訳者あとがき

 本書は,Edward K. Rynearson, Retelling Violent Death, Brunner-Routledge, 2001の全訳である。タイトルに示されているViolent Death,すなわち暴力死とは,殺人などの犯罪被害による死,事故死,自殺などの不自然死のことであり,本書は,そのような暴力死の遺族への支援をテーマにしたものである。著者は,暴力死とはその死が人間の行為によってもたらされるものであり,病気などの自然死がもたらすものとは,きわめて異なるとして,暴力死の遺族に焦点を当てている。一方,いずれの形式の暴力死であっても,それによって大切な人を亡くした遺族の反応は,異なるところよりも類似しているところの方が多いとの見解から,一括して取り上げるに至っている。
 著者のライナソンは,1961年にハーバード大学で人類学を専攻した後,1966年にウエスタンリザーブ大学で医学博士を取得した精神科医であり,1980年からワシントン大学の精神科臨床教授を務めるとともに,シアトルを拠点として暴力死に関わる臨床に精力的に携わっており,暴力死死別協会(Violent Death Bereavement Society)のディレクターである。暴力死の遺族を治療する臨床家やサービス・プロバイダーに対する研修にも力を入れ,世界的に活躍しており,わが国にも,2006年に開催されたPTSD国際シンポジウム「犯罪被害・人為被害とPTSD」のシンポジストとして来日している。
 本書では,彼が暴力死の遺族と30年の長きにわたって行ってきた臨床実践及び研究である修復的語り直しの方略が提示され,それが軸になっている。破壊的な暴力死を経験した遺族は,それを経験する以前の状態に戻ることはできないものの,自身を変えていくことで,修復的な適応を試みること,すなわち,乗り越えたり,打ち勝ったりすることはできるとしている。暴力死を経験した当初は,リジリアンスを立て直し,心的苦痛を和らげることが大切であるが,それに引き続いて,その死ではなく,故人が生きていたころの記憶やその死の出来事を越えた経験と再び結びつけて暴力死の物語を組み立て直す修復的語り直しを通して,死や故人との関係を新たなものにすることができる,と記している。そして,それが最終的には,自身が生きることの中に新しく与えられた意味なり責任なりを見つけられるようになることにつながる,と主張している。臨床の仕事とは,その過程の中で,遺族の語り直しを修復的な方向に導くよう,その暴力死についての個別の語り直しの作業に,舵取り役として参加することであると位置づけている。すなわち,ここで提示されている支援は,ナラティブの手法を用いたものとなっている。
 この修復的語り直しとは,個々それぞれであり,一筋縄ではいかず,紆余曲折するものである,と言及している。臨床家は,修復的な方向に運んでくれる力なり方向性なりは知っているものの,どう展開していくのかは予測できるものではなく,そこに修復的語り直しの不思議さなり即興性なりがある,としている。そこには,暴力死の遺族の悼みに真摯に向き合う彼の臨床家としての姿勢がうかがえる。
 本書の基調は,決して軽やかで明るいものではないが,暴力死の遺族に対する愛情に満ちた優しい眼差しが注がれており,そこに安堵感を覚えることができる。本書プロローグ等で示されているとおり,彼自身,夫人を自殺で亡くしており,それが,暴力死の遺族に対する深い洞察にもつながっているのであろう。本書を書くという作業も,遺族である自分自身を前進させるものでもあるとしており,悲しみや悼みを携えながらも,しっかりとした足取りで人生を全うしようとする彼の生き様がうかがえる。本書は,一言一言が丁寧に紡ぎ出されたかのようであり,そこに,彼の臨床家かつ遺族としての人生が凝縮されているように思われる。そして,それが,本書を説得力のある迫力を伴うものとさせているのであろう。
わが国では,PTSDを扱った著書は少なくないが,遺族の心理的ケアに焦点を絞って扱ったものは稀有である。暴力死の一つである犯罪被害については,欧米に比べてかなりの遅れをとってではあるが,1990年代以降犯罪被害者への支援活動が発達するようになり,その文脈の中で,その遺族のケアのありようについても検討されるようになってきている。本書は,遺族の心境等についての描写も多く,治療の方略に限定せず,遺族について広く理解するに当たって格好の書であり,その支援を考えるにあたって,非常に参考になるものと思われる。
……(後略)