監訳者あとがき

 本書は,2004年にBMJ BooksシリーズとしてBlackwell Publishingから出版されたNarrative Research in Health and Illnessの,全23章のうち14章を訳出し,まとめたものである。
 ナラティブ・ベイスト・メディスン(物語りと対話に基づく医療)の概念は,1998年に同じBMJ Booksから出版されたNarrative Based Medicine−Dialogue and discourse in clinical practice(邦訳『ナラティブ・ベイスト・メディスン――臨床における物語りと対話』金剛出版,2001)において初めて提唱され,本邦でもNBMという略称で広く浸透している。原著の編集者であるBrian Hurwitz,Trisha Greenhalgh,Vieda Skultansの三氏は,英国におけるNBMムーブメントの火付け役であるとともに,英国,米国を中心として国際的に展開する多数の医療者,社会学者,人類学者などからなるこの領域の協働者・共同研究者グループの中心的メンバーである。彼らは,頻繁に国際的なワークショップやセミナーを開催し,お互いに交流しつつ,医療と保健領域におけるナラティブ・アプローチの理論,方法論を確立しつつある。
 Narrative Research in Health and Illnessは,前書Narrative Based Medicineの続編という意味合いを持つとはいえ,主として「ナラティブの観点から行われる実践的な研究」の側面に焦点をあて,近年のさらに幅広い成果をまとめたものである。そのため原著は,前書の二倍以上のボリュームを有する大著となっている。我々は,原著編集者の一人であるGreenhalgh教授の意見を参考にして,本邦の読者にとって有益性が高いと思われる14章を選出し,抄訳として出版することにした。
 本書では,全体を三つのパートにわけているが,これは原著の体裁にしたがったものである。第1部の「多様な物語(Narratives)」は,医療と保健領域における多彩な物語や語りについての論考を集めてある。第1章の「ナラティブ・メディスンの倫理性」は,米国コロンビア大学において,ナラティブ・メディスン医学教育プロジェクトを実践し,NEJMやJAMAなどの一流医学誌に次々と論文を発表しているRita Charon教授による論考である。ナラティブ・メディスンとは,物語能力(narrative competencies)に基づく医療として概念化されている。この能力こそが,医療におけるさまざまな分断に橋を掛けるための,医療者に必須の能力であることが,豊富な臨床例の提示とともに述べられている。そして,従来の生命倫理(Bioethics)が医療者−患者の関係を敵対的なものに変えてしまったことを鋭く批判し,それに代わる物語的倫理性(narrative ethicality)の重要性を説得力をもって主張している。
 第2章の「戦士から犠牲者へ――SARS流行における医師たちの報告」は,2003年のSARS流行という医療における重大事件をフィールドに,同一の出来事に対する全く視点の異なる3つの「物語」を分析することを試みた論文である。医師でありSARS流行の犠牲者となった当事者でもあるEugene B Wu医師の2種類の(科学者=医師としての,犠牲者=個人としての)語りと,さらに同一事件を第三者の立場から専門家として報告した語りを組み合わせて分析することにより,「科学的な視点」だけからでは全く到達することのできなかった「個人の体験世界」が浮かび上がってくる。これは社会学で言われる「羅生門的分析」の一例とも言うことができるだろう。
 第3章「臨床世界における実演的な物語」は,作業療法の現場をフィールドとした質的研究を長年実践し,多くの著書・論文を発表している人類学者,Cheryl Mattingly教授の精力的な論考である。本章においてMattingly教授は,脳腫瘍に侵された少女とその家族,さらに治療とケアに関わった腫瘍専門医を登場人物とするひとつの事例を描写し,詳細な現象学的解釈学に基づく分析を行い,そこから「実演的な物語(performance narrative)」という,ひとつの壮大なモデルが生成されていく。本章で示されているのは,まさに質的研究の醍醐味であると言えよう。
 第4章「『私は切るわ,だってそれが助けになるからよ』――十代の少女たちの自傷行為に関するナラティブ」は,Web上に投稿された十代の少女たちの語りの断片を質的データとして収集し,内容分析の手法を用いて分析した研究の報告である。自傷行為についての現在までの研究が,精神科等で治療を受けている,どちらかと言えばより重症な事例の観察に基づいていたのとは対照的に,この研究では,決して病的とは言えない十代の多くの若者の体験を収集・分析することに成功しており,自傷行為を単なる病的な症候と理解するのではなく,それは苦しみへの対処行動であり,彼女たちにとって役にたつものであるとする視点を提示している。Webを利用した質的研究は,これからますます盛んになるものと思われ,そういう意味からも読者にとって有益な論考であると思われる。
 第5章「DIPExプロジェクト――病いと医療の個人体験を集める」は,患者の個人的な経験の語りをデータ・ベース化するという,英国で行われているプロジェクトの詳細な報告である。個人の経験の語りを物語面接によって収集するという方法が詳述されているだけではなく,このプロジェクトの記述それ自体がひとつのアクションリサーチ報告となっている。本邦でもDIPExプロジェクト日本版が進行しており,国境・言語を超えた今後のプロジェクトの発展が期待される。
第6章「終末期医療におけるスピリチュアリティと宗教のナラティブ」は,著名な物語理論家であり,社会学者でもある,Arthur W Frank教授による論考で,スピリチュアリティの物語と宗教の物語の対立点を明確にしつつ,最終的にはその両者の境界をあいまいにするアプローチの重要性が,豊富な文献的な例示を駆使しつつ論じられている。
 第2部「衝突する物語(Counter-narratives)」では,二項対立的な相容れない物語の分析や,世間に流布している常識的なドミナントストーリーに挑戦する対抗的な物語の提示を中心とした論考が4編取り上げられている。第7章「闘士か傷者か? ――耳が聞こえない,あるいは聞こえなくなるという物語」では,聴覚障害者の集団における,対立的な2つのナラティブが取り上げられている。この研究は長期間にわたる社会学的な研究から得られた成果であるが,コメントとして,現代においてさらに聴覚障害者の物語が変容を続けている様が追加されており,二項対立的なモデルに加えてさらに複数の視点を確保することが試みられている。
 第8章「物語分析と代理ミュンヒハウゼン症候群への異議申し立て」と第9章「専門家の誤りを質す――揺さぶられっこ症候群における両親への弁護」は,ある意味では衝撃的な,対抗言説の提示である。近年幼児虐待に対する関心は本邦においても高まっており,見逃されやすい虐待の特殊型として,代理ミュンヒハウゼン症候群と揺さぶられっこ症候群はその代表的なものと見なされている。ところが英国においては,すでにその虐待の物語自体が,無実の両親に対する冤罪を引き起こす硬直したドミナントストーリーと化してしまっているのではないかという告発がなされている。2つの章の著者はともに物語分析の手法を用いて,説得的に論を展開しているが,これらの虐待の概念がむしろこれから流布していこうとしている本邦においては,まさに刮目に値する研究論文ではないかと思われる。
 第10章「統計学を超える物語の力――新生児黄疸と幼児の航空機内での安全性からの教訓」は,EBMの専門家であり,ガイドライン作成に加わってきた著者による,統計学と物語の政策決定に与える威力についての論考である。コメントにおいては,市民による科学の理解の観点から,科学と物語を二項対立的にとらえることに代わる視点が提示されており,ここでも読者は,複数の柔軟な視点からものごとを探求していく重要さを教えられる。
 第3部「物語を超えて(Meta-narratives)」では,個々の物語の共通基盤となるような,あるいは個々の物語そのものを超えて,それぞれの物語に意味を与えるような物語の次元についての論考が4編収められている。第11章「故郷喪失とアイデンティティの語り」は,編著者の1人である人類学者Vieda Skultans教授による一種の自伝的エスノグラフィーの試みである。単に個人的な物語を語ることを超えて,自伝的な語りと文化的な語りを融合させ,自己同一性における新たな視点を提言する意欲的な論考となっている。
 第12章「研究のストーリーライン――系統的レビューへのメタ物語的アプローチ」は,やはり原著の編者の1人であるTrisha Greenhalgh教授による,複雑で多様なエビデンスを扱う系統的レビューの新しい方法論への挑戦と言える論文である。メタナラティブ・マッピングと呼ばれるこの新しい研究法は,クーンのパラダイム論を援用しつつ,これまでの科学研究の方法論的次元そのものを変容させてしまうような,深い射程をもった研究であると思われる。なお原著では,この第12章は32頁に及ぶ長大な章であるが,他の章とのバランスを考え,Greenhalgh教授の勧めもあり,より短いヴァージョン(Soc Sci Med.61, 417-430を一部改編)を邦訳には掲載させていただいた。
 第13章「精神科学領域におけるナラティブはいかにして働くか――PTSDの生物学的精神医学を実例として」は,著明な人類学者でPTSDについての有名な著書を出版しているAllan Young教授の論考である。医学におけるナラティブとは,単に患者や医療者の経験の語りに限定されるものではなく,科学的医学に属すると信じられている「疾患概念」も立派な物語なのである。そういった疾患理論の生成における物語的側面を,Young教授は,シャーロック・ホームズの推論様式との対比によって明瞭に描き出している。
 第14章「医学的物語の時間的構築」は,編者の1人であるBrian Hurwitz教授による,物語を物語たらしめる重要な本質のひとつである「時間性」についての本格的な論考である。Hurwitz教授は,文学的な例示を多様しつつ,実際に我々が医療現場で頻繁に用いたり接したりする「病いの語り」「事例報告」「臨床物語」「医療記録」などを区別し,その時間的構築について縦横に論じている。

 本書は「ナラティブ・ベイスト・メディスンの臨床研究」という邦題が示すように,NBMの提唱者たちを中心とする研究の成果を収めたものである。「医療におけるナラティブ」をテーマに選んで研究を行いたいと考えている人たちにとって,具体的な研究方法やその進め方を示す本であるとは必ずしも言えないが,統計学的な手法では決して描き出せなかった医療における現実を見えるようにしてくれるという意味で,そしてアカデミックな世界においてこういった研究に真正な価値が認められるようになったという意味で,実に意義深い書物であると言える。統計学的な研究はそれなりの価値をもつし,医療の改良のために不可欠なものではあるが,それだけでは患者の姿は見えないままで,医師患者関係のあり方は議論の俎上にすらのらない。物語に基づく研究が研究として成熟するためには方法論や評価方法についての検討など取り組むべき課題も多く残されているが,医学の中でこれらの研究の価値が認められなかった時代からは,確実に一歩を踏み出したと言うことができるだろう。
 最後に,近年急速に関心が高まっている,医療におけるプロフェッショナリズムという観点から,本書の意義について付け加えておきたい。医療崩壊とまで言われる地域医療供給体制の問題,終末期・生命誕生・日常臨床における各種倫理的問題,製薬企業などとの利益相反の問題など,医療におけるプロフェッショナリズムが問題となる事例は枚挙にいとまがない。これらは,ヘルスケア・コストの上昇,家内工業的医療から法人経営医療への移行,管理医療の台頭,医療の企業家・患者の消費主義傾向,医師と他の医療専門職との競合,医療・生物テクノロジーの進歩,医療の専門職性の正当性に対する文化的・学問的疑問の提起,コンピューター・情報革新,官僚機構からの医療査察など,医療・社会環境の変化の結果生じてきていると言われる。これらの変化により,伝統的に培ってきた利他主義を中心とした我々の専門職としての美徳は大きな影響を受け,あるいはすでに失われてしまっているとさえ言われるのである。
 このような背景を受け,1990年代にプロフェッショナリズムという言葉が使われ始め,プロフェッショナリズム教育に関する議論が始まった。しかし,これまでのプロフェッショナリズム教育の議論の多くは,プロフェッショナリズムをあまりに量的にとらえすぎており,知識やスキル,行動,実践のみがプロフェッショナリズムの代用指標としてもちいられ,教育介入が過度に単純化され,薄っぺらなものになっているとの批判がある。このような知識や行動に焦点を当てたプロフェッショナリズム教育は,規範に基づくプロフェッショナリズム(Rule-based professionalism)と呼ばれているが,今や,ナラティブに基づくプロフェッショナリズム(Narrative-based professionalism)への転換の必要性が提案され始めている。プロフェッショナリズムの重要な要素は,価値観,信念,コミュニティであり,これらの視点を涵養するような教育が必要であり,これを可能にするのがナラティブに基づくプロフェッショナリズムということになる。
 本書の第1章でRita Charon教授が提唱する物語能力は,ナラティブに基づくプロフェッショナリズムとして注目を集めているもののひとつである。ここでCharon教授はパラレルチャートを紹介しているが,このように臨床実践をリフレクションすることは反省的実践(リフレクティブ・プラクティス)と言われ,この実践は専門職のプロフェッショナルなアイデンティティ成長に重要なものであることが本邦でも近年広く認識されるようになってきた。この物語能力のみならず,本書を通して提唱されているように臨床におけるナラティブを研究の俎上にあげ詳細に検討することに個々の医療者が関わっていくことは,我々医療者のプロフェッショナリズムを涵養する有用な方法となると思われる。そのような意味でも本書を翻訳し紹介できることは意義深いと考えている。
 ……(後略)

2009年4月8日    斎藤 清二
岸本 寛史
宮田 靖志