推薦のことば

 「サイコセラピューティックな看護の展望」という書名をうかがい,推薦文の依頼をうけた時,看護の世界もここまで成長したかと嬉しくなった。また同時に引退の身である私に依頼下さったことを光栄に感じた。勉強させていただくつもりで全部拝読した。
 それぞれの専門分野の方々がご自分で考える「サイコセラピューティックな看護」について書いておられる。サイコセラピーが現在は,いろいろな種類の精神療法,心理療法を含むようであるから,サイコセラピーの形容詞であるサイコセラピューティックも各種多様なものを含むことになるのだろう。この本では「医療現場における患者/家族の“cue”を拾い応答していく心理的ケアを,ここではサイコセラピューティックな看護とよぶ」としている。“cue”をこの本では,心理的ケアニーズの表現:疑問や不安,迷いや葛藤などの言語的非言語的表現と定義されている。
 しかし,それぞれの本書の筆者たちの「サイコセラピューティック」に対する受け止め方には違いがある。「サイコセラピューティック」はトレーニングを受けた少数の看護師を除いては非現実的と考える人から,「サイコセラピューティック」はもともと看護行為の中にあるものと考える方までさまざまである。「もともと看護行為の中にある」とするのは,ナイチンゲールの言葉や,ヘンダーソンの言葉からである。私自身は,ナイチンゲールの看護とは何かを述べている次の言葉,
My dear sister, there is nothing in the world except perhaps education, much the reverse of prosaic or which requires so much power of throwing yourself into others' feeling which you have never felt, and if you have none of this power, you had better let nursing alone.(姉妹よ,散文的なものとは反対に,この世におそらく教育以外では看護ほど,自分で経験したことがない他人の感情のただ中へ自分を投入するのに大きな力を要求されるものはない,もしあなたにその力がなければ,看護を辞めた方がよい。)
に述べられていると考えている。
 ナイチンゲールのこの言葉を本書は引用している。しかし,一般には,「throwing yourself into others' feeling which you have never felt」の意味がわかりづらくて,ヘンダーソンが「患者の皮膚の内側に入って」と言い換えたのではないかと思うことがある。私には,ヘンダーソンの表現よりナイチンゲールの表現の方が優れているように思う。何故なら,この本でも取り上げられているように,近年になって人間の「感情」の重要性が関係者にはっきりと認識されるようになったからである。各種精神料療法で感情をおろそかにするものはほとんどない。看護学もやっとナイチンゲールのこの言葉が「共感」を意味するものと理解するまでに発展してきたのではないだろうか。そして,現在の看護学はナイチンゲールの「共感」を超えて,「つながり」「エンパワーメント」の領域にも概念を拡げてきている。本書の中でもこのことが語られている。
 本書の意図が,「今後の展開に向けてディスカッションの材料を提供したい」とのことであるから,読者が,それぞれの筆者の考え方を比較し,議論の材料にし,発展させていただけるとよいのではないだろうか。そのための格好な書物として本書を心からご推薦申し上げたい。

2007年10月  見藤隆子