監訳者あとがき

 この本は,マイケル・J・マホーニー(Michael J. Mahoney)編の“Cognitive and Constructive Psychotherapies: Theory, Research, and Practice”(Springer Publishing Company, 1995)の全訳である。ちなみに,訳者6名は,マホーニーの指導のもとで学んだ菅村玄二はもとより,全員がマホーニーと交流や面識があった者である。
 本書の執筆陣には,認知行動療法と構成主義心理療法の領域を代表する,アルバート・エリス(Albert Ellis),アーロン・T・ベック(Aaron T. Beck),ドナルド・マイケンバウム(Donald Meichenbaum),マホーニー,ヴィットリオ・F・グイダーノ(Vittorio F. Guidano),ロバート・A・ニーマイアー(Robert A. Neimeyer)らが名を連ねている。
 編者のマホーニーは,1946年にアメリカ合衆国のイリノイ州で生まれた。アリゾナ州立大学で心理学を学んだ後に,スタンフォード大学大学院で心理学を専攻し,そこで博士(Ph. D.)の学位を取得した。大学院における指導教授は,モデリングの理論とセルフエフィカシーの理論で世界的に著名なアルバート・バンデューラ(Albert Bandura)であった。博士号を取得した後に,マホーニーは,ペンシルバニア州立大学で,助教授,准教授,教授を務めた。その後,カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授,ノーステキサス大学教授・セイブルック大学院特別顧問教授(兼任),サルヴィレジーナ大学教授の職を歴任し,2006年に他界した。
 マホーニーは,行動主義から出発したが,その後認知主義に転じた。彼は,エリス,ベック,マイケンバウムらと並んで,1970年代中頃から盛んになった認知行動療法の開拓者の一人であった。しかしその後,さらに構成主義に転じ,構成主義の立場から,合理主義・客観主義に立脚する認知行動療法を批判した。そうした批判に答える形で,エリスの論理情動行動療法,ベックの認知療法,マイケンバウムのストレス免疫訓練はいずれも,構成主義の要素を取り入れて変化をとげていった。
 マホーニーが生前最後に辿り着いたのは構成主義であった。1996年には,構成主義に対する国際的な関心の高まりに呼応して,国際学会であるSociety for Constructivism in the Human Sciencesが設立され,専門誌“Constructivism in the Human Sciences”が創刊されたが,マホーニーはその中心的役割をになった。“Constructivism in the Human Sciences”は,世界30カ国以上で購読されている。この学会と雑誌を通して,マホーニーは,心理学にとどまらないさまざまな分野での国境を越えた対話を実現したのである。
 この本の構成と各章の概要については,マホーニーによる「序文」にゆずることとして,ここで監訳者なりに,本書の内容に関連した若干の解説を行うとともに,本書の意義について述べることにする。
 心理療法のある分野でのことではあるが,行動療法から認知行動療法へ,さらには構成主義心理療法へと,治療体系の変化が起こった。それは,理念や認識論の観点からすれば,行動主義(経験主義・客観主義)から認知主義(合理主義・客観主義)へ,さらには構成主義への変化でもあった。
 このような潮流のなかで,先にも触れたように,論理情動行動療法,認知療法,ストレス免疫訓練といった代表的な認知行動療法は,いずれも構成主義的になっていったのである。このことからすれば,認知主義(合理主義・客観主義)と構成主義,換言すれば,認知行動療法と構成主義心理療法の融合は,すでに始まっている,といえるかもしれない。
 しかし,構成主義は,客観主義とは異なり,人の個人的・社会的現実は客観的に存在するのではなく,人が現実を構成する(創造する),ととらえる認識論である。そこでは,合理主義においては当然の,論理的(合理的・理性的)な考え方といったものは容認しない。たとえば,「私は誰からも愛されなければならない」というような,一見不合理にみえる思考であっても,その思考をもっているがゆえに,緊張感のある日常生活を送ることができて,その人にとっては助けになる,ということもありうる。マホーニーの主張のように,思考の合理性(妥当性)よりも有用性(生存可能性)のほうが,むしろ重要なのである。
 合理主義・客観主義と構成主義の違いは,他にも多々みられる。たとえば,合理主義・客観主義の立場では,強い不安や抑うつなどの感情はコントロールするものと考えるが,構成主義の立場では,人間は自己組織化する存在,一生涯をかけて成長(発達)していく存在であるという観点から,こうした感情を自然なものとみなし,まずはコントロールするべきものとはとらえない。また,合理主義・客観主義の立場では,クライエントの「抵抗」は問題視されるが,構成主義の立場では,それを,中核的な秩序化のプロセスを保護するためのもので,自然なことだ,と理解する。
こうしたことからすれば,合理主義・客観主義と構成主義の対立,あるいは,認知行動療法と構成主義心理療法の対立は,避け難いのかもしれない。
 現に,認知行動療法に関する研究においては,多数のサンプルを対象として,量的研究法(統計解析の手法)を適用し,一般的原理・原則を抽出することをめざす傾向が強い。一方,構成主義心理療法に関する研究では,少数のサンプルに,質的研究法を適用し,人の個性の理解をめざす傾向が強い。
 そして,認知行動療法の実践においては,精神疾患を,DSM-Ⅳ-TRやICD-10といった,いわば客観的な診断基準で診断する。また,「エビデンス・ベースト」を強調し,疾患別の治療マニュアルに基づく治療を推奨する。しかし,構成主義心理療法の実践では,いわゆる客観的な診断は必ずしも重視しない。また,「ナラティブ・ベースト」を強調し,治療法のオリエンテーションや技法にこだわらず,その個人に合ったアプローチをとる。
 さて仮に,ここにDSM-Ⅳ-TRに基づいて「強迫性障害」と診断されたクライエントが二人いるとする。その場合,この二人は同じ問題をもっていることになるのだろうか? 確かに,共通性はあるが,たとえ同じ診断名が与えられていても,違うところも少なくないはずである。こうしたクライエントに対しては,認知行動療法がよいだろうか? あるいは,構成主義心理療法がよいだろうか? むろん,どちらも向かないこともあるだろう。その場合は別として,一般的原理・原則が適用できる部分もあると同時にその個人の特有性も反映している,個人の問題を理解し,それにアプローチするためには,認知行動療法と構成主義心理療法のどちらをとるかを考えるよりは,双方を活かす道を探るほうが賢明だろう。
 結局,合理主義・客観主義と構成主義の対立,あるいは,認知行動療法と構成主義心理療法の対立はあるものの,臨床心理学の研究と実践においては,認識論的な議論にこだわって合理主義・客観主義と構成主義の対立点を強調するのではなく,両者の相互補完や融合をめざしていくことが求められるのだろう。
 マホーニーは,こう述べている。「行動主義,認知主義,構成主義といったラベルはあまり重要ではない。重要なのは,特定の分野の内外での真の対話を実現することだ」。マホーニーによる「序文」にある,本書が編まれた経緯からもうかがえるように,本書はまさにそのような対話から生まれたもので,また,そのような対話を促す書物といえるだろう。
 ところで,ニーマイアーは,第11章「構成主義心理療法の評価」において,構成主義心理療法に位置づけられる治療法として,パーソナル・コンストラクト療法,構造発達認知療法,ナラティヴ・セラピー,家族療法を例示している。本来,構成主義は認識論の一環であり,特定の治療法や技法と結びついている訳ではないので,構成主義心理療法には,他にも,解決志向アプローチ,交流分析など,多様な治療法が位置づけられる。これらの構成主義心理療法のうち,ナラティヴ・セラピー,家族療法,解決志向アプローチ,交流分析などについては,邦文で読むことのできる書籍も数多くある。しかし,邦文の書籍のなかでは,ジョージ・ケリー(George Kelly)のパーソナル・コンストラクト療法,グイダーノやマホーニーの構造発達認知療法をカバーしたものはほとんどないと思われる。
 パーソナル・コンストラクト療法は,認知行動療法の形成に大きな影響を与えただけではなく,今日の構成主義心理療法の先鞭をつけたものでもあるだけに,それについて,日本でも理解が広がることが期待される。
 構造発達認知療法は,人の自己組織的発達における愛着関係を重視するものである。近年日本でも,愛着(アタッチメント)障害やその治療の観点から,ジョン・ボウルビィ(John Bowlby)のアタッチメント理論があらためて注目されている感がある。ただし,構成主義心理療法とアタッチメント理論に接点があるということについては,あまり知られていないだろう。
 このような現況からすると,本書は,日本において,認知行動療法と構成主義心理療法の領域の掛橋になるだろうという大義を有することはもとより,これまでそれほど知られているとは思われない,パーソナル・コンストラクト療法や構造発達認知療法の存在,構成主義心理療法とアタッチメント理論の接点などを知っていただく契機となるという意味でも,価値があるものと思う。
本書を通して,さまざまな読者が,認知行動療法や構成主義心理療法についての知識を得て,この両者の相互補完や,融合の可能性などについて考え,研究,臨床実践,日常生活などに活かしてくださることを,切望する次第である。
……(後略)

2008年 初秋 監訳者を代表して 根建金男
菅村玄二