訳者あとがき

 本書はマートン・M・ギルの最後の著書である“Psychoanalysis in Transition”の邦訳である。本書は精神分析の理論にとどまらず,これを科学的なものとするための方法論や,分析家が臨床でいかにふるまうべきかといった実践的な問題にまで言及している。
 フロイトを始祖とした精神分析には複雑な発展の歴史があり,現在でも学派間での論争は絶えない。各学派が他の学派を非難することが常態となっている今日において,ギルは精神分析の本質を理解しようと試みている。ギルの集大成とも言えるこの一冊は,それ故に難解である。本書の論ずるところを理解する一助となることを願い,ギルの経歴を紹介しようと思う。

 マートン・M・ギルは三人兄弟の次男として1914年にシカゴで生まれた。高校を首席で卒業した彼はシカゴ大学に進学し,1938年に医師資格を取得した。トペカのメニンガークリニックでレジデント課程を修了後,1946年には32歳という若さで同クリニックの外来部門の長となり,デヴィッド・ラパポート(David Rapaport)の右腕として研究部門も任されるようになった。そして1947年にトペカ精神分析研究所でのトレーニングを修了している。この間にデヴィッド・ラパポートやマーガレット・ブレンマン(Margaret Brenman)と精神医学的診断に関する研究や催眠と精神分析に関する研究など多くの共同研究を行い,ロイ・シェーファー(Roy Schafer),ジョージ・クライン(George Klein)ら特に心理学者と親交を深めていった。1948年にはマサチューセッツ州のオースティン・リグス研究所を支える主要スタッフの一人となったが,間もなくイエール医学校の精神医学科に籍を移し,精神科初回面接に関する新たな共同研究を始めた。彼は1953年から10年間はバークレーで過ごし,サンフランシスコ精神分析研究所のトレーニング・アナリストとして後進の指導にあたる傍らで,国立衛生研究所(NIMH)と精神医学研究基金財団の支援のもとで精神療法と精神分析理論の研究を行った。1963年にはニューヨーク州立大学の南部医学研究所(Downstate Medical Center)の精神医学部門のリサーチ・キャリア・プロフェッサーとなり,1969年にはNIMHの特別研究員(Special Fellow)となった。この頃より彼は,精神分析の治療過程を系統的に研究するようになり,録音されたセッションからキーワードを抽出して簡略な要約を作成するという手法を考案した。これによって分析家と被分析者以外は立ち入れないものとされてきた分析セッションはより一般化されたものとなり,治療に関わっていない研究者が症例をデータとして利用することが可能となった。1971年にイリノイ大学の精神医学科教授としてシカゴに戻った後にはアーウィン・ホフマン(Irwin Hoffman)と共に録音セッションの研究を発展させ,転移を科学的に検証できるよう思索したのである。そして1994年11月に81歳で他界した。

 上述の経歴が物語っている通り,ギルはいわゆるエリートである。彼は自我心理学者としてトレーニングを修了したが,その後は自身の感じる疑問や矛盾と真摯に向き合い,精神分析理論を独自の視点で再考した。フロイトの局所論と構造論の関係を明らかにしてフロイトのメタ心理学に疑問を提出するだけでなく,精神分析の特徴を抽出して精神療法との異同を明確にしたのである。そしてそれらが正しく評価されていない現状を打開するために,精神分析を科学的な研究の対象とすることの必要性を説き,方法論を探求した。晩年のギルは精神分析を構成主義的・解釈学的なものと位置づけるようになった。このような持論の変遷は彼自身の妥協を許さない姿勢と柔軟性のなせる業であろうが,決して平坦な道ではなかったはずである。

 このようにギルは単に優秀なだけでなく,誠実な学者であり理論家であったが,同時に熱心な臨床家でもあった。彼は研究・指導に多忙な日々を送る中でも,自分の持てる時間の半分は臨床のために使っていた。そして彼が晩年を過ごしたシカゴのオフィスには,スーパーヴィジョンや助言を求める同僚や学生が後を絶たなかったという。
 私はギルという人物に興味を抱き,当時の同僚らが彼の業績について記したものに目を通した。それらには彼の明晰で論理的な思考や弁舌に対する賞賛だけでなく,彼の人柄を示すような具体的なエピソード,さらには「ユーモアに富んだ」とか「低く甘美な声」といった彼をイメージさせるような表現が多く盛り込まれていた。これはギルがいかに豊かな人物で,周囲から愛されていたかを物語っていると言っても過言ではないだろう。常に真理を求め,臆することなく持論に修正を加えるギルの姿勢は,彼の学問的な功績と同様に周囲に大きな影響を与え,尊敬を集めていたようである。

 ギルは本書でも丁寧に論を展開しているが,多くを語ろうとするあまりに論点が拡散し,自ら軌道修正をするような場面がある。これこそが自身の知り得たことをすべて伝えたいというギルの誠実さの表れであり,持ち味なのだと思う。
……(後略)

杉村共英