訳者あとがき

 本書は2007年5月に亡くなられた東洋英和女学院大学大学院の織田尚生教授が,同大学院のユング研究会のみなさんと長年,翻訳に取り組まれ,このたび,出版の運びとなった。私が本書に関わるようになったのは,2005年度に東洋英和女学院大学の3年次に編入し,織田先生のゼミで学ばせていただくことになったあとのことだった。英米文学の翻訳をしていたことから翻訳の依頼があり,先生がご逝去されたあと,ユング研究会のみなさんと作業を進めてきた次第である。『ユングとサールズ』が上梓されるにあたり,翻訳の打ち合わせで織田先生の分析室を訪れた際の思い出を記し,訳者あとがきに替えさせていただきたいと思う。
 私は東洋英和女学院大学の人間科学科に編入する前,織田先生の著書を拝読して,厳格で物事をはっきりおっしゃる近寄りがたい先生というイメージを勝手に抱いていた。大学のゼミを決めるために先生とはじめてお会いした際,学生に敬語を使われ,穏やかにゆっくりとお話をされる姿に著書から受ける印象とは少し異なる感じがし,驚いたのを思い出す。もっとも先生のゼミで学ぶようになり,穏やかな中にも,臨床心理学に対する厳しい態度や,俗世間とは少しちがうところにいらっしゃるような雰囲気をお持ちで,私の最初のイメージもあながち外れていなかったと思うようになったが。そして4年生の秋,大学院への進学が決まったあと,翻訳の手伝いをしてほしいという話があった。しかしそのときは,論文か何かの翻訳だと思っていたので気軽に承諾してしまったが,大学のカリキュラムが終わり,本書の手伝いとわかって大変なことを引き受けてしまったと思ったものだ。その後,打ち合わせで織田先生の分析室を訪れ,そのときの体験は今でも忘れることができない。
 打ち合わせの当日,先生は道に迷った私を外まで迎えにきてくださったが,大学で拝見していたスーツ姿とは異なり,セーターとズボンにマフラーといったラフな格好で,とてもリラックスされているような感じを受けた。一方の私は,先生の分析室を訪れるということもあり緊張しており,先生に導かれるまま分析室へと向かった。分析室は昔ながらの日本家屋の一軒家で,庭は植木のある日本庭園というより土に作物が植わっている畑のような感じになっており,大学の講義で日本神話をよく語られていた先生らしい分析室だという印象を持った。
 先生に先導されて家の門をくぐり,玄関の引き戸を開けると木の香りが漂い,私が「木のいい匂いがします」と言うと,「そうですか」と先生が微笑まれていたのが今でも思い出される。そして,先生が分析室の引き戸を開け,私を促すように手を差し出されたが,私は入り口で足が止まり中へ入ることができなかった。分析室は二階建ての日本家屋を改装して作られたようで,元の居間や食堂などがすべて取り払われ,大きな一部屋に設えられていた。天井が高く,広い部屋の片隅――入口の反対側の角に,先生の机と椅子,ソファ,カウチ(革製のベッドのような寝椅子)が置かれているだけだった。私が一歩を踏み出せずに躊躇していると,先生が「どうぞ」と再度,入室を促し,私はやっとの思いで足を踏み入れ,先生のあとをついてソファまで歩いていった。クライエントさんも,今の私のように一歩一歩ソファやカウチまで歩いていかれるんだな,と思いながら。
 ソファに荷物を置くと,先生が箱庭の置かれた部屋を手で示し,中を見せていただくことになった。分析室とは異なり,その部屋は小さく,製作者が一人入れるくらいのスペースしかなかった。私は玩具の棚を眺めながら,この小さな部屋に守られているような気がした。一方,分析室はその広い空間に自分の中のものが引き出される感じがして怖く,私はこの部屋でカウチに横になれるだろうかと疑問に思ったものだ。先生の分析室で体験したものはまさに畏敬の念であり,分析室の神聖な感じと,自分と向き合うことへの怖れが入り混じっていた。その後,大学院に入学して相談室での実習がはじまり,面接室やプレイルームのドアを開けるとき,今も織田先生の分析室で体験したものが甦ることがある。大学や大学院の講義では学べない貴重な体験となり,分析室を訪れたときのことが先生との大事な思い出の一つとなっている。
 織田先生が亡くなられたあと本書の出版にあたって,大阪大学の老松克博先生に急遽,監訳をお願いすることになった。お忙しい中,監訳を引き受けていただいた上に,心理学の専門書をはじめて訳す私にいろいろご指導をいただき,こころよりお礼申し上げます。また,東洋英和女学院大学大学院ユング研究会のみなさまの,長年の積み重ねが上梓という形となりうれしく思うと同時に,ご尽力いただきましたことに感謝申し上げます。
 そして最後になりましたが,織田尚生先生のご冥福をこころよりお祈り申し上げます。

2009年 梅雨が明けるころ  阿部里美