日本語版まえがき

 『ナラティブ心理学セミナー』ずばり,今求められている書物が日本語で読めるようになった。とてもうれしい。あとがきの最後の一文が目にとまる。「それによって心理学がもう一度人間らしさを取りもどすことができるなら」。そうなのだ。これまで心理学は人間を切り捨ててきた。この根深い問題については,すでに50年近く前にオルポートが述べている。心理学は矛盾の多い学問である。心理学が長年直面しながらもすっきりと解決していない問題がある。心理学は人の姿をどのように把握し,描こうとしてきたか。
 「今日われわれを窒息させるほど何千もある因子分析的研究のうち,一人の人間を特徴づける内的で独自の体制的な構成単位を発見する方法で行なわれているものがほとんどないという事実は,私にとって驚くほど奇妙に思われる」(オルポート『人格心理学』(原著“Pattern and Growth in Personality”1961)このようなオルポートのアイロニーをよそに,半世紀近くを経た現状においても心理学の潮流はほとんど変化がない。共通特性を抽出し,平均値からの距離を数量化する作業は精密化しても,それらをもとに独自な個性の内的真実に向かう再構築への努力がまったくなされていないということである。
 心理学がもっとも切り捨てようとしてきた部分は自己の個別性についてである。ナラティブは心理学が自己を問題にするときに要請される枠組みである。自己を心理学が問題にするかぎり,ナラティブを排除できない。それはしかしどのような心理学になるのだろうか。もとよりデータの代表性という発想をしない。心理学の根拠はテキストの分析にある。このことが,この本の第Ⅰ部で周到に議論される。
 そこでは近代人が内面へと傾斜していく軌跡を描いたテイラーの分析,社会構成主義に根ざしたパーカーの談話分析やショッターの修辞−応答的アプローチなど,日本の心理学においてまだ十分に紹介されていない情報が含まれている。クロスリーは治療ナラティブやgood storyのもつ現代的意味について,鋭い視点を提供する。高度情報化と急速なグローバル化によって既成の口当たりのよいナラティブが氾濫している時代である。この社会のなかで個人の生を考えるとき,自らのナラティブを形成していくことは倫理的要請なのである。個人の体験は文化的枠組みにおいて意味を与えられている。あるいは個人の体験を描くことによって,体験の仕組みが見えてくる。ナラティブアプローチはここに明確に位置づけられる。
 独自性をもつ個人に戻るにはどのような方法が必要だろうか。それは従来の機械的で因果的な分析では解決しない。クロスリーのこの本は以上の根本的な問いかけを背景において,ナラティブの視点を導入してきたブルーナーやマックアダムズの系譜をひき,さらにその先を詳しく示してくれるものである。ナラティブアプローチといっても,そのスタンスはかなり多様である。日本に紹介され独自の展開を見せているものだけでも,かなりの数に上るが,クロスリーの立場は,マックアダムズのライフストーリーの流れにある質的研究法としてのナラティブアプローチと位置づけられる。
 しかし,本書でなされている議論はこれまでの書物にはない深まりを見せている。とくにナラティブを論じるときは時間の問題と切り離せない。時間体験の質の問題についてこれだけ明確に議論している書物も最近では珍しい。
 いくつかの質的研究法,談話分析の現状と問題点についての著者の取り上げ方はていねいである。日本ではまだほとんど紹介されていないIPA(解釈的現象学分析)がよく検討されている。著者は現象学や解釈学などの思想動向について深い素養がありそうである。そのような分析法との対比の中で,本書の第Ⅱ部では質的研究法としてのナラティブアプローチが具体的かつ明確に示されている。今求められている書物がようやくみごとな日本語で読めるようになった。深みのある本書にはその素養に匹敵する訳者を待つ必要があった。各章についている訳注は含蓄がありとても参考になる。
 ナラティブが「難破」したとき,そこから心理療法がはじまる。既存のものから今を生きるストーリーへと変換していく作業にこの本とともに私も同行したいと思う。

 森岡正芳