訳者あとがき

 本書はAlec L. Miller, Jill H. Rathus, Marsha M. Linehan著「Dialectical Behavior Therapy with Suicidal Adolescents」(Guilford社,2007年)の全訳である。最近,弁証法的行動療法(dialectical behavior therapy: DBT)が自殺の危険の高い患者の治療に効果があったという報告が増えてきた。本書はとくに自殺の問題を抱えた思春期患者に焦点を当てて,DBTについて解説している。この内容は,DBTを実施しようと考えている治療者だけでなく,一般の精神療法家にとっても重要な示唆に富むと考えられる。

1. 深刻な思春期の自傷行為や自殺行動

 本書の背景である米国社会における思春期の自傷行為や自殺行動について最初に少し見ていこう。米国では,10歳から24歳の年齢において,自殺は,事故死,殺人に次ぎ第3位の死因である。なお,過去1年間に中学生と高校生の約20%が真剣に自殺を図ろうと考えたことがあるとの報告もある。米国の疾病対策センター(Centers for Disease Control: CDC)が実施した若者の危険行動に関する大規模調査によると,思春期の人の15%が具体的に自殺を計画したことがあり,8.8%が実際に自殺未遂に及んだという。毎年100万人以上のティーンエイジャーが自殺未遂に及び,約70万人が自殺未遂のために治療を受けている。
 思春期よりも若い年代では自殺未遂はそれほど頻繁には認められないのだが,思春期になると自殺未遂は急増し,16歳から18歳でその頻度は最高となる。思春期では,自殺が1件生じるごとに,約100件から200件の自殺未遂が生じている。自殺未遂に及んだ思春期患者の31%から50%が再び自殺を図り,最初の自殺未遂が生じた後の3カ月以内に,男では27%が,女では21%が再企図に及ぶ。
 CDCが1999年に実施した若者の危険行動に関する調査結果を分析したところ,多くの問題行動を抱えた思春期の人は,自殺行動に及ぶ危険も高いことをMillerらは明らかにした。問題行動とは,暴力行為,大酒,喫煙,危険な性行為,摂食障害,違法な薬物の使用などである。問題行動をまったく認めない若者に比べて,自殺未遂の結果,医学的な治療を受ける危険度は,問題行動が1つの人で2.3倍,2つの人で8.8倍,3つの人で18.3倍,4つの人で30.8倍,5つの人で50.0倍,6つの人では277.3倍となる。
 さて,本書の著者であるMillerとRathusはかつて同じ機関で心理学のインターンとして研修を受けていたことがあり,旧知の仲であった。2人はたまたま,1995年にモンテフィオーレ・メディカルセンター思春期うつ病・自殺プログラムで再び一緒に働くことになった。Millerはその外来プログラムの責任者に,Rathusは研究コーディネーターになった。プログラムの対象は,多くの問題を抱え,抑うつ的で,自殺の危険も高い思春期患者であった。
 MillerとRathusは,このような患者に対する効果的な治療を懸命に探したのだが,残念ながら期待できる治療はなかなか見つからなかった。彼らにとって唯一希望を持つことができたのがDBTであった。LinehanはDBTを創始し,境界性パーソナリティ障害(borderline personality disorder: BPD)の患者に対する治療が成果を上げていた。彼女は1993年には『境界性パーソナリティ障害の弁証法的行動療法』(誠信書房,2007年)221)と『弁証法的行動療法実践マニュアル』(金剛出版,2007年)222)の2冊を出版していた。
 MillerとRathusは,自殺の危険の高い思春期患者に対してもDBTが応用できるのではないかと考え,LinehanからDBTの集中訓練を受けた。その後,Millerらは彼らの外来プログラムで思春期患者に対してDBTを実施していった。彼らはLinehanのDBTの原法を忠実に実施し,その過程で,とくに思春期患者に応用するために,原法のいくつかの点を修正していき,現在の形へと整えていった。すべての患者に対して一律に応用可能な原則などあるはずはないので,原法に忠実でありながらも,個々の患者や,患者が置かれた状況に応じて,臨機応変に対応していくのは,臨床の場で常に求められる態度である。

2. どのような患者が対象となるのか

 本書が解説しているモンテフィオーレ外来プログラムでは,自殺の危険が高く(過去16週間以内に自殺未遂を認めたか,現時点で自殺念慮を認める),BPDの特徴を有する(BPDの診断基準の9項目のうち少なくとも3項目を満たす)患者である(注:DSM-Ⅳ-TRでは9項目の診断基準中5項目以上が該当すると,BPDと診断されるが,この診断基準に満たない思春期患者も対象になっている。)BPD以外には,患者は気分,不安,摂食,薬物に関連した問題行動などを呈している。ただし,ただちに救急の医学的な処置が必要だったり,緊急の自殺の危険が迫ったりしている場合は,このプログラムの対象ではなく,このような危機的状態を達した段階で,患者に対してDBTを始める。なお,重症の統合失調症,重度の学習障害や精神発達遅滞は対象とならない。明らかな自殺行動や自傷行為を認めなくても,情動や行動の制御不全を呈している患者を対象としている他のDBTプログラムもある。

3. DBTとは何か?

 弁証法は,現実を持続的,動的,総体的にとらえる。現実とはすべてを包含し,相反する極も含むと考えられる。弁証法的真理は,相反する立場からなる要素(「テーゼ」と「アンチテーゼ」)が統合(ジンテーゼ)されて生じる。肯定と否定,善と悪,親と子,患者と治療者,人と環境などといった,各システムにおけるテーゼとアンチテーゼの間の緊張,そしてその結果としての統合が,変化を生む。統合を通じて,さらに変化が生じ,新たな状態が生まれると,そこにもまた相対する極が現れる。したがって,変化は常に生じ,それは人生の本質である。
 さて,DBTは,1970年代の標準的な行動療法を自殺の危険の高い患者の治療に応用することから始まった。この治療の基本的前提は,死にたいと考えている人は,人生を生きるに値するととらえるのに必要なスキルを身につけていないというものであった。しかし,この療法を発展させていく過程で,単に変化だけに焦点を当てていては効果が上がらないことが明らかになった。自殺未遂に及んだ患者の多くは批判に対して非常に敏感であり,情動制御不全に陥りがちである。このような患者が変化するのを助けることだけに懸命に働きかけていくと,過度の不安を引き起こし,患者はそれに圧倒されてしまいかねない。変化と同時に受容も強調するアプローチがこうして生まれた。患者と治療者は協力して,今抱えている問題に対して向き合っていくためには,治療過程で受容も変化も同時に取りあげていかなければならない。苦痛に満ちた経験を変化させたいという願望と,同時に,人生において避けることのできない苦痛を受け入れようという努力との間で,バランスをとる必要がある。このアプローチに「弁証法的」という単語を用いたのは,まさに,こういった統合が求められるからである。

4. 思春期患者に対するDBTの構造

 DBTは包括的な治療プログラムであり,次の5つの本質的な目標がある。①変化をもたらすことを目的として,患者の動機を高める。②患者の能力を高める。③新たな行動を生む。④患者が置かれた環境を構造化する。⑤治療者の能力と動機を高める。
 このような目標を達成するためにさまざまな治療様式があり,それぞれの様式に従って焦点や注意の程度は異なる。典型的なDBTでは次の4種の様式を用いる。すなわち,①個人精神療法,②集団スキル訓練,③電話によるコンサルテーション,④治療者のためのコンサルテーション・ミーティング。
 DBT理論によれば,自殺の危険の高い思春期患者には共通して情動制御に問題があり,次の点が治療目標となる。①情動に強く影響される非適応的行動をコントロールできるようになる。②情動に影響されずに,目標を設定した行動をとる。③自力で興奮をコントロールできるようになる。④必要ならば,情動を揺さぶる刺激から,一時的に注意を引き離すことができるようにする。⑤葛藤を抱えた対人関係から身を置いたり,すぐに引きこもってしまったり,否定的感情を抱いたりすることなく,自らの感情を受け入れられるようにする。

5. 治療を始めるにあたっての合意

 治療を始める前に,患者(思春期患者では,家族も含めて)と治療者は次の点について合意しておく。①DBTでは,患者と治療者は協力して努力していく。DBTは,自殺予防プログラムというよりは,むしろ生命力を高めるプログラムであり,患者と治療者が協力して,人生を生きるに値するものにしていく。②DBTとは,問題の多い行動を分析し,より高いスキルを伴った行動に置き換えることに焦点を当てた認知行動療法のひとつである。③DBTは,患者が自分の人生を生きていくうえで,現段階において欠けているスキルを獲得するための訓練に焦点を当てた精神療法である。

6. 個人精神療法

 思春期患者を対象としたMillerらの治療プログラムでは,図1に示すように,個人精神療法とグループによるスキル訓練セッションが並行して進んでいく。個人精神療法の1単位は16週間であり,成人を対象としたDBTプログラムよりも期間が短い。これは思春期患者の場合,長期にわたる治療期間を示されると,それだけで治療意欲を減退させてしまいかねないからである。
 スキル訓練グループを担当する治療者(スキル・トレーナー)が他にもいるのだが,患者の治療に対して全責任を持つのが,個人精神療法を担当する主治療者である。個人精神療法の主な目標は,思春期患者がグループで学んだスキルを実生活で応用できるようになることである。したがって,単にスキルの能力だけではなく,効率的な対処スタイルを妨げ,非機能的な対処行動を強化している動機や環境についても治療者は働きかけていく。主治療者は具体的に,次の点について責任を持つ。①問題行動と足りないスキルを評価する。実際に問題が生じたときには,その内容について患者とともに分析していく。②このような問題行動を解決する。③問題を取りあげるために適切な方法を設定する。
 個人精神療法は週に1回50分から60分間行われるのが一般的である。取りあげるべき問題には優先順位があり,①命の危険をもたらす行動,②治療を妨げる行動,③生活の質を下げる行動の順になっている。
 なお,主治療者とのセッションでは,日記カードが活用される。これは標的行動の優先順位を決めるのに役立つ。患者は日記カードに日々の出来事を記入し,毎週のセッションに持ってくる。日記カードには,自殺未遂,自傷行為,自殺念慮,自殺行動の衝動,日常生活で起きたみじめな出来事,薬物の使用,活用できたスキル等について,患者が記入する。治療者は各セッションの最初にかならずカードを検討する。もしもカードに自殺行動や自傷行為が記録されていたら,それについて注意を向けて,話しあう。深刻な自殺念慮が記録されていたら,患者に自殺の危険が迫っていないか評価する必要がある。日記カードは問題行動をモニターするのに利用できるだけではなく,症状の改善の程度を追う具体的な指標として活用することもできる。
 主治療者は,患者が日常生活で経験した葛藤や問題について,患者とともに検討していき,学んだスキルが実際に活用されているか,あるいは足りないスキルは何かを検討していく。このような情報は,スキル・トレーナーなどの他の治療者ととも共有し,患者の適応度を高めるように助力していく。
 なお,患者がセッションとセッションの間に電話で,主治療者に連絡を取るように働きかけるというのも,外来DBTの独特な点である。電話による連絡は次のようないくつかの重要な目的がある。①スキルについて指導し,スキルの一般化を促す。②緊急の危機介入を行う。③患者がよい知らせも治療者と分かちあうように働きかけることによって,自殺の危険が迫ったときにだけ治療者の関心を引こうとする態度を改める。
 従来の精神療法では,治療の枠組みを守ろうとするあまりに,治療者はセッション外に患者が電話をかけてくることなど,よほどの緊急時でなければ思いもよらなかったかもしれない。しかし,思春期患者を対象としたDBTでは,むしろ,患者がそのようにすることを奨励する。自傷行為に及んだ後では,患者はすでに非適応的行動を選択してしまったことになるので,むしろ,自傷行為に及ぶ前に電話をかけてくることを治療者は強調する。DBTでは,患者が治療者に電話をかけるのが少なすぎるのも,多すぎるのも,どちらも治療を妨げる行為とみなす。「患者が自殺してしまったという連絡を受けるよりも,患者から『助けてほしい』という連絡が来るほうがよほど嬉しいと治療者は考えるはずだ」というDBTの治療者の態度は印象的である。
 電話がかかってきた場合には,解決しなければならない問題の複雑さや深刻さや,治療者が電話でどれくらいの時間をかけることができるかによって,焦点が変わってくる。患者が何をすべきかを見きわめるのが比較的容易な状況では,患者を助力する焦点に対して(非機能的行動ではなく)問題そのものに働きかけるスキルを使う。問題が複雑すぎて患者がただちに解決することができない場合には,次の精神療法セッションまで,苦悩を和らげ,それに耐え,非機能的な問題解決行動を抑えるようにするのが焦点となる。
……(後略)

2008年1月   高橋祥友