『はじめに』

 認めたくないことであるが,心理療法においてセラピストは少なからず失敗をする。介入のタイミングを逸したり,クライエントの話した内容を取り違える,あるいは,他のクライエントの幼少時代の出来事を持ち出してしまったりということもあるかもしれない。失敗によっては,クライエントも気づかず,面接の進行に大きな影響がないかもしれないが,時にクライエントを混乱させたり治療関係に不穏な空気が漂うこともある。そして,クライエントが来談を止めてしまうことも少なくない。
 当然,セラピストは失敗について理解して,そのような間違いを再び犯さないようにしたいと思うだろう。しかし,失敗の原因について理解するのは必ずしも容易なことでない。セラピストが何らかの間違いをしてクライエントが来談を止めるとき,クライエントからその正直な理由を聞くどころか,接触することもできなくなってしまうことが多い。そんなとき,セラピストは何がいけなかったのか,ただ想像することしかできない。実際に,もしクライエントと電話で話すことができても,クライエントが正直に本当の理由を話してくれるか分からないだろう。
 クライエントは,援助を求めてやってくる。そしてセラピストは援助するための専門家である。このような設定のもとに心理療法が行われても,お互いが傷つくような失敗が時にして起こる。セラピストの「心理療法を成功させたい」「クライエントを援助したい」という善意それ自体が非常に困難な問題を引き起こすこともある。
 心理療法の訓練においてどんな失敗がよく起こるか,そしてそれらをどのように防止するのかということについて多少は触れる機会があるだろう。しかし,治療的失敗がどれくらいの頻度で起こり,クライエントとセラピストにどのような影響を与えるのか,ということについて触れることは少ない。特に,セラピストが,失敗をどのように体験して,それから学んでいくのかというプロセスについても十分に扱われているとは言い難い。現在の訓練は,主に治療的失敗を技法や知識の未熟さとして扱うことが多いが,心理療法を学ぶ者にとっては,失敗の体験的側面――失敗することに対する恐れと失敗したことから起こる傷つきや恥――が最も重要な領域であると思われる。
 クライエントがドロップアウトするときのセラピストの体験はさまざまであろう。忙しいセラピストであれば,空いた時間の枠は,数週間のうちに他のクライエントによって埋められ,ドロップアウトしたクライエントのことを振り返ることも,思い出すこともないかもしれない。しかし,数年経っても忘れず,何がいけなかったのかとその理由を考えても納得のいく答えが見つからないこともあるだろう。このような失敗は,のちにゆっくりと見ていくが,決して訓練中の大学院生や初心者セラピストに限られたことではなく,経験豊富なセラピストにも必ずといって良いほど起こる体験である。
 治療的失敗は,ほとんどのセラピストが関心をもっているが,扱いにくいトピックでもある。失敗を扱うことは不快でもあるし,ケースカンファレンスをはじめとしたさまざまな学習の場は,失敗ケースとその体験についてオープンに扱うのに適した雰囲気で行われているとは言い難い。失敗を扱うのはセラピスト自身が一人で過去を振り返ることだけに任されてしまうことが多いのではないだろうか。本書は,治療的失敗について,失敗の分類だけでなく,それが起こるときのクライエントとセラピストの体験という点からも理解を深めることを目的とする。そして,失敗を防ぐためにどうすれば良いかということだけでなく,失敗が起こったときにどのように対応するのか,そして,失敗から起こるさまざまな体験からどのように学んでいくのかということについて考えていく。

 筆者は,エモーション・フォーカスト・セラピー(Greenberg, Rice, & Elliott, 1993)を基礎とした統合的アプローチをとり,統合的に心理療法を考えることが大切だと考える。それは,異なる理論を組み合わせるというだけでなく,自身のアプローチの外にある情報源(異なるアプローチの理論,効果研究,プロセス研究,心理学一般の研究知見,人類学や社会学などの関連分野の知見)に対して敏感になり,自らのアプローチを常にさまざまな視点から見直す反省的な立場である。統合的であることは,一人のクライエントの問題だけではなく,対人交流のスタイルと合った関わりを一つの理論的(そして人間観の)基盤を超えて考えることでもある。もう一つ統合的であることの重要な側面は,ある現象について理論学派の壁を越えて意見を交換し,対話のあり方自体を探索することでもある。治療的失敗が起こるとき,セラピストは自分の力の限界を感じもするし,自身のアプローチの問題を発見したりもする。まさにセラピストにとって成長の機会であり,心理療法統合の試みが行われる瞬間でもある。本書もそのような試みの一つである。
 本書には,一つの大きな理論が提示されるわけでもないし,一人のクライエントに対してこのように接するべきだという心理療法全体を通しての指針が提示されているわけでもない。本書にあるのは,理論アプローチの異なる心理療法にも似たような形で出現する治療関係の問題に対処するプロセス理論である。ここでプロセス理論というのは,面接におけるある特定の場面においてどのように対応するのかという面接プロセスに関する方策のことである。多くの心理療法理論は,明確な哲学的基盤をもち,そのうえに人格発達理論,精神病理論,それらを説明するさまざまな概念,および介入理論をもち,マクロな視点で臨床実践や介入を捉える(おそらく近年の認知療法や家族療法の例を除いて)。プロセス理論とは,面接において起こる短い場面ややりとりに関してのより具体的な指針を与えることを目的とする。
 本書は,そうしたプロセス研究や効果研究の知見を主として筆者自身の臨床経験や大学院を中心とした臨床指導の経験,そして本書の目的に賛同してくれた知り合いのセラピスト・指導者とのインフォーマルなインタビューを元にしている。プロセス研究や効果研究は,心理療法に最も大切である意味の世界を数値に変換して単純化しすぎるために,実際の臨床には役に立たないという批判がある。しかし,プロセス研究には面接における主観的体験をクライエントに直接インタビューするものなどもあり,セラピストの視点に頼る事例研究では届くことができないクライエントの「面接では語られない」体験の側面を明らかにしてくれる。また,「数値」に変換してはじめてうまく捉えられることもあるだろう。たとえば,どれぐらいの割合のクライエントがドロップアウトするのか,どれくらいのクライエントが心理療法によって状態が悪化するのかという問いである。これらは,一つひとつの事例を見ていくことだけは答えられない問題であり,心理療法実践について知るためには必要である。
 本書に挙げたケースの概要は,実際のクライエントとセラピストを元にしているが,2つ以上の類似したケースを合成したモンタージュとなっている。セラピストとクライエントの属性やそれ以外の具体的な情報は元にあったケースとかなり大きく変えたが,中心的なテーマはできるだけ忠実に捉えようと努力した。すべてのケースは終結事例であり,終結から数年経過している。また,セラピストやクライエントなどの名前もすべて仮名である。
 本書の目的は,治療的失敗を取り上げることによって心理療法の効果を否定し,その危険性について注意を促すことでも,心理療法の陰を暴露することでもない。たとえば,Jeffrey Massonは,心理療法や精神分析において起こるさまざまな「心理的虐待」を取り上げて,心理療法という営み自体の意義に疑問を投げかけている(1988; 1991)。本書は,心理療法において起こるさまざまな失敗を見直すことによって,それがより治療的な目的に向けて最大限に活用されるようになることを目指している。失敗が多い一部のセラピストを非難することでもない。著者も,一人のセラピストであり,心理療法の研究者,そして訓練者でもある。そして心理療法について学び,クライエントを援助することをとても大切な仕事であると考え,心理療法が多くのクライエントにとって役に立つものであることを疑わない。失敗について学ぶことは,心理療法の効果についてより理解を深めることにつながり,失敗についてさまざまな角度から考えるオープンな場を作ることが心理療法の発展のために役立つと考えている。

□本書の構成

 本書は,3部構成になっている。まず,第1部では,治療的失敗の理解の基礎として,失敗がどのように扱われているのか,そしてその実態はどのようになっているのかみていきたい。第1章ではセラピストが失敗に対してもつ先入観や失敗が見えにくくなる仕組みについて説明し,治療的失敗について考える上で必要な次元について述べたい。第2章では,効果研究やプロセス研究の知見を振り返り,治療的失敗がどのくらい広く起こるのか,またどんな失敗や問題が面接プロセスにおいて起こるのか整理した。第2部は,失敗を分類し,その原因となるさまざまな盲点について臨床例を挙げながら説明した。第4章では,盲点となりやすいセラピストの成長欲求とそれとかかわる心理プロセスを示した。第5章は,セラピストとクライエントの恥とそこから起こるやりとりの特徴について論じた。第6章では,セラピストとクライエントのミスマッチの問題,原初的傷つきやすさとその交差によって起こるきわめて困難な治療関係の問題について少し長いケースを用いて解説した。第3部の第7章,失敗を防ぎ,治療関係に問題が起こったときの対処の指針,およびセラピストのセルフケアについて論じた。第8章では,筆者が治療的失敗を扱う介入について考えるきっかけとなった出来事を振り返った。一つずつの章は関連しているがどの章をとってもある程度独立しており,読者がすべての章を読まなくとも,関心をもっているところから取りかかれるように心がけた。
 第2章の一部は,「岩壁茂 (2007). 効果研究の観点からみた心理療法の統合.精神療法, 33, 6-14.」,第7章の一部は,「金沢吉展・岩壁茂 (2007). 心理臨床家の専門家としての発達,および,職業的ストレスへの対処について:文献研究.明治学院大学心理学部紀要, 4, 57-73」「岩壁茂 (2001). 治療者に向けられた怒りへの介入法.札幌学院大学心理臨床センター紀要, 1, 1-21.」に寄稿した論文の一部をかなり大幅に加筆修正したものである。
これまで治療的失敗については,主に精神分析および精神力動療法において「逆転移」「逆抵抗」として扱われてきた。逆転移に関しては,かなり多くの優れた理論書や実例集があるので是非参照していただきたい(Langs, 1980; Racker, 1957; Robertiello & Schoenewolf, 1987; Strean, 1993)。また,これまで治療的失敗,負の効果,セラピストが失敗をしない方法,治療的困難の扱い方に関する良書があり,ここ数年に続けて出版されている(Casement, 2002; Coleman, 1985; Conyne, 1999; Hill & Rothblum, 1999; Kottler & Blau, 1989; Kottler & Carlson, 2003; Mays & Franks, 1985; Schwartz & Flowers, 2006; Strupp, Hartley, & Gomes-Schwartz, 1977; Weeks, Odell, & Methven, 2005)。また,日本でも治療的失敗に関する専門書が見受けられる(白石・立木, 2001; 丹治, 2002; 米山・蔭山, 2002)。しかし,新たな介入法を紹介する専門書と比較すると圧倒的に少ない。
 本書の特徴の第一の特徴は,実証的研究と臨床ケースの双方から治療的失敗を捉えようとしていることである。また,逆転移というより「否定的な」意味をもつセラピストの問題だけではなく,盲点となりやすいセラピストの動機づけやクライエントとセラピストの感情的なやりとりに注意を向けた。本書において説明する「原初的傷つきやすさ」や「成長動機」「恥」は,逆転移として考えることもできるし,クライエントとセラピストのあいだにおいて問題が起こるとき,逆転移感情がすでに起こっているか,逆転移が起こりやすい状況にあるとも言える。「心理療法を学びたい」「臨床家として成長したい」というより「肯定的」な動機は,心理療法を成功させるために必要であるが,時にそれが先行して治療的失敗を生む。また,必ずしも逆転移として扱えない,セラピストの統制が及ばない領域においての「ミスマッチ」といった問題を取り上げる。そして,治療的失敗の原因をセラピストやクライエントの心的問題に帰するのではなく,二人のやりとりのあいだで起こるプロセスとして捉え,治療関係を修復し,クライエントが必要としていることに即した面接プロセスを作っていくための方策を提示した。そうすることによって,精神力動療法の理論に限らずさまざまな理論的視点から失敗について考えるための基盤ができるのではないかと考えた。治療的失敗を中心とした共通因子アプローチとでも言うことができるだろう。
 本書が読者がこれから遭遇するかもしれない心理療法における困難な場面に対応するだけでなく,過去に終結しながら,気持ちの中では未だに終わることのないケースを振り返るために役立つことを願っている。そして,失敗についてオープンに話すことが少しでも促進され,失敗が咎められる対象ではなく,セラピストとクライエントの成長の機会へとなることに少しでも貢献できればと願う。まず,たくさんのことを教えてくれ,貴重な体験をさせてくれたクライエント,筆者の指導者と学生に感謝する。

2007年6月 岩壁 茂