まえがき

 『心理療法がうまくいくための工夫』のゲラを見た臨床系の大学院生が,「面白いネーミングですね」と言った。もう一人は「うえー,ぜひ読みたいなー」と反応した。この院生たちばかりでなく,心理療法に関与されている方々にとって,セラピーがクライエントのためにうまく進行してくれることを祈らない日は少ないであろう。とくに暗礁に乗り上げ,せっぱつまっている状況にいる場合などは,藁でも掴みたい思いでいっぱいだし,クライエントに会うことに気が進まないこともあろう。そのような時に,スーパーヴァイザーや他の心理療法家が,セラピーをうまく進めてゆくためにどんな工夫をしているか是非知りたくなる。
 心理療法家は,クライエントに役立つために日夜努力している。ざっと振り返っても,心理療法は150年以上の実践の努力と思索の集積から提供されている。この間,名前が残ったものでも200種類以上の心理療法があるといわれている。それらが“うまくいくための工夫”を続けているが,年余の努力にもかかわらず,すべてのクライエントに必ず適用され適合するような完全な心理療法は残念ながら認められない。クライエント100人が100人とも独自性をもった個別的な存在だからだ。A氏にとってセラピーがうまく展開したからといって,必ずしもB氏に同様に完全適用できないのである。何とかそれぞれの心理療法家,研究者たちは,うまくいくための工夫の般化を試みようとし,またそれらを新たな技法として組み入れ役立てようと努めているのが現状である。
 「心理療法がうまくいくための工夫」と本書のように直接的に取り上げた成書を知らない。どうしてこのタイトルで本書を企画したかを,まえがきとして述べておきたい。多少奇抜なネーミングだけれども,一方では先ほどの院生のコトバのように他の臨床家がどんな工夫をされているのか,私たちは覗いてみたい気持ちも正直ある。ちょうど学会で高名な臨床家の発表にたくさんの聴衆が集まるのも,その臨床家の対応を少しでも見聞して,可能ならば自分もそのような治療者になりたいという意図からであろう。そのように見習うこと,真似ることも心理療法家としては自分の職能力を高める体験となる。このネーミングになったのは,もう一人の編者の宮田敬一氏に負うところも大なのだが,私個人は以下のような経緯から本書刊行の企画を考えていたのである。
 2007年9月に,『臨床心理学』(金剛出版)の特集で「心理療法入門」(第7巻第5号)を取り上げたことがある。心理療法の一事例に対して,12名の心理療法の学派や立場からコメントをしてもらうという企画である。企画には2つの目的があった。第1は,特集が心理療法の初学者に向けたものなので,各心理療法の特徴や守備範囲を明示したいと思った。コメンターの学派や立場のセラピーが,各々得意とする治療対象や課題解決の内容,その方法(技法など),さらに限界性などについて明確にしたいと考えた。したがって,少々無理な注文をあえて各コメンターに提示して,各々のセラピーを明示したかったのである。どんな方法かといえば,提出された事例は精神分析的な方向づけの個人療法で,しかも境界例の事例であった。これに対して,グループ・アプローチや家族療法の立場から,あるいは,ことば中心の心理療法の事例であるのに,身体動作法や行動療法の立場からコメントをお願いしたのである。私の予測では,提示された事例のクライエントは,自分の学派や立場のアプローチでは,アセスメントの評価の段階でセラピーの治療対象から外すとか,他のセラピーにゆだねるなどのコメントが率直に聞かれるだろう,そうすれば,初学者にとっても,このような治療対象の場合は○○心理療法の立場は難しく,○○療法は適切であるなどの指針が明示されることになり,その○○療法の特徴や限界性も判りやすく役立つと考えたのである。
 ところが,私の計算は見事に外れた。さすがその道のセラピーのベテランの方々のコメントであった。このコメントは,臨床に深く関与していなければ応接できないような経験と,その実績に裏打ちされた奥深さに触れる内容で率直に感動するものだった。また一方,セラピーでクライエントに取り組み,真剣に勝負をかける,心理臨床家のしたたかさをも強く感じるものだった。
 第2の企画目的として,12もの学派や立場が1つの事例に対して,どのような意見を述べるのか,各々の特徴が際立つことになるのか,それとも心理臨床家としての共通の見方,捉え方が提示されるのか,もしも共通するものが提示されるとすれば,ここ数年前から心理療法の世界で議論されている以下の課題に示唆を得ることになるかもしれないとの密かな考えをもっていた。つまり,昨今『精神療法』(金剛出版)誌上で特集された,心理療法についての研究動向は,「心理療法の評価」(1997),「心理療法の本質」(1998),などの心理療法自体への治療的評価を問う課題が検討され,「心理療法の概念を整理する」(2003),「心理療法の統合」(2007)などと展開して今日に至っている。とくに,「心理療法の評価」,「心理療法の統合」では,評価や統合を模索するに当たっての合理的な検討方法であるメタ分析,効果研究,プロセス研究が提示された。
 もちろん“科学的”に評価するのであれば,これらの分析の方法論が必要なのであろうことは了解できる。しかし,その反面,セラピーは人の非合理な部分をも包み込み,対応しなければならない。人は多面的な関係の中に生きているし,種々の重層的な課題に絡め取られており,しかも時間軸で変化もする存在である。それらを読み取り,勘を働かし,時には直感的に嗅ぎ分け,素早く状況を踏まえた按配の仕方や振る舞いも心理療法家にとっては欠くことのできない重要な手段であり要素である。この度の特集企画では,それまで随分と異なると思っていた学派や立場に,クライエントを眼の前にした心理療法家としての視座に立つと,共通した見立てと見通しあるいは関わり合いが認められた。細かく,動機やそのクライエントに関連する種々の関係者や出来事を濃やかに,小まめに拾いながらアセスメントを行う様子や,まるで地を這うように,すべての情報(言語的,非言語的に示される)を的確に聴取しながら見立てと見通しを図ってゆく。その心理療法家としての姿勢は見事であったし,理論だけでは把握できないセラピーの真髄が,そこここに認められたのである。さらに治療者とクライエントの治療的相互作用も緻密に吟味され,治療関係が丁寧に描かれていったのであった。このような見立てから見通し,さらに関わりの実際に至るまで,臨床実践に即した心理臨床の異なる立場からのコメントが並ぶ様は全く壮観であった。そしてこの見立てと見通しに心理臨床の共通性が脈々と結び合っていることを新たにしたのであった。
 私は,この企画を通して,輸入文化としての心理療法が今や我が国の臨床の中で,とくに心理臨床の実践の中で,縦横に使われ論じられるようになってきたことに対して,率直に感動し嬉しく思った。それと共に,各々の心理療法家がこの国の事例を通して,実践し積み上げ経験しているセラピーをうまく進めていくための種々の技法的な努力,工夫あるいは心構え,そして諸注意を,さらに具体的にのべれば,たとえば,アセスメント,治療関係,治療構造,治療目標(ゴール)をどうしているのか,治療外の関係,リソースの発見と利用,感情や感覚についての注目,論理的や認知的,非論理的(無意識的)な体験,身体,イメージへの関心など,どのような観点や視点に注目しながら取り組むのかなどを調べたいと考えた。
 そして本書での15のセラピーのまとめが,次に続く後進の心理療法家の職能力向上に益するであろうし,また心理療法の評価・本質・統合などを吟味するときにも意義があることであろうと強く考えるに至り,現時点で是非まとめておきたいと強く願ったことも本書刊行の大きな意図である。
 一読していただければお判りのように,本書が以上の企画意図に適う内容を読者に提供できたと考えている。さらに本書は,いろいろな学びの場を読者に提供できるのではないかと思う。たとえば,比較的臨床実践に取り組まれて経験年数が短い方々に対しては,15の各セラピーの学派や立場の「工夫」に触れて,一番自分に適った心理療法を学んでみようと決められる経緯を提供することになるであろう。またかなりベテランの臨床家には,各「工夫」の中に,ご自分の臨床経験と案外近い工夫や心構えを見出し,全く反対の学派あるいは立場と食わず嫌いで避けていたことに目を開かされることになると思う。私自身も編集する立場からすべての原稿に,何度か目を通すにつれ,幾つもの自分の臨床の立場を豊かにしていただける示唆を,読み返すたびに見出すことがあったからである。
 最後に老婆心を一つ述べておきたい。本書のタイトルの性質上,こんな工夫をしていればすべてうまくいく式の記述と受け取られがちなことをめぐってである。もちろん各執筆者はその点を十二分に意識されて,軽々しいものにならぬよう一つ一つの記述に細心な注意と配慮のもとで論述されている。つまり,「うまくいくための工夫」の大前提は,常にクライエントを中心に置いて,治療的変容をいかに手助けするかが第一の目標であること。そのために,セラピーの関わりの当初より細心な傾聴と緻密で詳細な観察理解の積み上げのもとで,はじめて達成されるものであることが明示されている。また各々の心理療法が長年の臨床実践を通して,観察眼を養い,技法や関わりの運用の修得と辛抱強い習熟が必要であること,時には治療者として責任と覚悟をもって取り組まねばならない大胆さの必要性をも言外に含めて語られている点を最後に確認しておきたいと思う。
……(以下略)

2009年8月 乾 吉佑