あとがき

 本書は心理援助者としての私の考えのパーソナルな歩みを表現したものです。今,書き終えたものを自分で読んでみて,あらためて気づいたことがあります。それは,私はこの歩みにおいて,単に,単一学派志向のアプローチから統合的アプローチへと踏み出しただけでなく,それまでの暗黙の前提となっていた心理療法観を根本から問いなおし,再構築してきたのだということです。

 また本書を書き終えた今,私の中には「お前は調子に乗って筆が滑りすぎただろう。そんなに大したこともできていないくせに」という自己非難の声がしています。
本書をここまで読んでこられた皆さんが,私が並外れて素晴らしい心理援助者だと誤解しないよう願っています。もしそういうことが起こるとしたら,それは私が実際以上に自分をよく見せたいという未熟な欲望を十分に統御できていないからなのかもしれません。実際には,私は,うまく援助できたと思うこともある一方で,うまく援助できないこともしばしばある,ごく普通の実践家なのです。

 とはいえ,この,うまく援助できないと感じる経験は,実のところ,どのようなすばらしい心理援助者にとっても逃れることのできない経験です(正確に言えば,逃れようとするべきでもないし,逃れようとする必要もない経験です)。そしてまたこれは心理援助者の歩みにとって本質的に重要な経験でもあります。この体験にどう取り組むかによって,その援助者の歩みの方向性は大きく左右されるものだからです。そして本書は,まさにこのうまく援助できないと感じた経験への私なりの取り組みから生まれてきたものなのです。最初に学んだ方法でいつも十分うまくやれていたなら,私は本書に述べてきたようなことを学んだり考えたり試みたりすることもなかったでしょうから。
「私にとっては経験こそが最高の権威である」。私はカール・ロジャースのこの言葉が好きです。私は,心理援助を始めて以来,ロジャースというこの領域の権威が教えているように私なりにやってみてもうまくいかない経験にしばしば出会ってきました。そしてあるときから,そういう場合に,ロジャースの教えからは逸脱した方法を試みるようになりました。そうすることを私に励ましたのは,他ならぬロジャースのこの言葉だったのです。だから私は自分をロジャーリアンだと思っています。
 また私は「うまくいっているなら,もっとそれをしなさい。うまくいっていないなら,何か違うことをしなさい」というインスー・キム・バーグ(解決志向アプローチの巨匠)の言葉も好きです。この言葉にも私は励まされました。それまで私は,うまくいっていないのに,同じことをもっとしようと努力していました。そして今もそのときの私のように振る舞っているセラピストの何と多いことでしょう。

 本書の中で面接経過の一部に触れたクライエントに,ここであらためて感謝を表しておきたいと思います。また,本書には登場しなかったけれども,私がこれまでに出会ってきたすべてのクライエントの皆さんにも,この場を借りて感謝を表したいと思います。心理援助者としての私の成長の大部分は,これらのクライエントとの出会いによってもたらされたからです。
 たとえば,私は学生時代,ロールプレイが嫌いでした。実習などでどうしてもロールプレイをしなくてはならないときには,やるにはやりましたけれども,私にはそれが,何かわざとらしくて,恥ずかしくて,作り物のように感じられました。こんな作り物のお芝居から何かを学ぶことができるのだろうかと疑問に思っていました。
 でも今の私は,ロールプレイを援助実践上の重要な一技法だと考えています。今でもあまり得意だとは言えませんが,少なくとも嫌いではなくなりました。そうした私の変化は,あるクライエントとの出会いによって促進されたものです。そのクライエントはある人物の言動にとても傷ついていましたが,その気持ちを言えずに苦しんでいました。私はこのクライエントに,オーソドックスな対話的カウンセリングでもって取り組み,そして停滞感を感じていました。そこで「うまくいかないなら何か違うことをしなさい」という先に紹介したインスーの言葉に従って,私は,自分がその人物の役をするから,自分の中の言えずにいるその気持ちを思い切って表現してみませんか,とロールプレイの提案をしてみました。クライエントは,最初,その提案に乗り気ではありませんでした。そういう気持ちはしんどいものだから考えたくないし,表に出したくないのだと言うのです。私は説得を試み,クライエントは結局はやってみることに同意してくれました。ところがいったん始めると,クライエントは完全に演技に入り込み,現実の場面では言えずにいたつらい思いを,涙を流しながら,すごい迫力で,相手役の私に向かって訴え始めたのです。そしてロールプレイを終えたとき,クライエントは何かさばさばしたような明るい表情で,状況は変わらないけど前より気持ちは楽になった,と言いました。
 通常の対話的なカウンセリングの中でくすぶっていたクライエントが,ロールプレイという枠組みを導入したとたん,まるで水を得た魚のように生き生きと輝き出したのです。こうした光景を目の当たりにすることは,ロールプレイという技法に対する私の信頼感を高めました。また,駆け出しの役者が名役者と共演することで役者として成長するように,私はそのクライエントとロールプレイで共演することを通して,ロールプレイの役者として成長させてもらったと思います。
 わかりやすい印象的な一例を挙げましたけれども,たとえこのように印象的なことが生じなくても,潜在的にはすべてのクライエントがそのような経験をもたらすチャンスを面接室に携えてきてくれているのだと思います。
 ……(後略)

平成21年節分のころ 杉原保史