はじめに

 臨床実践,特に家族療法やシステムズアプローチと呼ばれている援助方法による臨床実践では,面前のクライエントの多様な困難感と,あれもこれもしてもらいたいという期待や要請がよく見える気がする。それは,この立場の援助方法における目標設定が「クライエントの希望する目的に沿ってのみ,専門性を提供するべき」との限定がなされているからかもしれない。また,立場の異なる理論や方法論が存在する中では,それぞれの立場や役割ごとに専門性が異なり,それぞれの専門性の獲得には多くの時間が費やされ,そこには経験的蓄積も必要不可欠である。いわば,それぞれ多様に存在する心理臨床の専門性は,一朝一夕には臨床実践に「使える専門性」にはならないものである。
 一方,近年多様な困難感や援助要請をかかえたクライエントが,援助組織をどのように活用するかを意図して来談する。その多様な要請に対して,「何とかやってみましょう」と拙い知識や経験で,結果的にいい加減な対応をするよりも,より誠実な対応として「私では対応できません」と無碍に断ることも必要ではあろう。しかし,それ以上に適切な対応がないだろうか。そこから生まれた援助実践の一つが「即時的な援助組織の構築」である。
 このような対応について,これまでに使われてきた用語は,「チーム医療」「リエゾン精神医学」「共働的援助」などであろう。しかし,これらの用語やその実践は,合い言葉だけに留まり,ごくごく稀にしか機能的な結果が示されていないのではないだろうか。多様な実践のための啓蒙書がありながらも,それが行われてこなかったのは,何かの視点が欠けているからではないかと考える。
 また,心理臨床家は面接室という閉鎖空間だけに留まっていることを「密室カウンセリング」と称され,他の専門性との協調性を欠くという特徴を「蛸壺的な専門性」,「井の中の蛙」と揶揄されてきた。このような誤解を生むような実践が見られることが多かったのは,どうしてであろうか。それはその方法や実践がけっして無効だったからではなく,他の専門性との接点を前提とした「説明責任」を果たしてこなかったことの弊害であるかもしれないと考える。
 心理臨床の専門性は,それほど「閉鎖的」なものではないはずである。むしろ,多様で広範な専門性のすべてを一人の心理臨床家が網羅できない以上,それを協働的に提供するべきであるという議論は,生まれて当然のことであろう。そして,その実践のためには,「敵を知り,己を知れば,百戦危うからず」という格言にあるように,互いの専門性を知り,相手にとってその専門性がもっとも発揮できるような組織的な接点を作れるならば,深大で広範な対人援助の専門性は,より効果的に機能できるものになると考える。
 こうした視点に基づいて,本書では聞き慣れない「メタ・アセスメント」という造語を用いた。この言葉の「メタ」も「アセスメント」もそれぞれは独立した意味を持つものであるが,「アセスメントを俯瞰する」という意味だけではなく,「俯瞰してアセスメントを活用する」という意味を含み,クライエントの要請に応じて「アセスメントを俯瞰した立場から,協働的に活用できるようにする」という意味を含む言葉として活用している。そして,社会的な援助組織の接点のあり方には,「自分が苦労しても,相手にとって楽に振る舞えるようにする」という協働的援助のための基本姿勢が必要なことは言うまでもない。
 これまで25年以上の臨床実践を通じて,多くのクライエントや家族との面接を行ってきた。そして,できる限りクライエントや家族の要請に応じた対応をするため,その半数以上は医師や心理士を含む近接領域の専門家とできる限り接点を維持した中での援助であった。結果的に得た最大の知識は,他の専門家との「考え方」「立場」「社会的要請」「方法」「社会的期待」などの違いである。そして,その違いこそが,クライエントや家族が持ち込む多様な要請に対応できる専門性であることに気がついたのである。
 本書は,クライエントに対するアセスメントについて,ごく僅かな基本的な視点と,クライエントや家族への応用的なアセスメントを示しているに過ぎない。むしろ,組織の特性を把握するためのお手軽なガイドラインとして活用していただくことが有効であろう。そして,それらの組織との協働的で即時的な援助組織を構築するための一つの指標として活用されることを期待して編集したものである。
 このような視点を発展させた実践が,近接領域での対人援助職にとって一石を投じるものになると共に,読者の一部からこのような「メタ・アセスメント」を用いた臨床実践が広がることを期待したい。

吉川 悟