はじめに
―なぜ「うつ病」ではなく,「抑うつ」なのか―

 本書は前著『摂食障害の精神分析的アプローチ』に続き,精神医療や心身医療にかかわる疾患への精神分析的,とりわけ対象関係論的な理解と治療を実践的に伝えることを意図していますが,今回,そのターゲットを「うつ病」とはせずに「抑うつ」としました。その説明から始めたいと思います。
 今日,抑うつを訴える人はかなりの数に上っています。精神科,心療内科を受診してくる人たちが口にする感情は,「おちこんでいる」,「気分が重い」,「憂うつである」,「気持ちが重苦しい」,「まるで元気が出ない」,「意欲が湧かない」,「何もしたくなく,死にたくなる」など,抑うつ感と総称されうるものがもっとも多いのではないでしょうか。そして,これらの主訴を抱えてくる人たちが,それぞれの受診科で,さらには内科においてさえ,「うつ病」と診断され,抗うつ薬による治療を受けはじめます。
 しかし,その人たちを「うつ病」と診断してよいのでしょうか。第一に,今日のわが国の医師のかなりが「うつ病」と診断するときには,それが意識されているにしろ無意識であるにしろ,英語(正確には,米語)のDepressionが念頭にあると思われます。とするなら,それは「うつ病」ではなく,「抑うつ」と見立てられるべきものです。Depressive Illnessではないのですから。
 もしその医師の念頭にある用語がDepressive Disorderであるとするなら,Disorderは「障害」とわが国では翻訳されますが,この語の本来の意味は,混乱や無秩序ということですから,秩序が崩れていることを意味します。つまり抑うつ的な心的バランスの崩れという,感情が秩序立っていないという心的機能のトラブルを指しているのであって,疾患ということではありません。やはり,「抑うつ」というこころの状態なのです。
 そこで大事なことは,この「抑うつ」のこころにある人たちの中に,「うつ病」という診断が有益な人たちと,「抑うつ」はあるが,別の診断が必要な人たちがいるとのことです。例をあげてみましょう。フロイトFreud, S.の最初期の著作に『ヒステリー研究』があります。ここには「ヒステリー」と診断され治療を受けた5例が病歴や病状,治療経過を含めて詳しく記載されています。この5人が今日受診してきたなら,そのうち3人は今日風な診断での「うつ病」と見立てられうる症状を現しているのです(そしておそらく,彼女らが今日の文化に生きていたなら,みずからはっきりと抑うつを訴えたにちがいありません)。しかし,やはり彼女らは適切にも「ヒステリー」として治療され,改善したのです。今日,「ヒステリー」という,独特の病態や表現形態をもつパーソナリティ特性にあてられた名称が使われなくなってきていますが,それを「うつ病」と見立てて薬物を与え,治らないままにしておくのが医師の仕事ではないでしょう。
私がここに指摘している事態は,すでに精神科医に気づかれはじめています。「薬のきかないうつ病が増えた」という声になっているのです。
 新しい作用機序をもち副作用が少ないとされる抗うつ薬SSRIの出現は,うつ病と診断すれば(病者にとっては,診断されれば)その患者の病状は薬物で容易に治癒できるという万能空想をはびこらせました。もちろん,SSRIによって抑うつが著明に改善している人たちがいるという大いなる恩恵はありました。しかし当然ながら,SSRIがうつ病の万能薬ではないことは周知の事実です。抑うつが症状であってひとつの原因から発生しているのではないことを念頭に置くなら,うつ病の万能薬があるはずもないことは明白です。けれども皮肉なことに,薬物治療万能の概念は据え置かれた結果,問題は「うつ病」の方に置かれ,薬の効かない,言わば“奇妙な”うつ病が新たに出現してきているとのねじれた発想が生まれているのです。視点の錯誤がここにあります。
 明白なこととして,現代の医療の世界は経済繁栄とその効率化に力点が置かれています。疾病概念を拡大し,大量の薬剤が使用されることで,医療施設や製薬会社,さらにはそれらの関連事業や会社が潤うことが優先されています。また,病院やクリニックもどれだけ多くの患者を取り込み,効率よく対処するかを目指しています。これは明らかに,組織や社会構造の保護と利益という集団のための論理です。その結果,個人がその人としてきちんと尊重され治療的にていねいに対応される部分は往々にして切り捨てられています。個の不幸がここにあります。「うつ病」の診断は,このような個の不幸のひとつの形になっているのです。
 大切なことは,症状としての「抑うつ」が何に拠るものかをきちんと見立てて,それにあう適切な治療が提供されることでありましょう。「抑うつ」を抱えるその個人と治療者が真摯に出会おうとすることなのです。そこには否応なしに,その人の在り方や生き様,人生の物語が浮かび上がってくるでしょう。その理解や治療を進める選択のひとつに,精神分析的な方法があるのです。
 本書に収められている「臨床論文」に提示されている人たちは皆抑うつを抱えていますが,その背景にはさまざまなこころの苦難や悲嘆を,人としての在り方の困難を抱えています。大きな限界はありながらも,「抑うつ」の奥にある(それは生物学的なものであったり,こころの葛藤であったりする)個々のパーソナルなものに,精神分析的な心理療法(精神療法)という方法を使ってそれぞれの治療者がみずからのパーソナリティそのものを通して真摯に触れていくその臨場が描き出されています。さらに,その出会いの体験が治療者の中において繰り返し,吟味,再考されるところを考察に読み取られるでしょう。
 その人との精神分析的心理療法が実践されていくには,精神分析関係にあるふたりを抱え,かつ援助していく環境が不可欠です。この抑うつにある個人と治療者を包み込む環境を整え,それを有用な援助として機能させていくこともまた,たやすいことではありません。それらの実際についても経験豊かな著者が述べていきます。そして本書の冒頭には「抑うつ」を理解する手立てとしての精神分析的視点が提示されています。
 臨床にかかわる方たちが,ややもすると,あたかもわかってしまっているかのような感覚に陥りやすい「抑うつ」を,本書との対話を通してじっくり見直し,明日からの臨床につないでいただけることを私たちは願っています。