,認知,私的できごと(本人しか直接知ることのできないこと)と呼ばれているものをどのように考えているのかを理解する上で,本書は特に適している。行動主義は無形文化財のような歴史的な遺物だとか,「こころ」のことは考えていないとか,人間を機械のように考えているなどと,いまだに信じている心理学者や心理学専攻の学生がいる。それらが不勉強に起因するまったくの考え違いであることは,本書をよく読むことで理解できるだろう。
 「不勉強」という言葉がでてきたついでに,本書には多くの専門用語が出てくる。「臨床関連行動(clinically relevant behavior)」のように本書に特有の専門用語の場合,その初出に原文を添えたが,「プロンプト」のように行動分析で広く使われている言葉には原語を省いた。これら行動分析での一般的専門用語は行動分析になじみのない読者には理解しがたいものであるので,簡単な用語解説をつけるという案も検討したが,やめにした。本書は心理学の教科書ではなく最前線の専門書である。日本語で書かれた行動分析の本が少なかった私の学生時代ならいざ知らず,いまや書店は行動分析の入門書であふれている。それらのどれかを辞書代わりにすることで,少なくとも心理学あるいは精神医学を学んでいるものには,本書は十分理解可能である。
 本書のオリジナルが出版されたのは1991年である。正確には記憶していないが,私はそれからほとんど日をおかずに,その原書を購入した。当時,行動分析に基づいて成人の臨床ができないものか考えていた私は,この本とFAPの存在を知り,「これこそ私が探していたものだ」と喜び,安心した。しかし,今,私はそれが間違いであったと感じている。自分が求めているものをすでに他の者が発明・発見していたことを知ったならば,研究者たるもの喜んだりしてはいけない。ましてや,「私の考えは間違っていなかったのだ」などど安心してはいけない。先を越されたと悔しがらねばならないのである。もっとも,本書のまえがきにも書かれているように,すでに1987年に,ある本の一章の中でFAPは発表されているので,遅くとも1980年には著者たちはこの治療法の開発に着手していたと推定される。1980年といえば,わが国ではやっと認知行動療法が「認知的行動変容」という名で紹介され始めた頃である。私はまだ大学生にもなっていなかった。生まれた時期が違うためにKohlenbergとTsaiより先に私が臨床行動分析の創始者になることは不可能であったといいわけができることがせめてもの慰めである。もちろん,先を越されて安心しているようなものには,たとえ1980年に研究者として一本立ちしていたとしてもこのような偉業を達成することはできなかっただろうことは自覚している。
……(後略)

2007年2月 大河内浩人