今日の精神科治療の内実を四つの層に分けて考えると便利である。第一の層は薬物を中心とする身体治療である。第二の層は治療の場の構造もしくは雰囲気である。第三は患者の生活状況への目配りである。そして第四層にイメージや言葉を用いての狭義の精神療法がある。
 第一層は脳に直接に働きかける介入であり,残りの層すべての基盤である。第一層における見立てと薬物治療が的外れであると,それに乗っかっている残りの層は手も足も出ない。二層から四層までを担当するコメディカルの悲憤の主因である。ときおり,薬物を中止して精神療法だけで治癒し得た症例があるが,それとて薬物治療の基盤性を否定し得ない。もし薬物を飲み続けていたら精神療法は効果を上げ得なかったであろう,と思われる経過だからである。
 第二層は場の雰囲気である。「自分は薬物治療しかしない」と言い切る医師は少なくない。その種の医師を二群に分けて考えるといい。前者は二層や三層に十分な目配りをしており,それを援助者としての常態だと考えて特に治療技術と見なしていない医師である。歳を重ねるにつれ名医・達人と呼ばれるようになる人々であり,精神科医に限らない。後者は二層や三層を意識的に無視する医師である。自分を空想上の外科医に擬している人や四層に熱中する同僚への反感に捕らえられている人である。その姿勢はパラドックスを産む。精神疾患の多くは,素因を持った脳が好ましくない場に置かれて失調しているのだから,意識的に場を無視することは,好ましくない場の新設となり,その場の中で脳への直接介入がなされることになる。三層と四層を担当するコメディカルの世界で二層が重視されるようになっている証左は,ヒア・アンド・ナウの強調の風潮である。それは常識への回帰であると見なしてもいい。
 第三層は相談と助言の活動である。広義の精神療法,素人の精神療法である。この活動に従事する人々にとって第二層は当然のこと,むしろ三層の構成要素と見なされている。
 最上部の第四層は最も華やかな活動である。それゆえ羨望と反感の対象となる特殊技術である。しかし多くの華やかな活動と等しく,基盤となる一,二,三,に支えられなくては十全の効果を上げ得ない活動である。脳の状態が健全でないとき,狭義の精神療法の活動範囲も効果も制約を受けるし,二層や三層を排除して行われる精神療法は至上主義の爽やかさの割には実効が少ない。しかしそれは特殊技術としての精神療法の価値を貶めるものではない。後述するごとく,基盤となる三つの層へ示唆を行うことが,狭義の精神療法のもう一つの価値だからである。巨視的にはEBMと同じ役割である。
 四つの層それぞれの輪郭はあいまいである,あることが治療上望ましい。互いに隣接領域から示唆を受け折衷的であるとき実効が大きい。薬物療法ですらそうであるし,そう努めている人が,職種の如何を問わず優れた治療者となることは日常目にするとおりである。
 僕は昔,大学で精神病理・精神療法の指導をしていたころ,この分野を志す人は自然科学の分野で研究活動をするようにと,後輩たちに勧めた。精神病理・精神療法への興味から入り専一になった人はしばしば偏狭になりやすく,僕自身ある時期そうであったとの悔悟に由来する助言であった。助言を受け入れた後輩は例外なく優れた臨床医となっている。
 原田誠一さんは僕の後輩ではなく,大学を去ってからお近づきになった若い友人である。そして,僕が思い描く最良の臨床医修練過程を辿ってすばらしい治療者となっておられるのが無性に嬉しい。原田さんは神経生理や睡眠の研究,とくにナルコレプシーの研究からスタートされ多くの業績を残されたが,臨床現場ことに治療への関心もだし難く,紆余曲折の末オフィスを開くにいたった。その紆余曲折の道程で生み出された臨床知の集積記録が本書である。原田さんは統合失調症の認知行動療法の専門家,すなわち第四層の術者として巷間知られているが,本書を一覧されると,常に第一層から四層までに目配りし続けている,せずにはいられない臨床家であることがわかる。当然視点は折衷的となる。僕は認知行動療法に不案内であるが,彼が認知療法を自家薬籠中のものとするに当たって,折衷化操作をしているはずであり,その程度は認知行動療法至上主義の人々が眉を顰めるほどであろうと想像する。
 自身もそう語っているように,原田さんは一層・二層・三層の担当者である。三つの層が見事にリエゾンしている。加えて第四層のさまざまな流派からの示唆を貪欲に導入している。まじめでありながらユーモアを忘れず,生き生きと折衷の活動を舞っている。読者は泉のごとき知恵を得,シャープな機知に揺さぶられるだけでなく,嬉々とした彼の活動から癒しの気をもらうことになろう。「工夫と楽しみ」題して妙なり。

伊敷病院 神田橋條治