まえがき

 私は現在,児童相談所の職員として,児童福祉や心理臨床の領域の仕事に携わっています。この仕事を,広く対人援助職という括りでみた場合,問題や困難を抱えた人たちに出会い,その状態から脱け出すお手伝いをするという構造が基本的にあります。
●一見不幸を一転幸福に
 2008年の初め,サイコセラピー関連の臨床家たちで作るインターネットのあるサイトに,「“一見不幸を一転幸福に”変える資源活用のワザ」という事例がらみの一文を寄せました。第1章に,その事例を紹介しています。理由あって実親のもとでは育てられない出産後すぐの新生児を,里親に委託して養育するという事例でした。
 “一見不幸を一転幸福に”変えるという魅惑的フレーズは,私にとっては,まさに究極のセラピーのイメージです。自分が関わる人たちが,そうなってくれたらどんなにいいだろうと夢見がちになってみたり,どんなに子どもが救われるだろうと児童福祉現場で出会う数々のケースを思い浮かべて嘆息ついてみたりします。
 でも,そんなことって,滅多と味わうこともありません。対人援助を“不幸から幸福へのお手伝いである”と思って支援していたということもありませんでした。不幸とか幸福というのは,個人の価値観に関わるものですし観念的な言葉ですから,臨床場面には不似合いと思っていました。それでも,一見不幸な状態にある子どもを,一転して幸福な状態に変えていくというフレーズが,ピタッとはまる経験をしました。それが,新生児里親委託という局面でした。
 それは,セラピーの技術や個人の対人援助能力に留まらず,そのとき望む者と望まれる者がいて,究極のタイミングでコンテンツとコンテクストが折り合い,資源が活用されることによって生まれる経験でした。タイミングは究極かもしれませんが,偶然などではなく,資源活用のワザによって実現できる産物でした。
 “一見不幸を一転幸福に”という語呂と語感が,気に入りました。本書のタイトルに入れたいとも思いましたが,それこそ,何の本? 宗教? 幸福論? マジック?……など誤解を受けるかもしれません。日々出会ってきたケースが,必ずしも瞬時に一転することはありませんし,劇的とか急速ではないことの方が多いものです。一転ではなく,“二転三転して幸福に”でもいいのです。その点で,看板に偽りあり,になるかもしれず断念しました。
●資源活用のワザ
 では,実際にタイトルに使った“資源活用のワザ”という言葉について若干説明します。
 “ワザ”という言い方に,作為性を感じられて嫌われる向きがあるかもしれません。
 しかし,児童福祉領域の現場では,多くの子どもたちの人生を左右する重要な局面に日々関わります。作為だ嫌いだというよりも,目の前にいる子どもや家族の福祉にとって,最善の方法を用意する必要性と責任があります。時熟を待つ時間も使える資源も,そんなに多くはありません。躊躇も猶予もなく,その時々で使える資源を関係者の知恵を集めて決定し活用していくことが求められます。その際に,旧態依然のやり方に安住することなく,よりよい方法を求め,その人たちに合ったスペシャルなものを捻出する必要があります。この捻出の工夫,これすなわち,資源活用のワザです。
 新しい“援助技術”を学ぶということと,新しい“資源活用のワザ”を学ぶということは,私の中ではほとんど同義です。前者はテクニックであり心理療法的,後者は工夫や利用などケースワーク的なニュアンスはありますが,後者のほうが前者を包含する言い方です。あくまでも現場の実務的に使えるものとして,“ワザ”という言い方をしています。
 対人援助の仕事をしていると,こんな私がこのクライエントの相手をさせていただいていいのだろうかと思うことがあります。とくに若い未熟な頃は,うまく援助できていない,そう思っては落ち込むこともありました。世の中には多士済々,すぐれた臨床家がたくさんいます。その人たちが私の目の前にいるクライエントと出会ったら,私などよりきっと上手な援助をされるだろうに……と,クライエントに対し申し訳なく思ったりもしました。
 しかし結局は,今ここで,この人の相手をしてあげられるのは,私しかいないんだと思ってやるしかありませんでした。臨床現場では,援助者とのそのときの出会いこそ,唯一無二,一期一会なのですから。援助者が準拠する理論や臨床学派はそれぞれですが,対人援助職にある者が共通して準拠すべきは,クライエントの存在そのものです。理論の中に答えはありません。クライエントとの対話の中にこそ解決はあります。その対話のしかたを,援助者は学んでいくのです。そんなふうに思うようになりました。
 一方で,うまく援助ができて相手に喜んでいただけると,〈いえいえ,私は何もしていません,あなたにもともと力があったからですよ〉と言いながらも,満更でない自己満足を感じることがあります。経験を積む中で,自分の対人援助技術やスタイルもできてきますが,これが相手に役立ち,自分の使い勝手のよい資源になっていれば幸いです。
●本書の構成
 かくいう私の臨床歴もかれこれ30年近くなりました。その中で出会った人たちのことを思い浮かべながら,本書を執筆し編みました。学術雑誌などに投稿した論文も,版元にお断りをして一部手を入れて収録しました。うまく援助できなかった事例や失敗談も多くあります。そこから学んだこともいっぱいあります。
 本書で紹介した事例の背景には,他のさまざまな実例からの教訓や学びがたくさんあります。また,臨床を指導していただいたり,その都度議論を交わしてきたり,愚痴を言いあった先輩や同僚や仲間の皆様の存在がたくさんあります。このたくさんの出会いと交流が,現在の私を支えていただいていると実感します。したがって,本書全体は心理臨床と児童福祉領域の一臨床家が,皆様に支えてもらいながら真面目に取り組んだ,ささやかな成果をまとめたものです。
 事例は,プライバシー保護のため大幅に改変修正を加え,私自身が関わったものを紹介しています。ですから,「こんな事例がありました」という単に事例の紹介ではなく,「この事例とこういう関わりをしました」という私自身のやりとりを中心に記述しました。そうすることが,一臨床家としてのオリジナルだと考えました。理論を語ることはあまり得手ではありませんし,その手のすぐれた理論書は多く出されていますので,事例がらみの実践に徹した本にしたいと思いました。
 構成は,1章ずつが読み切りの形になっています。児童相談所の業務の中で出会った事例を中心に,第1章の新生児里親委託に始まり,以下,ジョイニング,リフレイミング,変化を促進する,と続きます。この3つは,面接の基本的なワザを演出するものとしてとても大切であると考えています。さらに思春期の社会化と個性化について,事例を含めて総論的なものを入れました。
その上で,非行事例,不登校事例,虐待事例,その他の事例と分類しました。いずれも私にとっては,紹介した一つひとつの事例への関わりが,類似ケースへの対応のモデルとして現在の臨床に生かされていることを感じます。
 新生児里親委託のようにスペシャルな変化ではなくても,そのときどきのかかわり合いのなかで,“一見不幸が一転幸福に”変わる対話を生み出すことを願ってやってきています。関わりの中あるいはその後の経過の中で,少しでも幸福感を抱いてくれる人が増えること,これが臨床家としての私の何よりの幸福感です。
 読者の皆様にとって,このささやかなる成果が何らかのお役に立って,臨床活動の参考モデルになるならば,それすなわち,臨床家としての私のもう一つの幸福感になります。