まえがき

 近年,子どもや思春期をめぐるさまざまな問題が精神医学の視点から論じられるようになって,児童青年精神医学の裾野が広がってきた。かつての精神医学は精神疾患を外因性,内因性,心因性にわけて症状や治療法を記載していたが,20年以上前にDSM-Ⅲが登場して神経症の概念が否定されたのを見て,多くの精神科医はカルチュアショックを覚えたものである。反面,児童や思春期に携わることの多い私たちは自閉症が正式に発達障害に位置づけられたことでほっとしたし,子どもの心因反応が不安障害として扱われたり,注意欠如障害と言った新しい概念の登場にある種の新鮮さを感じた。
 時を経て,こうした局面の展開に充分に慣れてきていたところに,児童虐待の急増,司法や矯正教育の場での発達障害をもった少年たちのような,従来とは異なったアプローチが迫られてくるようになった。それは総じて,従来のような症状論的疾患学の捉えかたからでは解明できない現代の児童・思春期をめぐる病理現象だということである。現代の子どもがどのような社会の中で生き,何を学んで,どのように物事に対処することを身につけてきているのだろうか。あるいは,そうした子どもたちが成人した時に自分の子どもとどう向き合うのだろうか。
 最近では,街角のどこからも子どもたちが遊ぶ元気な声が聞こえてこない。現代の大人は子どもの心に触れることができなくなってしまい,その見えない彼方でごく普通の子どもが,大人には理解できないような,一般通念からはずれた行動をして,そのごく一部の児童や思春期の青年が世間を騒がせるような事件があるのではないだろうか。幸いなことに,彼らの心性を正しく捉えている,それぞれの領域の専門家が本書で適切な情報を提供しておられる。私たちはそうした情報を編集し直して社会的対応をすることができるようになってきてもいる。しかし,それは個々の事項に関してであって,総括的に把握するまでに至っていない。本書ではそうした情報や仕組みを再整理することをこころみ,多くの専門家にお願いして,こんにちを生きる子どもと思春期の心のケアに従事する専門職の方のための手引きとして構成された。それは,「現代を生きる子どもたち」,「社会変遷と子どもと思春期の精神医学」,「社会の危機,子どもの危機:医療ができること」,「状態像から子どもの苦しみを見出す」……といった順に問題が提示されたあと,最新の教科書としての記述,そして医療倫理や児童精神科医の養成や教育まで論述を広げた形で構成されている。本書で執筆をお願いしたのはそれぞれの領域の権威であり,しかも,比較的年齢の若い活動力にあふれた実務者である。この場を借りてお礼を申し上げたい。
 われわれは従来もいくつかの優れた児童・青年精神医学の教科書を手にしてきた。それを上回るような各章が書き上げられているかどうか。その正否が確実なものなるのは,本書を読まれた方々が各章の内容から,それぞれの臨床の現場で生かして戴けるかによってであり,そうしたお役に立てたいというのが構成・企画にあたった編集者の願いである。

   中根 晃