『訳者あとがき』

 「あなたはもう(阪神大)震災から2年たったのだから,(悲しみから)回復するはずよ」――この言葉は,ある新聞記事に実際に紹介された臨床心理士の言葉である。無論,このような言葉が本人をどれほど傷つけるものとなるか,本書をお読みの読者諸兄姉であれば,容易に想像がつくであろう。(至極あいまいな記憶で恐縮だが)記事でもこの言葉は批判的に書かれていたようであった。実際に,この記事とは無関係に,信じられないことではあるが,私はそのような心ない臨床心理士や精神科医が現実にいることを以前から知っていた。いや,厳密には,多くの死別体験者や遺族と接する中で,知らされてしまったというべきであろうか……いずれにせよ,私は同業者として,このような言葉を聞くと非常に残念な気持ちになり,暗澹たる思いでひどく落ち込む。なぜこんな言葉が出るのだろうか? 悲しみに期限など,ない。そんなものあるはずがないのだ。死を迎えることは,確かに生物学的に見れば絶対的な終末であり,人生と決別することに他ならないが,遺族にとってそれは終わりではなく,別の人生が始まることを同時に意味する。ボウルビィやキューブラー・ロスに代表されるような“悲嘆の段階説”は多くの臨床例を基に紡ぎ出され,臨床上もきわめて意義深い。しかし,悲しみは一様ではないという言葉通り,いくつかの段階に分けたところで,これによる理解がすべてだというわけではない。むしろ,愛する人,大切な人とのきずなは,死別後にもさまざまな相互交流をダイナミックに経ながら,よりいっそう精神的に,“スピリチュアルに”強まり,この力こそが死別後に生きる原動力となる。こうして,死別に対する『意味づけの再構成』が行われていくのである。よく悲しみの受容と立ち直りという言葉が使われる。この言葉すら,訳者が面接した子どもと死別したある遺族の言葉を借りれば「不正確」であり,「悲しみを受け容れることなどありえないし,立ち直ることもありません。あるのは別の人生をどう生きていくかなのです。」
 残念なことに,死別,喪失,悲嘆といった問題に関わる専門家や臨床家がまだ日本に数少ないこと,そしてこうした専門家は,特にこの問題については旧来の精神分析的な発想や,これを元にした悲嘆段階説に固執し続けたために,新しい発想が生まれたり,紹介されたりする土壌がこれまでほとんど育たなかった。こうしたことが,先の発言に見られるような専門家の「誤解」を引き起こしてしまった原因なのかもしれない。
 本書(“Meaning Reconstruction and the Experience of Loss”, Washington DC: American Psychological Association, 2001)の編著者ロバート・ニーマイアー(Robert A. Neimeyer)教授は,米国テネシー州のメンフィス大学心理学部教授であると同時に,個人開業で死別体験者への臨床活動を積極的に行っている。自らも父を自死で失った経験を持つ彼は1982年にネブラスカ大で臨床心理学の博士号(Ph.D.)を取得し,臨床訓練を終えた後,構成主義という立脚点から,喪失と死別に関する数多くの業績を世に問うてきた。その手になる著作は現在(2007年3月)までに,編著書17冊,学術論文200本以上にも及ぶ。さらに,Death Studies,Journal of Constructivist Psychologyの編集委員長や数多くの学術誌の編集委員を務め,死の教育とカウンセリング学会会長(1996-1997)や米国心理学会(APA)臨床心理学部門フェロー(1997)など,数多くの要職や学会賞,称号を受けた,死別と悲嘆,そして構成主義的心理学のいわばパイオニア的な存在である(公式HP(http://neimeyer.memphis.edu/)から)。日本でも平成18年秋に“Lessons of Loss: A Guide to Coping”が『「大切なもの」を失ったあなたに――喪失をのりこえるガイド』(鈴木剛子(訳),春秋社)として翻訳出版され,相前後する形で日本死の臨床研究会の招きでニーマイアー教授が来日され,各地で講演を行ったので,聴講された方も多いであろう。(なお,Neimeyerという姓の読み方であるが,構成主義の若手研究者であり,教授とも個人的に親しい共訳者の菅村玄二によれば,原語読みは氏自身の表現では“knee”,“my”,“R”という発音が正しく,これを日本語読みすると「ニーマイアー」が一番近いそうである。)因みに,弟のグレッグ氏もフロリダ大学で臨床カウンセリングの教授として活躍する構成主義心理学者である。
 本書は編者も述べているように,構成主義(constructivism)という新たな視点から死別,喪失,悲嘆といった問題に取り組んだ意欲作である。それでは構成主義とはいったい何であろうか? この問題に深入りするだけの紙面の余裕はないので詳細は省くが,一言で言えば,「個人の世界観は個人を取り巻く状況や環境を,個人がどのように構成していくか」ということである。似たような言葉に社会的構築主義(social constructionism)があるが,これらの言葉の相違点は必ずしも明確ではない。菅村(2007)の言説を借りれば,いずれの思想も“世界”(客観)が“わたしたち”(主観)から独立して存在しているとは考えていない。つまり客観的な事柄は,“ひとびと”の言葉によってどのようにも描写可能であり,“ひとびと”同士の対話によって作られるものであるという点で,共通した思想を持つ。しかし,構成主義の場合はジョージ・ケリー(George A. Kelly)のパーソナル・コンストラクト理論等を背景にしている点が特徴的である(ニーマイアー教授自身,自他共に認める熱烈なケリー派の構成主義者である)。ここで言うところの「科学の営み」とは,いわゆる妥当性(validity)の追究よりも,生活可能性(viability)のある知識の洗練プロセスだと考える。誤解を招かぬように述べるが,構成主義はあくまで科学における仮説検証の発想そのものを否定するのではなく,思想としての科学主義に異議を唱えるものである。(この点について詳しくは『現代のエスプリ』第475号「構造構成主義の展開―21世紀の思想のあり方」(2007)に掲載された菅村の論文を参考にして欲しい。)
 さて,本書の内容について簡単に概観してみたい。
 第Ⅰ部で従来の悲嘆研究の枠組みを徹底的に「破壊」し,批判し尽くした上で,これを打ち破る新たなパラダイムを提示している。第2章でのアティッグ教授によるC・S・ルイス『悲しみを見つめて』を引用しながら,人間の悲しみと魂,スピリットについて哲学的に考察している。本章は美しく,愛と魂に満ちあふれた心打たれる感動的な論考である。第3章におけるシュトレーベ博士の“対処行動の二重過程モデル”は,今まで主流だったラザルス流の認知行動論的ストレス理論の限界を克服する新しいパラダイムであり,近年の悲嘆理論でも非常に注目され,引用頻度が高い。シュトレーベ博士の論文が邦訳されるのは,おそらく本書が最初であろう。
 第Ⅱ部では,死別や喪失があっても,遺された人々と亡くなった人々とのきずなが変化しつつ,維持されることをさまざまなケースによって示している。第4章のクラス教授の論文は,亡き子どもの内的表象(inner representation)が親の内的世界と社会的世界においてどのように変化していくかを記述したもので,興味深い。第5章は特に重度の先天性知的障害を患った子どもとの死別に関する論文である。障害と死別という二重の“喪失”に直面する親たちの意味の再構成が真摯に,時にユーモラスに描かれているのは,読者も気がつくことと思う。
 第Ⅲ部では一見すると容易ではないと思われる「トラウマ後の成長」というテーマについて,実証的,臨床的な論文が並んでいる。第6章ではさまざまな喪失体験に苦闘した末に得られる進歩を「トラウマ後の成長」と定義し,多くの研究と臨床例からその妥当性を説明している。著者のカローン博士とテデッシ博士は,このトピックの世界的エキスパートであり,論述には説得力がある。第7章はパートナーのエイズ死後のスピリチュアルパワーについて,カリフォルニア大学(UCSF)での研究プロジェクトから知見を紹介している。この研究プロジェクトは認知的ストレス研究で著名なスーザン・フォークマン(Susan Folkman)教授がリーダーを務めていたものであり,多くの研究論文が著名な学術誌に発表されているので,目を通したことのある読者もおられるであろう。スピリチュアリティという概念は本章だけでなく,この書籍全体を通じて大きなトピックとなっているが,死別や喪失を考える上で避けて通ることのできない重要な要因であることが容易に見てとれる。第8章では死別後の成長について,半構造化面接によって得られたデータを分析し,紹介している。衝撃の強い死別体験であってもその後に成長したり,強くなったりすることが,意外なほどに多いことが示されている。
 第Ⅳ部では喪失・死別体験者のいわゆるナラティヴやストーリー(語り,物語)の再構成についてさまざまな考察が加えられている。第9章ではいわゆる「二次的外傷性ストレス」の問題について,二人のトラウマ・カウンセラーの体験が赤裸々に綴られていく。トラウマ・カウンセラーにとって,ここで語られる体験は当に貴重な「教訓」となって響いてこよう。第10章では,アカウントという社会心理学的概念を用いながらルーマニア人のさまざまな喪失体験のストーリーがどのように再構成されていくかについて考察している。著者のハーヴェイ教授は邦訳も出版されているので,ご存じの方も多いであろう。第11章では研究として行われた面接が,実はセラピューティックな意味を持つことを,事例を元に示している。死別体験の面接調査を行っていると同様の経験は訳者らも数多く経験しているが,調査面接に協力したいという希望を持つこと自体がすでに治療的意味合いを持つことは,本章にもある通り,構成主義の視点で考えればきわめて自然なことであり,ある面で,死別体験者への研究面接自体にナラティヴ・セラピーの意味があると言っても過言ではないだろう。
 第Ⅴ部は本書の白眉とも言える部分であり,構成主義的な悲嘆療法(グリーフ・セラピー)やグリーフ・カウンセリングにおける実践的な側面を詳述している。第12章は編者ニーマイアー自身の悲嘆療法の「公開デモンストレーション」における面接逐語記録と解説であり,最も注目すべき章である。ニーマイアーは悲嘆療法のマスターセラピストであり,練達の面接を知ることができるのは当に貴重と言えよう。セラピストの語る一語一語に詳細な意味を持たせ,クライエントの『死別の言葉』についても深遠に理解しつつ,重いテーマに対して隠喩的でユーモア溢れる面接が展開されているのはきわめて学ぶところが多い。文中にもある通り,ビデオ(英語版)も販売されているそうなので,是非ご参照いただきたい。因みに,ニーマイアー教授の構成主義心理療法の面接セッション(内容は本面接と異なる)の研修ビデオはAPAからも販売され(DVD,VHS),オンラインで購入可能である(http://www.apa.org/videos/4310704.html)。第13章は外傷後ストレスの構成主義的考察である。外傷後ストレスの構成主義モデルは暗黙の構成物という独自の概念を用いながら創り出されている。本書の中でもかなり難解な内容を含む章であるが,回避や再体験といったトラウマ症状が構成主義という視点から再解釈されることで,従来のストレス理論のような単なる反応症状論以上の,より深みのある理解が可能になり,介入の一助となるであろう。特に構成システムの再体制化において,メタ構成の果たす重要性は計り知れないことがよくわかる。第14章はビデオ録画法という技法を用いて,末期患者と家族の悲しみのプロセスでのさまざまな課題を完了させる様子が描かれる。ここで患者と家族は,治療という「舞台」に立つ「出演者」であり,演劇を演じるが如くに人生の週末を見事に演じきることに感銘を受ける。ナラティヴ・セラピーにおいて,隠喩は重要であり,この章でも多用されていることは特筆される。
 本書は方法論的に見ると,グラウンデッドセオリー分析などの質的研究と,統計学を駆使した量的研究とを統合し,新しい研究デザインの実践的な紹介書ともなっている。こうした技法は臨床上も有益であり,ニーマイアーも序章で述べている通り,さまざまな領域での応用が可能である。現在,喪失・死別に関わるあらゆる職種にある人々,言い換えれば災害・事故・犯罪の被災者・被害者支援,自死遺族支援,障害者や高齢者の介護家族支援などの喪失・死別に直接関わる専門家やボランティアだけでなく,医療,福祉,心理,教育,司法などあらゆる職種の専門家,支援者,そして喪失体験,死別体験の当事者に,是非本書を読んで頂きたいと思う。構成主義の泰斗であった故マイケル・マホーニー教授も心理学以外のあらゆる領域の人々への啓蒙を続けたことからもわかるように,こうした理論・知見や技法がさまざまな人々によって共有され,利用されることが最も重要なのである。
 原著は360ページ全18章に及ぶ大部の本であることから,限られた紙面の都合上,本書は全体のうち14章を抜粋し,編訳した。読者の便宜を図るため,残念ながら翻訳できなかった章のタイトル,著者名と概要について,簡単に記す。
○原著第Ⅱ部:「家族における意味の構成」(Janice Winchester Nadeau)……家族が亡くなると,遺された家族の中で相互作用的に意味の再構成が行われることを述べた。家族の会話についてグラウンデッドセオリー分析を行って,単なる個人的視座を超越する家族内での意味構成のパターンを抽出した。
○原著第Ⅲ部:「苦しみ抜くこと,そして変容すること:喪失とトラウマに対する反応を理解する」(Christopher G. Davis)……Camille WortmanやDaniel Lehmanらとの共同研究を紹介した。ここではストレス反応を理解するために,1)個人差への焦点化,2)対処行動,3)喪失によって生じる独自の心理社会的反応という3点に着目し,研究を行った。その結果いずれの視点からも,例えば反事実思考,意味理解,利得発見などといった意味帰属のプロセスを説明することが最も浮かび上がり,その後の適応を阻害したり,促進したりしていた。
○原著第Ⅴ部:「トラウマ,悲嘆,そして児童期の性虐待を生き抜く」(Stephen J. FlemingとSheri Kathleen B?langer)……死別体験による苦痛と性虐待による苦痛との間にある関連性を論理的に分析した。その結果,とりわけこうしたトラウマの支配には個人の仮定的世界が破壊されるなど,悲嘆のプロセスの多くの側面を伴うものであった。
……(後略)

薫風そよぐ武蔵野の杜にて 訳者代表  富田 拓郎