あとがき

 認知療法の創始者アーロン・T・ベック先生に会ったのは,私がアメリカに留学していた1987年のことだった。私はその頃,ニューヨークのコーネル大学医学部に留学をしていたが,そこでの認知療法のスーパーバイザーだったバルック・フィシュマン先生に勧められてファイラデルフィアのペンシルベニア大学のベック先生の気分障害クリニックを訪れたのだ。その時,私は緊張していたというよりも,ベック先生に会うことができるということで気持ちが高揚していたように思う。
 ベック先生は,とても温かく落ち着いた雰囲気の人だった。私が緊張しないですんだのは,その雰囲気のおかげだったのだろう。ベック先生は,穏やかな口調で,私の背景について尋ねられた。私は,ちょっとためらいながら,精神分析を勉強するために渡米して認知療法に出会い,強い関心を持つようになったという話をした。さほど上手でもない私の英語に静かに耳を傾けていたベック先生は,私の話が一段落すると,認知療法は精神分析の発展型だという趣旨のことをおっしゃった。
 その言葉を聞いて,私はとても支えられた気持ちになった。精神分析を勉強しにきて,認知療法に関心を持つようになったことに,若干後ろめたさを感じていたからだ。ベック先生は,精神療法家その私の気持ちを察されたのかもしれないが,自分も精神分析を勉強し実践している中で認知療法にたどりついたのだという話を続けられた。
 そう言われてみると,たしかに認知療法のアプローチは精神分析に似ている。最初にフィッシュマン先生のスーパービジョンを受けて認知療法を始めた時の私の印象は,日本でそれまでしていた精神分析とほとんど違わないというものだった。日本では,週1回対面法で精神分析をしていたが,そのような治療形態で無意識の欲動を扱うことはきわめて難しい。従って,どうしても前意識を扱うことになり,認知療法で自動思考を話題にするのと基本的には変わらない。
 そもそも,本書に収録した論文「精神療法の接点を探って―精神分析の臨床的発展―」で論じたように,フロイドの治療論は柔軟であり,多面的である。精神分析はもちろんのこと,認知療法や行動療法,対人関係療法など,治療効果があるというエビデンスを出している精神療法の基本的な治療概念は,すでにフロイトの治療論の中に含まれていたのである。
 そうしたフロイトの治療論の柔軟性と発展性を私が教わったのが,小此木啓吾先生だった。小此木先生からは,私が医学部を卒業したばかりの研修医1年目のときからアメリカに留学するまで,ずっと精神分析のスーパービジョンを受けていた。逐語的に書いた面接ノートをいつも持ち歩いて時間がある時に見返すと新しい発見があるということなど,小此木先生から教わった臨床の知恵は数限りない。
 その小此木先生が,アメリカ留学を前にした私に,留学すると考え方が変わるから,それまでに日本精神分析学会で発表したものをすべて論文にするようにとおっしゃった。小此木先生から教わった精神分析をアメリカの留学でさらに発展させたいと考えていた私は,その小此木先生の言葉を聞いて少し寂しく思った。精神分析に対する私の考えが変わることなどないと,若干の反発も感じた。
 しかし,小此木先生の言葉を重く感じた私は,先生の助言に従って3本の論文を書き上げた。毎晩,お互いの仕事が終わった深夜に,小此木先生の自宅にうかがって丁寧な指導を受けながら論文を作っていったのを,昨日のことのように覚えている。その一つが本書に採録した「境界パーソナリティ患者の治療における受身性と中立性について」で,若手の精神分析家に贈られる日本精神分析学会の第1回の学会奨励賞を受賞することができた。この論文で論じた治療者の態度は,境界性パーソナリティ障害に対する精神分析的精神療法だけではなく,認知療法をはじめとする精神療法すべてに通じるものであると考えている。
 渡米した私は,小此木先生の想像したようにいくぶんか心変わりをして認知療法を勉強することになった。しかし,先に書いたように,私の中では臨床的な技法としては特に違和感なく,一貫性を感じていた。いま思い返すと,小此木先生も,否定的な意味ではなく,留学すれば臨床家としてさらに発展するはずだという意味でおっしゃったのではなかと思う。そう考えると,ベック先生も小此木先生も,患者さんのために精神療法を発展させていこうという強い意識を持っていらっしゃって,真に臨床的な治療的アプローチを身につけるように私を指導していただいたのだと,今さらながらに思う。
 そのときに,私に対して,精神分析と認知療法との橋渡しをしていただいたのが,当時コーネル大学の教授でペンウィットニー病院の外来部長であったアレン・フランセス先生だ。フランセス先生は,のちにDSM-Ⅳの作成委員長に就任してその名を世界的に知られることになった人だが,その頃は『精神科鑑別治療学』(星和書店)という本を出して,精神科の治療は患者さんの状態を考えながら,さまざまな治療方法を的確に取捨選択し,統合的に行うべきだということを提唱されていた。
 フランセス先生は,そうした考えに立ち精神分析的精神療法や薬物療法,行動療法など他の治療方法のスーパーバイザーに加えて,フィッシュマン先生というスーパーバイザーを紹介して,認知療法を勉強するように勧めていただいた。その体験が,臨床家としての私にとって,とても新鮮で魅力的でありそこから私の認知療法の勉強が始まった。このようにフランセス先生もまた,柔軟で多面的な臨床的なアプローチの重要性を教えていただいたという点で,ベック先生,小此木先生と並んで私にとってかけがえのない恩師であったし,今もいろいろな教えを受けている。そのフランセス先生に勧められて書いた論文が「Zen and the Art of psychotherapy: brief session cognitive therapy」である。
 このように,指導者に恵まれた私であったが,日本に帰ってきてしばらくの間は認知療法の専門家と呼ばれることに抵抗感があった。それほどきちんと認知療法を身につけてきたとも思えなかったし,それ以上に,自分は認知療法だけを使って治療するわけではないという思いが強かったからだ。私としては,認知療法に限らず,患者さんが少しでも楽になるように,できるだけいろいろな方法を使って治療をしたいと考えていた。
 しかし,時間が経つうちに,認知療法自体が統合的な精神療法だと考えるようになり,認知療法を中心に据えて柔軟に治療的介入を行うことで,治療効果があがるということを実感できるようになった。それが可能になったのは,日本認知療法学会や慶応認知行動療法学会をはじめとする精神医学や認知療法の先輩や仲間と勉強できたからだった。……(後略)

2008年 9月 大野 裕