まえがき

 「サイコセラピューティックな看護」とは,編者のひとり上別府圭子氏の造語である。かつて精神看護と呼ばれていた医学的領域をより現代的な装いでもって描き出し,ひとつの学問領域として確立していこうとする姿勢から出てきた言葉である。
 そもそも,サイコセラピー(精神療法)とは,神経症治療のために編み出された治療法である。精神分析がそうであったし,森田療法,行動療法がそうであった。そして,それが臨床実践の中でさまざまな精神疾患にも応用され,適応が拡大していったというのが20世紀のあらましである。忘れてならないのが,これと並行して起こったのが,医師以外の人たちによる精神療法の問題である。ことに精神分析の領域では何度となく論じられた。ジークムント・フロイトの周辺でも,アンナ・フロイトやメラニー・クラインはまったくの“素人”でありながら他の追随を許さない臨床実践と理論の発展に大きな貢献をしたことは周知の通りである。しかしながら,これまで,どうしても医師主導的であったことは否めない。
 ところが,20世紀も後半になると,心理職をはじめ,さまざまな人たちが当然のことして精神療法の実践をするようになった。例えば,「臨床心理士」なる資格も世に受け入れられるようになって久しいし,教育関係者,福祉関係者,企業における人事担当者もまた,いわゆるカウンセリングを行うようになっている。
 ここで忘れてならないのが,看護職によるそのサイコセラピューティックな活動である。看護職にある先進的な人たちが個人的に臨床心理学の理論と実践を学び,いわゆる個人面接を基盤にしたサイコセラピーを実施する傍ら,本来の看護活動にそれらを活かすようになっていることは意外と知られていないのではないか。これによって,かつては純粋素朴に,例えば「病気をみずして,病人をみよ」(高木兼寛:東京慈恵会医科大学)といわれた領域にもより科学的な思考,つまり心理学的な理論とそれに基づいた実践を備えた看護学が登場してきたといえるのである。振り返ってみると,医療実践の中で,看護師ほどに,患者の心理,家族関係等をはるかに詳細に,幅広く,そして深く知っている職種の人たちはいないのである。そこに科学的な光が当てられたということは,途轍もなく画期的なことといわねばならないだろう。
 実は,看護のそうした面を漠然と考えていた私は,『精神療法』誌に連載する価値があると考えて,編者にその仕事を依頼したのであった。実際に出来上がった各論文を読んでみると,種々の身体的疾患を持った人たちがいかに危機的心理状態におかれているか,それらに注意深く接することによって,患者の自然治癒力をいかに高めることができるか,あるいは病人をもつ家族の安寧にいかに寄与できるかが非常に明瞭に描き出されている。予想をはるかに越えた出来ばえである。
 編者の一人,上別府によると,心理学的理論に裏打ちされた看護学というのは,まだ道遠しの感があるとのことであるが,本書が新しい看護学の道標となってくれることは間違いないであろう。看護実践の深い人にも,これから看護学を学ぼうとしている方々には是非とも読んでいただきたいが,それに加えて,医療に携わる医師を始めとする人々,さらには精神療法の勉強を志す人たちにも是非とも読んでもらいたいと思っている。医療現場というのは,普通の社会生活での危機とは違った,別の危機状況が映し出されやすいところであることをうまく描き出すことに成功しているからである。副次的な土産といってよいだろう。
 私の申し出を快く受け入れて,ひとつの仕事としてまとめ上げて下さった編者の上別府圭子,森岡由起子両氏に深甚なる謝意を表したいと思う。

2007年10月  牛島定信