訳者あとがき

 本書はテリー・ピショー(Teri Pichot)とイボンヌ・ドラン(Yvonne M. Dolan)による“Solution-focused brief therapy : Its effective use in agency settings”の訳です。Solution-focused brief therapy(SFBT)は,これまでわが国では解決志向アプローチと呼ばれていた治療法のことで,ソリューション・フォーカスト・セラピー(Solution-focused therapy : SFT)とも呼ばれます。現在,わが国でこの方法を中心的な治療法として用いているセラピストの間では,SFTと呼ぶ場合が多くなってきています。本書ではピショーがこのSFTを学び,そして機関全体で活用するようになった様子が,SFTの説明とともに詳しく紹介されています。
 私はインターネットでSFT関連の新しい書籍の出版状況を定期的にチェックしていましたので,この本が出版された直後に早速購入しました。短期間に読み終え,非常に強い印象を受けたことを今でも覚えています。この方法を創り上げたインスー・キム・バーグやスティーブ・ディ・シェイザーによるすばらしい著作が何冊もありますが,これらの創始者を第1世代とするならば,ピショーはインスーたちから薫陶を受けた第2世代のセラピストということができます。SFTの基本的な考え方もしっかり書かれていますが,第2世代のセラピストでなければ書けないことがいろいろと書かれているのが本書の特徴の一つです。例えば,伝統的な心理療法の考え方からSFTの考え方に移行するときに経験した苦闘の様子がいろいろなところで描かれています。彼女の下で働いているセラピスト自身が経験談を語っているところも本書の特徴の一つだと思います。おそらく読者の中には,今まさに移行の最中にいる方も多いことでしょう。そのような読者が「今の自分と同じだ!」とつい言いたくなる表現があちこちに出てきたのではないでしょうか。
 SFTを勉強するための専門書としても本書は非常に優れた書籍だと思います。個人セッションだけでなく集団セッションやスーパービジョンを含み,ミラクル・クエスチョンの応用も書かれていますし,治療記録の作成の仕方まで書かれています。個人セッションや集団セッションの流れが詳述されているのも特徴の一つです。SFTを学ぶ者の間でよく話題になることの一つに,“どの質問”を“いつ”するか,というものがあります。SFTにはミラクル・クエスチョンやスケーリング・クエスチョンなどの強力な質問方法がいろいろとありますが,基本的な質問の仕方は明確ですので,個々の質問方法を学ぶのはそれほど困難なことではないでしょう。しかし,どの質問をどのタイミングで行うことがクライエントの解決構築に役立つかという点については,治療の流れ(文脈)と密接に関わってきますので,初心者にはなかなか理解できず,むずかしさを感じることが多いと思います。治療者が迷ったときに,本書で詳細に説明されている個人セッションや集団セッションの流れを読めば,参考になるのではないでしょうか。この流れを固定的に捉えるとSFTの精神からずれてきますので注意が必要ですが,一つの手がかりと考えれば有用な指針だと思われます。
 このように初心者が読んでも役に立つのは間違いないと思われますが,本書が最も役に立つのは,これからもっと積極的にSFTを活用したいと思っている中堅のセラピストが読んだときではないでしょうか。SFTの基本を理解した上で自分の分野に応用したいと考えているセラピストや専門家が,ピショーが自分たちの領域で活用するためにさまざまな工夫をした様子を読めば,きっといろいろなヒントを見つけることができるはずです。北米においてSFTを実践しているセラピストの間でもピショーの原著が話題になっていますし,SFTの教育にも広く使われているようです。
 ところで,北米のSFBTA(Solution Focused Brief Therapy Association)に所属するセラピストの集まり(学会)が2003年より毎年11月に開催されています。私は2001年と2002年にヨーロッパの学会(European Brief Therapy Association, EBTA)に出席し,その後はSFBTAに初年度より毎年出席しています。実はインスーからピショーを紹介していただき,その初年度の集まりの直前の2003年10月末に彼女が働いている施設にお伺いして,丸1日見学をしてきました。そして本書に書かれていることが実際に行われているのをこの眼で確かめてきました。彼女は原著の写真にもあるとおり,私よりずっと若くチャーミングな女性でした。私が突然お伺いしたにもかかわらず,スタッフ全員が集まり,施設の責任者の医師まで出席して歓迎していただきました。この歓迎ぶりから,彼女がスタッフ全員から高く評価され,尊敬されていることが私によく伝わってきました。そして,その日の仕事が終わってスタッフが家路につくときには,本書の第9章に書かれている通りに,お互いの安全を確認しながら施設の駐車場から去っていく様子を見て,感激したことを覚えています。

 ここで少し私とSFTの関係について説明しておきたいと思います。私は心療内科医ですが,産業医科大学では職場のメンタルヘルスに関わる研究,教育,研修に十数年間にわたって取り組んできました。その初期の1990年代中頃に初めてSFTに出会いました。その後SFTを本格的に学び始め,いろいろな研修に参加するようになり,自分の仕事に対してSFTを応用するようになりました。いろいろな心理療法に由来する考え方が職場のメンタルヘルスに応用されていますが,私はSFTが最も適した方法ではないかと考えています。実際にもいろいろな活動にSFTを応用してきましたが,そのときに最も役に立った書籍の一つが本書です。
 SFTが私の中心的な心理療法になってからほぼ10年間が過ぎていますが,この間,非常に貴重な経験をいろいろとしました。まず,言葉の問題です。初期には日本語訳の書籍を読んでいましたが,すぐに原著を読むようになりました。特にインスーやスティーブの単行本は全て原著で読んでいます。そして痛感したのは,SFTの効果的な質問を日本語で作ることの難しさです。英語でSFTの質問を読んでいるときには自然に頭に入ってくる質問でも,日本語に直すと途端に非常にぎこちない文章になります。つまり,SFTの質問は非常に英語的な質問なのです。これまで日本語に訳された書籍では,訳者がいろいろと努力をして分かりやすい日本語になるように工夫されています。それはそれで非常に大事なことですが,分かりやすい日本語にしようとすればするほど,英語の表現とはかけ離れてきて,意訳よりも解釈に近くなってしまうように私には感じられてしまうのです。自分が英語で原著を読んだときと日本語訳を読んだときのイメージの違いにとまどいを感じたことが何度となくあります。
 インスーが記した書籍を出版年に従って順に読んでいくと,彼女が使った質問方法がどのようにして拡がっていったかがよく分かります。バリエーションが非常に豊富になっていっています。しかもその変化は決してむずかしいものではなく,英語で考えた場合には,基本が分かっていれば割に簡単に思いつくような変化が多いように思われます。つまり,全ての質問方法を丸ごと記憶する必要はなく,その基本さえ押さえれば,その質問を自分で再現することが可能ではないか,と思われます。ところが,日本語で考えると必ずしもそうではありません。
 本来のSFTの精神を実際のセッションにおいて実現しようとするのであれば,クライエントが使った表現を基にして,セラピストがその場で即座に質問文を構成する必要があります。もともと自分が知っている具体的な質問文をそこに無理に当てはめようとすると,クライエントが使った表現との間でずれが生じて,適切な質問ではなくなってしまいます。つまり,クライエントの思考の流れ(文脈)にあわせて質問文を調整する必要が出てきます。この調整は英語であれば,とても自然に行えるような印象を持っています。しかし,私の未熟さも影響しているとは思いますが,日本語で行うとかなり困難な作業になるように感じています。特に初心者にとっては非常に大きな課題になると思います。
 次に経験したことは,SFTの活用の広がりです。欧米でSFTを実践している人たちと交流すると,実にさまざまな人たちと出会うことができます。心理療法のセラピストだけでなく,教育関係やビジネス,コーチングなど,実に多種多様です。このような広がりは日本にも伝わってきていますが,まだまだ大きな差があります。そしてこのような広がりが生まれた要因には,SFTが持つ普遍性と日常の言葉を使ってセッションが行われているということが関係しているのではないか,と私は考えています。この点でも日本人にはハンディがあります。考え方の普遍性はそのまま当てはまりますが,言葉としてはやや不自然な日本語になりがちです。このことが日本における応用の広がりやそのスピードに影響しているように感じています。
……(後略)

2008年1月   三島徳雄