はしがき

 著書を出すというのは,実に久しぶりのことである。
 書きたいという想いはあるものの,私は何冊も自分の著書を出したいという欲求にはいささか欠けるところがある。これまで表紙に自分の名前が出るような本は,わずか二,三冊出しただけなのに,それなりに気持ちが落ち着いてしまっていた。
 それでも,ありがたいことに,私の書いた論文をまとめた論集を出版したいという依頼はかなり以前からいくつかの出版社からいただいていた。もう何年前になるだろうか,なかでも金剛出版の立石正信社長は,当時編集長の時代に,驚いたことにすでに私の論文を集めて編集し,タイトルまでつけて一冊の本にしてゲラを送っていただいていた。あとは「はしがき」を書けば出版できるばかりにしたものであった。しかし,私はいまひとつ気が進まず,出版には至らなかった。そうこうして数年が過ぎ,今度はその後に書いたものを集め,追い討ちをかけるように,これまた同様に編集したゲラを送っていただいた。これもその後,数年にわたって,ほったらかしにしてしまった。当然ながら,立石氏には会わせる顔がなく,学会等ではなるべく顔を合わせないようにしていた。なんとも申し訳ない次第である。
 ひとつひとつの論文は,執筆当時に私なりに乏しい知恵を振り絞ったものであり,個人的にはとても愛着がある。しかしまとまった本として出版するとなると,どうだろう。はなはだまとまりの悪いように思えて仕方がなかったのである。そういう中途半端なものを出版する気にはなかなかなれず,いずれ書き下ろしで書くことにしたいと漠然と考えてきた。せっかく出版させていただくのなら,いいものをという想いは強かったのである。
 しかし,想いの強さとはうらはらに,原稿は書けないままであった。さて,どうしたものかと迷ながらも,日々の臨床と教育,そして大学業務とに追われ,さほど苦悶することもなく,月日は流れていった。とうとう60歳も近くなってしまい,一冊の本をまるまる書き下ろしで書くのは,もはや無理であることを突然自覚するに至った。私はおおざっぱでルーズな人間だと思われているようだが,案外こだわりが強い面もあるのである。もはや,出版は無理なのではないかと思われた。
 そういうさなかで遭遇したのが,児童養護施設の暴力問題である。私たちの社会に,かくも深い闇が残されていたのかと愕然とした。臨床心理学を専門とする者としてはもちろんのこと,なによりもひとりの大人として子どもたちのこの切実な問題を放置しておくわけにはいかないと思った。私は現在この問題に全力をあげて取り組んでいるが,実はこの問題への取り組みが,本書の出版に向けて私の背中を強く押してくれたのである。私がこうした形の臨床を辛うじてではあるがなんとかできているのも,それに先立ち,本書で述べている「ネットワーク活用型アプローチ」等の経験があったからである。もはや,全体のまとまりがどうのなどとは言っていられなくなった。私の臨床を,私の学問を形にして紹介しなければという気持ちになってきたのである。本書が「ネットワーク活用型アプローチ」が中心になっているのはこういう事情からである。
 いまひとつ本書の出版を後押ししてくれたのは,2007年の日本コミュニティ心理学会第10回大会で,思いがけず大会企画講演をさせていただくことになったことである。終わってみると,それが思いのほか好評で,その記録を学会誌に掲載していただくことになった。そして,この講演がはからずもこれまでの私の心理臨床の全体像をまとめるのに役立ったのである。そのため,これを冒頭にもってきて,それまで書いてきたいくつかの論文と合わせて一冊にすれば,なんとか出版に耐えるものになるではないかと思えてきたのである。
 これが本書の出版に至る経緯である。もし本書をお読みただけるのであれば,そういう事情から,全体としてのまとまりの悪さと内容に多少の重複があることをご容赦いただきたい。最初に冒頭の論文を読んでいただきたい。あとは,興味関心にしたがって,どこを読んでいただいてもかまわないのではないかと思う。
 私は当事者のニーズに応えること,そしてできればもっとも切実なニーズに応えることを心がけてきたつもりである。むろん,それがどれだけ実現できているかは心もとない限りではある。また,執筆にあたっては,自分の実感を大事にしつつ,なるべく実践に役立つものをと留意してきたつもりである。読者の皆さんがそれぞれ,何か意味あるものを感じ取っていただければと願っている。
 本書の出版にあたって,まず感謝しなければならないのは,これまで私と臨床経験をともにしてくれたクライエントの皆さんである。ある程度まとまった事例報告については,すべてご本人の許可をいただいたものである。記して,深く感謝申し上げます。
……(後略)

2009年8月 田嶌誠一