『推薦のことば』

 境界性パーソナリティ障害といえば,泣く子も黙るほどに,精神医療関係者を黙らせる威力があるようである。過日,先進的な考えをおもちの,ある精神科病院の院長さんと懇談する機会があった。患者数が激減して,将来の精神病院の命運が危ぶまれるという話の中で,「境界性パーソナリティ障害」などの人格障害をも入院させないと,という考えが必ず出てくるが,やはりそうした患者を入院させる気にはなれないというのである。私が,これまで精神科病院にも境界性パーソナリティ障害を入院させ,治療を担当すべきだと訴えてきたことに対する答えであることは間違いない。
 何故にかくも境界性パーソナリティ障害が精神医療関係者に敬遠されるのだろうか。その第1は,境界患者が一般の精神医療で使用されるルーチンの技法では,悪化し,混乱を引き起こしこそすれ,治療的効果を得ることができないことにあるようだ。そのため,スタッフの治療的努力が患者の役に立ったという実感がないばかりか,逆に怒り,罪意識,空しさを残すばかりである。第2は,境界性パーソナリティ障害の理解がなかなか難しいことがある。それは,本病態にいち早く気づき,取り組んできたのが精神分析であったことと関係がある。1960年に入ると,S・フロイトが唱えたような神経症理解とそれに対する精神分析的な技法では,精神分析的治療が進まず,自我心理学,対象関係論,あるいは自己心理学といった新しい理論と技法が展開されてきたが,それがそのまま境界性パーソナリティ障害の理解と技法となってきた経緯がある。したがって,この病態の理解のためには,新しい精神分析的理論と技法を学ぶ必要があるという結果を招いた。いわば,境界性パーソナリティ障害といえば,精神分析的なカウンセリングをしないと治らないという神話を形成してしまった。境界性パーソナリティ障害の治療を引き受けるには最新の精神分析を学ばなければならないというわけである。この傾向は,わが国では,今なお根強く続いている。
 ただ,ここでもう1つ問題が起こったことを忘れてはならない。それは,凄まじいまでの精神分析的努力にもかかわらず,一般で考えられているほどに治療効果が上がってはいないということである。これは,1980年代の初めの米国のこの領域での状況であるが,当然のことながら,新しい治療的接近が求められたということができる。そこで出てきたのが本書で代表されるリネハンらによる「弁証法的認知行動療法」である。過去の対象関係よりも,現実的な対人関係で起こるさまざまな問題行動を患者のソーシャルスキル能力の不足と捉えて,そのトレーニングを徹底する技法である。認知行動療法に特有の科学的な検証を経た治療効果を出すことができたということで,注目を浴びるようになった。
 著者リネハンらによると,本書は20年来の試行錯誤の経験を踏まえた,技法,ソーシャルスキル・トレーニングの解説書であるという。新しいもの好きの日本人からみると,すぐに取り組みたい治療法といえるだろう。しかし,これまた飽きやすい日本人の特性からすると,境界性パーソナリティ障害の扱い難さは,スタッフをして容易に離反させてしまう危険をも持っているといわねばならない。
 しかしながら,重要なのは,ここ30年ばかりの間に次第に進んでいる現代人の人格変化,それに伴うパーソナリティ障害の増加に対する精神医療ないしはメンタルヘルスからの持続的関心である。そういう基本的希望をもって,私たちは,現在,「境界性パーソナリティ障害の治療ガイドラインの作成」を目指した努力を重ねている。訳者らも研究班の一員として計画に参画し,努力をしてきた面々であるが,来年,早々にはその成果を本書に続いて出版する予定である。これは,あまり理論的にならずに境界性パーソナリティ障害への治療的接近ができるようなガイドラインを示そうとしている。
 本書の発刊が,歴史的な境界性パーソナリティ障害治療の展望からみたとき,今日ここで出版される意義には大きいものがあることは確かであるが,続いて出版される予定の治療ガイドラインとの関連でみたとき,ガイドラインは,弁証法的認知行動療法を横目でみながら,わが国の現状を踏まえた治療的接近を試みたものである。それだけに,本書に収録された細々とした現実的な対人関係や患者の心のありように対する技法に関する詳細な説明は,後続の治療ガイドラインを補ってあまりあるものと考えている。
 本書がパーソナリティ障害治療の専門家に限らず,一般の精神医療に従事するクリニックの,大学精神保健相談の,精神科入院治療のスタッフ,さらには地域の精神保健に従事する幅広い方々に関心を寄せていただくことを願っている。長年かかって訳出された書だけに,よみやすい訳語になっている。

2007年8月 蝉しぐれの中で  牛島定信