『訳者あとがき』

 本書は,1991年に出版された,ジェローム・D・フランクとジュリア・B・フランクの共著,“Persuasion and Healing: A comparative study of psychotherapy”第3版(Johns Hopkins University Press)の全訳である。原著の歴史は古く,初版は1961年に,第2版は1973年に出されている(いずれもジェローム・D・フランクの単著)。ちなみに,本書の初版は私にとって同窓の大先輩である酒井汀氏によって1969年に邦訳されている(『心理療法の比較研究:説得と治療』岩崎学術出版社)。初版以来,本書は一貫して学問的に高く評価され,心理療法の基礎的文献として広く読まれてきた。英語圏では有名な本である。
 「説得と治療」という邦訳タイトルは原著タイトルを踏襲したものだが,このタイトルを見ても,どんな内容の本なのか想像することは難しいであろう。邦訳タイトルをどうするかについては実のところかなり思案し迷った。いろいろと案を出して検討してみたけれども,どれにしても十分納得のいくものとはならなかった。そうするうちに,本書はどうころんでも簡潔で直截なタイトルを付けることが実に難しい本なのだ,という開き直りにも似た結論に達し,現タイトルに落ち着いた次第である。つまり,本書には他書にはあまり見られないような独自性の強い論点が複合的に織り込まれており,一筋縄にはいかないような内容が含まれているということなのである。

 フランクによる前書きとも若干重複するが,本書の際だった特徴を私なりに簡潔に述べると,次のようなことになる。
(1)心理療法を,巨視的に,説得活動ないしは社会的影響過程の一種として捉え,魔術的宗教的治療,宗教的回心,カルトによる洗脳(ないしはマインド・コントロール),思想改造,プラシーボ投与などと同列に論じている。
(2)心理療法のさまざまな学派に共通の治療要因を重視し,明らかにしようとしている。
(3)心理療法は科学よりもレトリックに近縁のものであると主張している。
(4)心理療法の考察に当たって,心理的なプロセスのみならず身体的なプロセスをも視野に入れている。

 フランクは声高にあおらない。リサーチを重視し,冷静な論考を展開している。ごくごく落ち着いた印象の語り口である。もしかすると読者は,フランクのこの落ち着いた語り口の印象にひきずられて,一読したくらいでは,本書の論述が実のところ心理療法界の現体制を根底から揺るがすような恐るべき主張を含んでいることにあまり気がつかないかもしれない(私がそうであったように)。

 フランクは,心理療法には,シャーマンによる治療と似たやり方で効果を発揮する一面があることに注目している。心理療法は科学に基づくものであって,シャーマンによる治療とは違うと考える人もいるだろう。確かにこれらは丸ごと同じだというわけではない。心理療法は,シャーマンによる治療とは違って,自然主義的な世界観に根ざしており,科学的な装いを備えている。心理療法家は科学を尊重し,科学的と言えるレベルの合理性と客観性を追求しようとしている。
 にもかかわらず,フランクは,両者に備わっている治療効果の重要部分は同じなのではないかと示唆している。心理療法は自然主義的な世界観が浸透した社会において成立してきた営みであり,科学を信奉する人々を対象としている。心理療法が科学的な装いを備えているのは,そうした人々に対して説得力を高めるためである。科学のような体裁を備えることによって,心理療法は,科学に対する人々の信頼を治療的に利用しているのである。実際には心理療法は,少なくとも心理療法の実践は,科学と無関係ではないにしても,科学であるとはあまり言えないものである。
 フランクはまた,心理療法には,プラシーボ(偽薬)投与と似たやり方で効果を発揮する一面があることにも注目している。プラシーボとは有効な薬理学的作用を持つ成分がまったく含まれていない錠剤のことである。プラシーボの効果は,それを投与する医師が社会的に認められた治療者であること,信頼感が感じられること,思いやりや気遣いが伝わってくること,援助への意志や自信が伝わってくること,治療についての説明に説得力があること,などによって発揮されるものと考えられている。つまりこうした条件によって,薬理作用のない錠剤が治療力の象徴となるのである。フランクは,心理療法もまたそのようなやり方で効果を発揮していると考えている。彼は,心理療法の中で行われる活動そのものがもたらす治療効果を完全に否定しているわけではないが,多くの心理療法家が考えているよりもその寄与を引き下げて見積もっている。
 本書のこうした論考をほんの少し推し進めれば,心理療法の重要部分は「詐欺」のようなものだ,ということにさえなりそうである。もちろんフランクは「詐欺」というような挑発的な言葉は用いていないし,そんな読み方は誤読だと言うかもしれない。しかし少なくとも私にはそう読めるし,多くの読者はそのように誤読するであろう。(言うまでもないことだが,急いで付け加えると,ここで,心理療法は「詐欺」そのものだと言っているのではない。心理療法は相手を搾取するものでは決してなく,相手に有益な効果をもたらそうとするものである。しかしなお「詐欺」と似たところもあるのではないかということなのである。その線で考えてみると,相手から信頼を取り付けるのがうまく,信じ込ませるのがうまい有能な詐欺師は,心を入れ替えて転職すればきっと有能な心理療法家にもなれるのではないか,などという想像もわいてくる)。
 フランク自身もまた,自らの論考を推し進めればそういう考えに帰結するとうすうす感じているように見える。エピローグにおいて彼は,いささか当惑気味に,次のように問うている。「もし心理療法の背景にあるどの理論も客観的な意味で真実であるとは言えないのだとすれば,いずれかの治療形態の有効性を科学的権威を用いて保証することには倫理的問題がないだろうか」。
 おそらく,医師がプラシーボをプラシーボとは知らずに本物の薬品だと信じて投与する場合の方が,プラシーボかもしれないと疑いながら投与する場合よりも,プラシーボの治療効果は上がりやすいであろう。だとすれば,もしフランクの主張通り,心理療法の治療効果にはプラシーボと共通する治療効果が無視できない大きさで含まれているのだとすれば,本書を拒否して心理療法をプラシーボのようなものとはまったく考えないでいる心理療法家の方が,本書を読んで心理療法はひょっとするとプラシーボのようなものかもしれないと疑い始めた心理療法家よりも,治療成果を上げやすいということになってしまう。そうであるならば,本書は,少なくともある種の心理療法家にとっては,心理療法の真実の一面についてより深い理解をもたらしながら,そのことによって逆にその心理療法家の治療能力を少なくとも一時的には低下させてしまうような,悪魔的な惑わせの書となるのかもしれない(もちろん私は,本書の論考は最終的には心理療法家の治療能力に寄与しうるものだと信じてはいるけれども)。私は本書を繰り返し読むうちに,知的興奮とともに静かに忍び寄るような冷え冷えとした恐怖を感じた。そこではフランクの冷静な論調はその恐怖をいっそう効果的に演出するものとなっている。
 フランクのこのような考えは,本書の第1版においてすでに萌芽的ないしは潜在的な形で含まれていたとも言えるが,この第3版においてより明瞭な形を取っている。心理療法は科学とよりもレトリックと近縁のものだという主張がそれである。
……(後略)

2006年7月 杉原保史