あとがき

 私は学生時代,一日千円の生活費を稼ぐために特別養護老人ホーム(以下特養)に寝泊りしながら,夜間介護人として働き,昼は大学に通い,合間をぬっては難病患者のボランティアとして活動していた。約二年間働いた特養での生活で,私はソーシャルワーカーとしての基礎を学んだような気がする。そこで私は「やっちゃん」と親しく呼んでくれた幾人ものお年寄りたちとの別れを体験した。お世話になっていた入居者が,ある日突然亡くなり,夜間介護人として,霊安室に運ぶときに感じた,身内を亡くしたような深い喪失感は,私の若い野心を砕き,生き方の方向を問い,私は目の前に突きつけられた重いテーマの意味を知るために,むさぼるように読書に明け暮れた。神谷美恵子の「生きがいについて」,フランクルの「夜と霧」,ティリッヒの「存在への勇気」,特に,アウシュビッツを生き抜いたユダヤ人作家エリ・ヴィーゼルの体験を綴った「夜」は,人間が歴史の狭間を生きることの過酷さと凄まじい葛藤を私に呼び覚ました。私の魂は「夜」によって激しく揺さぶられ,膝をへし折られ,「夜明け」「昼」という一連の作品によって,作者自身がこの現実を生きようとする歩みを描き出したように,私も一緒にその「回復の軌跡」を辿っていた。そして,「昼」を読み終えたとき,私は特養での住み込み生活を卒業し,新しい暮しへと歩みだした。
 その後も私は,自閉症を持った子どもの家庭教師をしながら,難病患者団体の事務局を手伝い,難病を持った人たちへのボランティア活動を続けた。そこでも,実に多くの出会いと別れがあった。若くして逝った筋ジストロフィーや,ALS(筋萎縮性側索硬化症)の方たちとの思い出,重度の脳性まひを持った人たちの自立生活運動から学んだエンパワメントの根本理念,文通を重ねた札幌刑務所の死刑囚のYさん(文通をしている最中に死刑が執行された)からの励ましの言葉,さらには,ハンセン氏病者の入所施設,青森の松ヶ丘保養園でのワークキャンプで出会った入所者から知らされた過酷で衝撃的な運命の日々のすべてが,今の私のソーシャルワーカーとしての大切な礎となっている。
 振り返れば,私は学生時代の四年間を,精神保健福祉とはまったく無縁の世界で経験を積んできたことになる。しかし,私は,読み込んだ本も含めて学生時代に蓄えた「財産」が,その後のソーシャルワーカーとしての実践の原動力となり,今も支えられている実感がある。

 私は,大学四年目の卒業間際の一二月まで,卒論にかまけて一切の就職活動を手控えていた。あまりにも多くの「現場」を見てきた私にとって,ソーシャルワーカーとしてその現実に飛び込んでいくには,あまりにも自分が未熟であるという躊躇と,何を基準に就職先を選択すればいいのかについて,考えあぐねていたからである。働きやすさ,待遇の良さ,暮らしやすさ,将来性など,周囲の学生の会話に聞き耳を立てながら,私の中には何か釈然としないものがあった。そんな暮れも押し迫ったころ,「浦河赤十字病院」の話が舞い込んできた。浦河町は,北海道日高という,札幌からえりも岬のある南東に四時間ほど急行列車に揺られると行き着く,海辺の小さな過疎の町(当時の人口は約二万人で,現在は一万四千人強)である。
私も,求人があったのは掲示で知っていたが,気にも留めずにいるうちに,いつの間にか「最も不人気」な求人先となっていた。「希望者なし」という連絡を受けた病院側が,再度,ダメ押しで「誰かいないでしょうか」と泣きつき,教員が就職先の決まっていない学生に片っ端から打診し,最後にお鉢が回ってきたのが私だったのである。「とりあえず,下見の気分で行くだけでいいから」と言われ,師走の慌しい時期に一番列車に乗り込み浦河に向かった。四時間近く列車に揺られて到着した海沿いの小さな駅舎の浦河駅に降り立ち,眼前に広がる櫛の歯が抜けたように立ち並ぶ老朽化した町並みを見たとき,私の中に「この町で暮らすのか」という暗澹たる思いと,言い知れぬ深い後悔の念が沸き立ち,反面,そのような自分の思いに戸惑いを感じ,うろたえる自分に愕然とするもう一人の私がいた。そして,自らの中に見出した後悔や不安の思いと,東京都の二倍の広さの過疎地域のたった一人のワーカーという現実の孤立感を感じたとき,私の中の「何を基準に就職先を選ぶか」という問いに,一つの選ぶべき道筋が見えたような気がした。それが「苦労できること」だった。

ソーシャルワーカーとしての私が最初にしたのは,町の保健師さんに「この町で,今,一番困っている人を紹介してください」と頼むことであった。紹介されたのが,病院の近くの団地で暮らすアルコール依存症の父親を抱えるAさん一家であった。町内には,そのAさんの親戚も数多く暮らし,それぞれの家族がみんなアルコール依存症者を身内に抱え,修羅場を繰り広げていた。以来,その家族の困難の渦とそこで育つ多くの子どもたちとの三六五日二四時間のかかわりがはじまった。精神障害を持つ人たちが,地域に根ざした暮らし――人とのつながり――を取り戻すために,まず,ソーシャルワーカーが,「隣人」としてつながりを築く必要を痛感し,町の旧い教会堂(後のべてるの家)でメンバーと同じ屋根の下で暮らす「実験」にも挑戦した。それからはじまったソーシャルワーカーとしての歩みは,今思うと本当に「汗顔の至り」ともいうべき,失敗だらけの日々であった。駆け出しのころ,酒代に生活費を費やし,住んでいた寮に早朝,酒臭い息で「おつゆの身っこ買ってけれ――味噌汁の具を買ってほしい――」とやってくる依存症者に,せっせと食料を差し入れていたこともある。おそらく,精神保健福祉士としての教育を受けた新人であれば,決してしないであろう愚かしい失敗を重ねながら,私は,自分がソーシャルワーカーであることの意味を問い続けてきた。
 今回,これまで書き溜めてきた私なりのソーシャルワーカーとしての実践の足跡を整理し,加筆修正して一冊にまとめる機会を得た。私は決して,いわゆる「研究者」ではない。汗にまみれた臨床家の端くれであり,新しい考え方を取り入れた製品を生み出そうと奮闘する町工場の油まみれの工員を自認してきた。その中でいまも,大切にしているのは,クライエントの最も困難な現実の中に立ちつつ,まさしく「クライエントの場からの出発」を志すソーシャルワーカーであり続けることである。それを,ある統合失調症を抱えるメンバーは,「魂の対峙ができる人」「人として,自分にぶつかってきてくれる人」と表現している。それは,クライエントの抱える生きづらさの現実の内側に共に立つことを意味する。それは,リスクを伴うことである。しかし,そのリスクとそこから起きるであろう幾多の「失敗」は,私がそうであったように「無駄のない,意味ある失敗」である。クライエントとその「失敗」を笑いながら共有できたとき,その失敗の現実は,「順調な失敗」となるのである。その失敗に,果敢に飛び込んでくる若いソーシャルワーカーの輩出を期待している。ともすれば,小奇麗な関係調整やクライエントからすれば「誰が自分の味方なのか見分けがつきにくい」チームアプローチの中にのみ埋没するのではなく,クライエントの生きている現実の真っ只中に,たった一人になっても,黙々と居続ける気概と「人間の信じ方」ができるソーシャルワーカーが育ってほしいと思っている。この本に盛られたささやかな経験が,その一助になれればと思っている。

 最後に,今回の企画の中で十分語りつくせなかったのが「障害者自立支援法」についての私の理解と考え方についてである。本当に長い間,求め続けてきた「精神障害者にも福祉法を」という関係者の悲願を実現したのが,精神保健福祉法であり,それを具現化したのが障害者自立支援法である。そこに貫かれた理念とそれを実現するためのきわめてマニアックなシステムには,感心するばかりだが,正直いって「障害者自立支援法」には,なんともいいようのない「居心地の悪さ」がある。それは,福祉だけではなく,医療や教育も含めた施策全体を貫く「見えざる思惑」に対する嫌悪感であり,私自身の警戒心なのかもしれない。そこには,国の責任を曖昧にしたまま「民活」に頼ってきたわが国の精神医療の荒廃と同じ構図が透けて見える。それは,本来は精神医療体制が,精神障害を抱えた人たちの治療や社会参加を促進するためにあるべきなのに,いつの間にか,それが反転し「精神科病院を中心とした精神医療体制を維持するために患者は存在し続ける」構図ができあがり,その現状から脱しないまま,同じ過ちを福祉においても繰り返そうとしていることである。それは,私の勤める病院が,病院をリニューアルするために「地域精神医療の充実」の名の下に,原資を精神科病床の増床――五〇床,七〇床,九〇床,一三〇床と増床を重ねてきた――による診療報酬に頼らざるを得なかったという歴史の過ちと同じ構図である。そこには,企業が存続するために,常に消費者の関心を喚起し,商品を購入してもらうことによって企業活動が成り立ち,そこで働く労働者の生活が成り立つというコマーシャルベースな発想を取り入れてきた弊害がある。それを自立支援法に置き換えると,現場では,利用者とは施設に報酬をもたらす「客」となり,その「客」の囲い込み方が施設の存亡を左右し,少ない職員の負担を軽減するために,できるだけ手のかからない「客」を,いかに長く通わせられるかが経営上のポイントになる。そこでは,幻覚や妄想という重い障害を抱えても,地域で暮らすことにこだわってきた浦河の伝統は,報酬の上では足かせになり,スタッフを追い詰め経営を圧迫する。スタッフはといえば,作業所時代には考えられなかったほどの膨大な書類作りに忙殺され,そのことで,特にべてるの家が特徴としてきた当事者を中心とした施設運営は,危機に瀕し,障害者自立支援法は,今や,「当事者スタッフ排除法」と呟きたくなる要素を孕んでいる。しかし,そのような現状の中でも,苦労を重ねながら,働き方と経営についてのしたたかな模索が今も続いている。転んでも,ただでは起きないのが浦河の伝統でもある。
 結論をいえば,精神保健福祉は,明確な国としての責任と十分な財源,そして,市民参加をうながす手立てと,そのサービスの内容と質を担保するために専門家ばかりではなく,利用者と市民を巻き込んだチェック体制をいかにつくるかが大切になってくる。
 ……(後略)