あとがき

 私のはじめての作品集です。「論文」集というほど,完成度は高くないぁと思うので,文集あるいは作品集といった感じですね。でも,じゃあもっと完成度を高めてといわれると,申し訳ないけれども無理だなと思います。「手持ちの力を使い,いまのできなさを引き受けて,なんとかやりくりしながら,自分の最大限をそのつど生きていくなかで初めて,次の力は伸びてくる」という私の好きな浜田寿美男先生の言葉にあるように,できなさを引き受けての,「今」の自分にとっての最大限の作品集です。どうか,ご勘弁ください。
 その内容ですが,これまで私が雑誌などに書いてきたもののなかから「軽度発達障害」に関連したもので,自分なりに気に入った文章を中心に,今回の構成にどうしても入れておきたいと思った項目の3篇と序章を書き下ろして,収めました。本書を纏めるにあたり,私は三つの状況を想定しました。一つは,軽度発達障害という状況,二つめは連携,協同といった繋がりの状況,最後は,「どう生きるか」という状況でした。ゆえに,タイトルは『軽度発達障害:繋がりあって生きる』とさせていただきました。
 最初に,私が「軽度発達障害」という状況に注目した理由を記しておきます。本書でも説明しておりますが,この言葉は彗星のように登場し消えてしまいました。今はほとんど使われることはありません。実際,私もこの言葉が登場したときに,そのあいまいさに戸惑いました。あるいはあいまいななかでも,ある種,障害の有無を鮮明にするかのような印象を与える可能性にも危惧を抱いていました。これは,すでに序章で述べたことです。それでもこの言葉を,タイトルとして使用するのは,私自身がこの状況を知ることで,子どもたちや親,関係者の方々と新しい心で向きあうことができたという,感謝の思いもあるからです。そこにある「あいまいな」それでいて,ひじょうに深刻な「生きづらさ」を持っていた子どもたちや親との出会いを,私は決して忘れたくないので,この言葉を本書に刻みました。どうか,そのあたりをご理解いただければと思います。
 次に,繋がるという状況についても,少し書き足しておきたいと思います。これは,本書では「連携」という用語で多数登場してきます。本書では,原稿執筆の時期によって,「連携」に対する私の考え方が微妙に変わっており,今後の課題でもあります。そのために,それぞれの原稿を,一定の考え方に収斂することができませんでした。それでも現在の私の考えを述べておく必要があると思います。(現在,私は)連携とは,「複数の者(機関)が,互いの専門性を尊重したうえで,同じ目的を持ち,連絡をとりながら,協力し合い,それぞれの者(機関の専門性)の役割を遂行すること」と定義したいと考えています。本書では,「対等な立場に位置した上で」,あるいは「対等な立場にあると想定して」という文言があります。しかし,その後も引き続き多くの職種の方々と話しをしていくなかで,組織の内外での立場には明らかに高低があり,「対等」と表現することに,あるいは「対等」という状況を目指す,あるいは優先することにやや無理があるように思えてきました。それよりも,「まずなによりも互いの専門性を尊重する」ことが重要であると考え直しました。当然,親も親という専門性を保持しますし,子どももまた子どもとして生きる専門家なのです。当初は対等性に拘り,現時点で相互尊重を掲げている私自身の背景には,支援は「支援する人の物語」ではなく,「支援を受ける側を主人公とする物語」へと転回する必要性を強く感じてきたからだと思います。対等ではなく,敬いあう関係を,今は重視したいのです。
 最後の「どう生きるか」は,随所に「生きづらさ」という表現で,翻っての重要性を述べています。おそらくこれも,これから綿々と続く,私の課題の一つでもあります。少なくとも,子どもたちには,「生まれてきてよかった」と思ってもらいたい,親たちには「育ててきてよかった」と思ってほしい,私たちは「関わってきてよかった」と思いたいのです。

 さて舞台裏のことを一つ。私は本書を編むなかで,一番愛着のある文章の掲載を断念しました。初稿校正までは,掲載していましたが,全体のバランスからみて,どうしても違和感がありました。その原稿は,「序」で村瀬嘉代子先生も触れておられる論文です。私がまだ軽度発達障害に足を踏み入れるまえの,一人の女の子に対する関わりの記録で,日本児童青年精神医学会で発表し,「児童青年精神医学とその近接領域」という学会誌に投稿し掲載されました。私のはじめの一歩です。その原稿の別刷を,私は当時大正大学におられた村瀬先生に一方的に送りつけました。一ファンとして,どうしても読んでほしかったのです。送りつけただけで目的を果たした私のもとに,村瀬先生からの感想が送られてきました。その意味でも,この論文は私にとって忘れられないものとなりました。しかし,それは,本書の流れから言えば,異質な感じを読み手に与える可能性が高く,読み手を戸惑わせるものと思われました。本書は,私の回想と満足のために編んだのではなく,今まで出会った子どもたちや親,関係者の代弁になるものでないといけないと思い,なかでも「発達障害」という状況を最初に選択しました。そのため初回の校正の段階で考え直して,別の原稿に差し替えました。しかし,今,私がまがりなりにもこうした仕事をし続けることができているのも,あの原稿と村瀬先生のご返事のおかげなのですから,そこで再度,ご無理を重々承知で,村瀬先生に一言いただければと思い,ぶしつけなお願いをしました。「先生,できましたら,オビ文を書いて下さいませんか」と。すると村瀬先生は,本書のなかに置く文を書いて下さったのです。
どうか,この「序」だけは,私自身への大きなご褒美と内心喜ばせていただくことをお許しください。
……(後略)

2008年9月 田中康雄