紹介のことば

安永 浩

 髙野良英さんは同門の後輩のおひとりであるが,それだけでなく,いつもわれわれのわりあい身近にいて,気心の知れた,いわば「仲間」であった。だからといって,「仲間ぼめ」をするのではない。おだやかな性格の一方,なかなかのアイデアマンでもあって,専門雑誌での発表や講演では,よくわれわれを驚かせたり,おもしろがらせてくれた。著書のかたちになかなかなさらないので,われわれはそれを惜しんでいたが,今回ようやくその一端が公刊されることを,われわれはたいへん喜んでいる。
 著者の自己紹介や,著書内容の要約は,「はじめに」の項で,著者自身が語られるので,重複はさせたくないが,若干の補足をさせていただく。書名のごとく「対人恐怖と不潔恐怖」が主テーマであるのは当然といえるが,この二つの症状(あるいは症状群)をいっしょに,広い視野で考察,追及した論稿は意外に少ない。特に,両者を一緒くたに神経質あるいは神経症として論じる立場はあっても,本書のように方向反対の対(つい)としての面があることを主にして論じたものはほとんどはじめてではあるまいか。
 そもそもこの辺を広範,正確に論ずることが困難であった事情はいろいろある。「対人恐怖」も「不潔恐怖」も,典型的なものはかなり明瞭なかたちをしていて,その重症度も中くらい以下であり,一般普通の方々にとっても特にわかりにくいものではなく(というのはどちらの恐怖も,ちょっと位は,経験したことのある方がほとんどであろうから――それがやや長く,強く続く病症があるとしても不思議とは思われないだろう),ましてや精神科医にとっては,あまり謎として究明する対象とならなかっただろう,ということが先ずある。
 しかし,ひろく,多数の症例を経験してゆくと,先ず程度において大差があり,次に,付随症状の広がりにおいてさまざまな例がある。決して単純には把握しきれないのである。(いろいろな診断単位が混入してくる。今日の診断名で大雑把に概観しておくと,「対人恐怖」も「不潔恐怖」も,軽いものは「恐怖症性不安障害」と総括され,正常者に境目なく移行する。中程度以上のものは「気分障害」なかんずく「うつ病性障害」の一部分,とみなし得る場合があり,不潔恐怖はまた独立して広義の「強迫性障害」の一部分に分類されるが,必ずしも正常者には移行しない。またほとんど妄想化する重症の場合は「統合失調症」の領域に入り,ここに属する「自己漏洩症状」群と「他人密入症状」(髙野)群は本書第二章で詳述され,前述の対(つい)構造もここで一層はっきり論じられる。)
 こうした複雑性のある,「対人恐怖」と「不潔恐怖」の大群に対し,ほぼ全章を通じて方向反対の対(つい)として見る見方をどう運用してゆくか。これが本書の第一の見どころである。「対(つい)構造」自体の構造基準が途中すこし遷移してゆくように見えるかもしれないが私見ではたがいに無関係でもない。著者の広範な臨床眼のたまものである。
 第二の見どころは「対人恐怖」と「演技」意識,さらには「精神療法」と「演技」意識の問題である。ここで言う「意識」,更に「無意識」のありどころは非常に微妙である。軽症「対人恐怖」における自縄自縛の逆説は,わが国の精神医学者森田正馬によってつとに取り上げられ,治療原理もほぼ確立された,とされているが,著者は本書ではそれは特に取り上げていない。しかし巻頭,その辺の描写はすらすらときわめて自然に素直に進められてしかもよくわかるのにびっくりする。それ自体のなかに何か重要な新見解がひそんでいるのを私は見逃していたのではないか,と私はいぶかったほどである。事実そこにはまだ表現できないが,重要でまだ言われたことのない,(従来の慣用概念を補足するような)何かがあるように,私は未だに感じている。論述はやがて「対人恐怖」を越えて精神疾患のほとんどの症状構成に及ぶ。
 上述のこの自然さは,論述の中に混じりこんでくる日本の伝統文化への言及,現に今生きているわれわれの生活感覚への言及が,ここに申し分なく溶け合っている感じからも,もたらされているように私には感じられる。「対人恐怖」は日本に多い,いや日本独特ではないか,という議論は昔からあるのである。
 それに関連して,第三の見どころは,今や,そしてまた,今後ますます重要になるであろう今日の社会「文化」の問題,更に国際比較文化論的な観点がどう扱われているか,である。著者は博識をさりげなく各所に配して,この点にも抜かりはない。
 第四の見どころは著書の第三章であって,「男女の心理学」を主題としている。これは下世話的にもはなはだおもしろい部分である。そんなことならわかっている,などと見くびってはいけない。いや,もし事実ご存じのことばかりだったとしても,やっぱりおもしろいのである。男,女といえば頭から「対(つい)」であるが,ここの考察に通底しているのは「至適対人(心的)距離」(心理的最適距離)の相違,という便利に使える概念ツールである。実は私自身が,かつて統合失調症の,普通人にはおよそ了解を絶するタイプの体験形式を,ある仮説を用いて了解/説明するのにも用いた。
 急いで付け加えておくが,「対人距離」という概念そのものは私の独創でもなんでもない。およそ人類始まって以来,人間はこの概念を体して身を処していたことであろう。私のしたことといえば「パターン」というもう一つの概念ツール(英国の哲学者ウォーコップO.S. Wauchope(1897〜1956)の創唱)を適用してこれを精錬しただけである。ただ私も統合失調症以外の正常心理にも適用が面白いと思って,クレッチマーに由来する,但し正常概念としての三大気質(分裂気質,循環気質,中心気質)に適用したりしていた。
 もう二,三十年来のことである。ここで言っておきたいのは,著者の本書における構想も古くからのことで,互いにその大要は知り合っていたから相互影響はあったであろうが,本書における適用の限り,全く著者の独創だということである(私は著者の文章に,文字通り一字たりとも足しも減らしもしていない)。他方男女間の複雑多様なヴァリエーションを,この仮説ひとつで説明しきれるなどと著者が思っているわけではなく,適切な留保,考察は施されている。ともかく私も著者も,読者がこうした諸概念を応用して更に心理理解をふやしていただけるのならばむしろ嬉しい。本望なのである。
 本文の文頭に著者の出版の待ち遠しかったことにふれたが,今気がついた。おくれたことにはよいこともあった。著者の思考はこの間に十分の熟成を遂げ,淡々として,しかもわかりやすい,すてきな文章になったからである。私は本書が,専門家にも,一般読者にも,おもしろく,更に発想を刺激しながら読んでいただけることを,心から期待している。