あとがき

 書き終えて,目次を眺めてみると,私が比較的ウェイトを置いてこれまで取り組んできたところでありながら,本書ではほとんど取り上げていない領域が一つあることに気づきます。心理検査をもとにした発達相談ケースや発達障害ケースなどの発達領域です。心理職として仕事をする中で,心理判定に費やす時間はもっとも長かったのですが,本書では発達相談および心理判定に関する記述は,事例紹介の中でほんの一部に触れている以外,ほとんどありません。その理由は以下の2点です。
 ここ3年ほど心理職よりも児童福祉職として虐待対応などにウェイトを置いた対人援助を行ってきているという事情が1点です。私自身のアイデンティティは心理職にあったとしても,現在の職務はいやがうえにも純度の高い心理職から私を遠ざけてくれます。おかげで,金科玉条を掲げることなく,また木を見て森を見ずにならず,ずいぶん関係機関との関わりや現場へのアウトリーチや子どもの措置決定など,社会性や現実感を注入された気がします。その分,ファンタジーやイメージなど,そこはかとない時空間を漂う式の心理療法の世界や,統合失調症の人たちとの長期にわたるつきあいといった,どちらかと言えば動より静の時間はしばらくお預けのままです。やはり,虐待対応は,年柄年中,春風駘蕩とはいかず秋霜烈日なりを感じること多しの毎日です。
 もう1点は,発達領域を取り上げた『そだちと臨床』という児童福祉の総合雑誌(明石書店刊,年2回発行)の編集委員として参加しているという事情です。この編集を共にしている「そだちと臨床」研究会の仲間と議論したりワークショップを開催するなど,創造的で楽しいやりとりによって発達領域は十分私の中でカバーされています。
 改めて,本書でどこまで示せたかは心許ないですが,子ども相談に関するかぎり,非行でも虐待でも不登校でも,発達をみる視点は不可欠と思っています。
 一方,発達的視点にプラス社会的視点をもって,対人援助活動を今日まで行ってきました。社会的視点としては,システム論に基づくものの見方や語用論的コミュニケーションなどが対人関係を理解するのに役立っています。実際の援助技法としては,児童相談所の実践的なケースワークの枠組みの中で,家族療法,ブリーフセラピー,動作療法,行動療法,力動的面接などを個々のケースに用いながら,実践してきています。その実践の一部を,本書において資源活用のワザとして掲載しました。
 私のベースにある資源活用の方法は,家族療法の第一人者である吉川悟氏(龍谷大学教授,コミュニケーションケアセンター所長)に教えを受けた領域が最大です。これまでのご指導に感謝します。一方で,この著作をお見せすることを最も躊躇されるお一人です。批判的に見てくださいとお願いすれば,吉川氏にかかれば,この本は跡形もなくなるかもしれません。それも本望ですし,本当はそうした議論を経たうえで上梓できれば幸いです。が,そうなるとせっかく「本を出しましょうよ」と言っていただいた金剛出版の山内氏にさらに10年ほど待ってもらうことになり申し訳なくなります。だから,吉川先生には内緒です(ごめんなさい。あとでご高評ください)。
 山内氏は,今から10年ほど前,「事例を中心にした本を出しましょうよ」,私にそう言われました。学術的な理論書は向いてないと疾うに看破され,でも事例はいけるとみていただいていたのでしょう。その後,3,4回声をかけていただきました。恐れ多いことと思っていましたが,あるきっかけから一念発起,自分でまとめる気になりました。ほぼ形ができて目次を山内氏にメールすると,5日後には「企画会議通りました。5月末脱稿で11月発行でどうでしょう」だって。思わず,そんなのありでしょうかと問い詰めたほどでした。でも,どうやら正夢になったようです。山内さん,ありがとうございます。
 つぎは当児童相談所宛てです。職場は,和気藹々としていますが,今や闘いの場でもあります。上司も同僚も,まさに闘う同志です。何と闘っているのでしょう。目の前にいる子どもと家庭の福祉のためにと言うほかありません。その上司や同僚たちと資源活用のワザを活用し磨いてきました。いつも崩している膝を正して感謝します。
 なお,本書で取り上げた事例のモデルとなったケースの皆さんをはじめ,これまでさまざまな臨床経験をさせていただいたすべてのケースの皆さんにも,謹んで感謝の意を表します。
そして,全国の児童相談所の仲間にエールを送ります。本書の内容が全国の児童相談所において通用するものかどうかは,自信がありません。私の個人的な好みを含めて,ローカルな一児童相談所からの発信です。忌憚のないご批評をいただけると幸いです。そして,子どもと家庭の福祉のために,これからも資源活用のワザを一緒に磨きあいましょう。
 最後に,私が中学生の頃にクイズ本で読んで,今日に至るまで時折,強迫的に頭に浮かんでくる話をご紹介して終わります。
 それは,“自分がいかに大きいものを食ったか”を空想的に言い争う話です。たとえば,「わしは,富士山ほどの大きさの三角おにぎりに海苔を巻いて食った」とか,「ミシシッピ川に流しそうめんを流して1時間のうちにたいらげた」とか「わしが食った饅頭はちょうど地球と同じ大きさだった」など,他愛もなく大きさ自慢をします。この争いに絶対負けない言い方をする男がいました。誰がどんなにスケールの大きな話をしても,その男のひと言で「参りました」と引き下がらざるを得ません。いったい,その男はなんて言ったのでしょうか? これがクイズでした。
 この話が,私が臨床において常に意識している“自分と他者との関係をメタポジションから見る”ことのメタファーでもあったことに,つい最近気づきました。そして,これまで特別意識しないままに,この話が私のメタポジションに収まっており,私の臨床ワザにチラチラと影響を与えていたのではないか,そう考えると合点がいく気づきでもありました。ちょっとした驚きと感慨でした。メタとは“高次の”という意味です。メタポジションに立つとは,自分を上から見るとか,自分を見ている自分を意識するといったところです。
 図のようなメタ・ヒリツ君というキャラを登場させて,自分が「わかっている」と思っていることの位置づけや全体の比率性などを意識することで,メタポジションに立つことの大切さを確認したりしてきました。子どもや家族と会っている面接者としての自分を客観視したり,社会的状況の中で個人を理解するといったこともメタ認知のあり方であり,臨床には欠かせない視点だと思っています。
 そうそう,クイズの答えです。メタポジション実践の皆さんは,すでにお察しかと思いますが,男が言った決めワザのひと言。
 「そういうおまえを,わしは食った」と。
 蛇足ですが,このワザのコツは文句なく“後出し”です。先に言葉が過ぎると,メタポジションの足元がすくわれて,このワザ,効きません。

2008年8月8日(北京オリンピック開幕の日) 衣斐 哲臣