『日本語版への序文』

 古の公案にこんな一節がある。ある禅僧が韶山にこう尋ねた,「真でもなく偽でもない寸言とは存在するのですか?」韶山は答えた,「一片の白雲には醜いところが全くない」。この公案を見ると,自然界とは人間の区別や評価とはかけ離れた存在だと書いてある。そう,単に存在するだけなのだ。従って,悟りの第一歩とは,そのような現象を意味づけようとする人間の行為が,現象を規定するものでなく,また現象そのものを完全に表現することではないということに気づくことである。また,私たちが何らかの解釈をしようと執着することは,理解しようとする現実についてよりも,むしろ人間の精神のもつ習性を示しているということに気づくことである。
 韶山の白雲の喩えのように,死とはある意味で,人間が行う区別の行為やそれが正しいか否かの評価とは無関係に存在する。つまり,死とは単に私たちの人生の条件なのだ。だとしても,このことは,宗教的な意味づけであれ,宗教に関係ないものであれ,科学的,個人的,あるいは文化的な意味づけであれ,あらゆる形で死を意味づけようとする行為を否定するものではないこの本が前提とするのは,死別をもっと有益な形で理解することこそ,人生における個々の意味づけと死という普遍的現実が調和する境界になるということである。死別を体験した人と身近に接している人なら誰でも証言するように,喪失は,私たちの人生を形作っている大切な仮定の多くに疑義をさしはさむ。例えば,親が乳幼児の突然死を理解しようとするとき,あるいは,家族が父親の自殺を悲しみに暮れつつも理解しようとするとき,あるいは,夫が癌で他界した後に遺された妻が人生を立て直そうとしているときに,こうなるのだ。死別のさまざまな側面に関わる新たなモデルや研究成果,また臨床実践を提示することで,今日の悲嘆理論は,大学,病院,ホスピス,開業臨床など,どの現場であれ,死を扱う研究者と臨床家などにとって,新しい発見をさせてくれる。
 本書の目指すところは,最も重要で影響力のあるパースペクティブの多くを包括的に取り上げることで,日本においても,こういう努力が始められるようにすることである。こうしたパースペクティブは,私たちが喪失に対する反応をどう理解するかについて,定義の見直しを迫るものであり,この反応は,愛する人の死に対して,創造して予期できる情緒的反応をはるかに超えている。まさに,本書中のさまざまな著者が語っている共通のテーマこそ,『悲しむこととは,喪失によって揺らいだ意味世界の再確認,あるいは再構成を,必然的にもたらす』ということである。死を意味づけ,またその経過において意味ある人生を立て直すこのようなプロセスが,いかにして遺された人の胸の内や頭で,あるいは会話や行為のなかで展開されるのであろうか? またそのようなことがもたらす適応するための示唆とは何であろうか? これが本書で最も重要なテーマなのである。
 喪失に際したときに意味を作り出すという,こういった構成主義的な視点は,現代の社会科学の広範なプロジェクトと相性がよい。そこでは,個人から社会,そして文化,言語に至るまでのさまざまな水準で,「現実」が構成される心理社会的プロセスが研究されている。重要なことは,心理療法の理論に関して,日本でも,欧米に劣らず,多様な立場が混在しているということである。その結果,そこでは,個人的な意味のみが強調されたり,社会的なアタッチメント関係を作ることが重視されたり,あるいは人生のナラティヴを語ることが重んじられる。ところが,こういった側面は,心理療法の各領域を形成するさまざまな理論的パースペクティブを拡張する重要な役割を果たす可能性がある。例えば,精神力動論の専門家なら,本書でも亡くなった人とのきずなの維持を放棄するのではなく,きずなの維持を尊重すべきであると提言しているように,フロイトの「グリーフワーク」仮説の定式化を抜本的に見直すことに気づくであろう。ユング派の専門家なら,喪失の結果としての意味の探究にしばしば広がるスピリチュアリティを重視するという類似性に気づくであろう。クライエント中心療法をはじめとした人間性心理学の専門家なら,死という影の中でさえ,個人的な意味づけを探究し,また人間のリジリエンス(回復力)と成長をサポートすることに尽力することを評価するであろう。システム論的家族療法の専門家なら,愛する人が亡くなったとき,夫婦や家族間で,時には同じように考えたり,あるいは不一致したりもするが,彼らがそこから新しい意味を創造していくべく奮闘する様子が克明に書かれていることに共鳴するであろう。認知行動論の専門家なら,死別の経験者が,喪失を克服できるような機能的な考えや,あるいはずっと悩んだり,そればかり考えたりするような非機能的な思考を批判的に検討するということに,自信を覚えるであろう。そして最後に,ポストモダンセラピーの専門家なら,ナラティヴがライフストーリーの構成や,死別後のストーリーの書き換えに重要な役割を果たすことを見出すであろう。心理療法は広範な領域に渡っているが,喪失に焦点を当てた構成主義は,死という普遍的な問題に対して,それぞれの異なる心理療法理論の立場の妥当性をさらに高めるものであり,また別の立場の者が他の立場から何かを学び取れるように,各理論の橋渡しをすることを約束するものである。こうすることで,各理論の唱道者が他の理論から何かを学び取ることができるであろう。本書で示される新たな臨床実践はとても豊富であり,心理学の理論を超えて,愛する人を失ったあとの意味深い人生の変遷に向き合う遺族を支援する臨床心理士,カウンセラー,セラピスト,ソーシャルワーカー,緩和ケアやホスピスの職員,そして他の専門職の人々が,現場で実際に使えるものであると断言する。
 本日本語版の刊行を,2006年5月に逝去されたマイケル・マホーニー氏に捧げる。彼の名声を知る方ならご存じのことと思うが,マイケルはそれまでよりもずっと広範な領域の人々に,彼の独創的な研究を通してだけではなく,数多くの国々で思想や実践の意見交換を促す学術的・専門的対話のために,国際学会を設立する努力を通して,構成主義のメッセージを伝えたパイオニアであった。私は,共通の目標に突き進むにあたり,彼と友情を育み,協力できたことを誇りに思い,心から感謝している。

メンフィス大学(テネシー州メンフィス,米国)  ロバート・A・ニーマイアー, Ph. D.