新訂増補版まえがき

 初版の「まえがき」にも記したが,就職した当初,よもや今日まで仕事を続けるとは夢にも考えていなかった。その後,その時々,出会った課題に対し,責任のとれる範囲で,個別の状態に即応し,成し得る限り応えようとして今日に至った。最新の理論や技法を学ぼうとする一方,目前のクライエントが今,何を必要としているか,それに応えるには時を逃さないどのような手だてがあり得るかを考え続けた過程であった。
 専門機関や専門職の方々の協力を仰ぐのはもちろんのこと,非専門職の人々の助力を得ることを援助過程の必要と考えられる局面で行ってきた。今日ではスクールカウンセラー派遣,メンタルフレンド事業,あるいは被害者支援活動など,面接室を出て現場へ赴くことは心理臨床実践の普通の営みになっているが,1970年代では,治療者的家庭教師を発達障害児や不登校児への援助に導入することは先例がなかった。また,実情を知ることの必要性,その場で当事者や関係者と一緒に考えることの大切さから,学校訪問や家庭を訪れることを取り入れたり,プレイルームや面接室内での活動がクライエントの生活にどのように反映され,汎化して活かされていくかについて,考えてきた。青木省三氏が折に触れて指摘される「患者と治療者だけの二人の世界が出来上がって,患者には治療者以外に交流する人がいない」という状況,いわば心理療法至上主義のような状態を招いてはならない,と留意してきた。
 心理的援助とは被援助者が少しでも生きやすくなって,自尊心を回復できるように,自らのリソースに気づき,自分の歴史を繋ぐこと,さらには自分と周りの人やこととの関係を繋いで,こころの居場所を見いだしていく手助けをすることであろう。こう考えながら実践を積むうちに,クライエントに身を添わせる心持ちと同時に,常に自分と被援助者,及び,これらを含む全体状況を相対的視点で捉えていること,そして,そういう場にいる自分自身の内面に生起する感情や思考を認め,自分自分に正直であることが要諦だと時を経るほどに強く考えるようになった。
……(中略)……
 今回,初版の文章について,加筆や用語の変更を行ったが,初版のまえがきにお断りしたように,「心理療法」「精神療法」と用語の不統一はいささか気になるがそのままとした。その理由は初版のまえがきに記してあるので御参照戴きたい。概念規定をおろそかにするつもりはないが,自己規定にばかり関心を集中するのではなく,クライエントにとってどう体験されているか,その実体を的確に捉えることを何よりも大切にしたい。

 「子どもの精神療法における治療的な展開」は,1979年から5年間に亘って年1回,合宿して行われた児童精神科臨床研究会の第2回に発表したものである。ここに述べた原則はその後,重複聴覚障害者や被虐待経験を持つ社会的養護児童の心理臨床においても通底するものであった。
 「不登校と家族病理」は,1990年,第12回世界児童精神医学会大会のプレコングレスで,「日本でも診断ばかりに重点を置いているのではない,治療的な創意工夫をいろいろ行っている,とアピールできるような発表をするように」と大会役員の先生方に仰せつかった折の原稿である。「個別的にして多面的アプローチ」という標題にするについては,当時はまったくそういう表現の前例はなく,迷ってのことであった。発表は,事実をして語らしめる,というスタンスをとった。意外にも多くの外国の参加者から注目され,この原稿は英訳の他,仏訳もされて,示唆に富む手紙が海外から寄せられたのは予想外のことであった。当時は不登校を「登校拒否」と表現し,類型化して対応する理論が盛んであったが,学校へ行かない,行けない,というのは現象であり。原因もさまざまであり,当然,かかわり方もその子どもの生物学的資質,パーソナリティ,発達状態,その子どもの環境などによって,個別的に対応していくことが求められている,と考えたのであった。統合的アプローチの原型である。

 「子育ての喜びに気づくまで」に登場されたY君のお母様が終結後20年近くたって,私の自宅を探し当てて来訪された。柔らかな表情をされていて「Yは知的障害は残っていますが,穏やかで,かつての変わったところは随分和らぎ,施設で他の人たちと折り合って落ち着いて暮らしています。主人と時々面会に行きますが,Yも喜び,私たちも静かな安らぎを感じるのです。発達障害児に対して,関わるとき怠けてはいけませんが,焦ってはなりません。また,何か一つの方法だけを適用しようとするよりも,全体的によく考えて,その時その時の状態にふさわしいかかわり方をバランス良くすることが大切だと今では考えます。こうわかるまで,ことに初めのうちは夢中で不安で焦っていましたけれど……」と述懐された。治療者的家庭教師の先駆けとして,参考にする前例もなかったあの頃,根気強い模索と人を大切に思う気持ちを持ち続けて,Y君と確かな信頼の繋がりを生み出したかの大学生は,今,社会的養護児童の心理臨床の領域で活躍されている平岡篤武氏である。

 人見知りの激しい私なのに,クライエントの必要性に応えようとしているうちに,専門,非専門の多くの方々やさまざまな場,機会との出会いに恵まれて,仕事への助力を得たり,さまざまなことを学ばせていただいてきた。これまでのあらゆることに感謝したい。

 中井久夫先生が文字通り破格のまえがきを書いて下さった。本書がこの詩の世界に呼応するのか心許なく,もったいないが,今は素直にただ有り難く思う。

平成21年 梅雨の晴れ間に 村瀬 嘉代子