あとがき

 本書は,金剛出版発行「精神療法」誌の32巻5号「特集:自殺予防」(2006年)と,同誌の第32巻第6号(2006年)から第33巻第6号(2007年)に連載された「自殺予防」をまとめて,加筆したものである。「精神療法」の特集では,自殺予防に造詣の深いさまざまな分野の専門家に執筆を依頼した。
 自殺予防には多様なアプローチがあるが,「精神療法」という誌名が示す通り,本書で主に取り上げたのは,現場で自殺の危険の高い患者に向き合っている人々が必要としている精神療法的アプローチについてである。また,ライフサイクルと自殺も重要なテーマとして解説されている。もちろん,自殺予防には唯一,絶対の,何にでも効果がたちどころに現れる魔法の杖のような対処法などあるはずがない。本書に書かれている内容が絶対に正しいなどとは執筆者の誰ひとりとして考えていない。むしろ,本書を叩き台として,読者の臨床経験と照らし合わせて,批判的に読んでいただくことを望んでいる。臨床の現場で日々同僚たちと協力して,悪戦苦闘した末に見出した対策こそが最良の治療法である。本書がそのような人々に対して新たな視点を少しばかりでも示すことができたら,これ以上の喜びはない。
自殺を理解するキーワードは「孤立」である。現実に救いの手を差し伸べてくれる人がまったくいないという悲惨な状況もあるだろう。また,実際には援助してくれる多くの人がいるにもかかわらず,精神疾患の影響で,「自分には助けてもらうだけの価値がない」「迷惑をかけてばかりいる」と固く信じていて,自ら孤立を招いている人もいる。現実の孤立であれ,主観的に経験している孤立であれ,自殺の背景にはかならず孤立が広く,そして深く存在している。そこで,自殺の淵に追いつめられた患者と向き合うにあたって,その絶望的なまでの孤立感を理解することが第一歩となる。
 そして,自殺のリスクを早期の段階で評価して,適切な治療を進めていく必要がある。自殺が起こりかねない危機的状況とはたった一度限りで終るということはむしろ稀であり,繰り返し襲ってくる可能性が高い。そこで,患者を長期的に支えていく態勢を築かなければならない。もちろん患者自らが断ち切ってしまった周囲の人々との絆を回復していくという視点も欠かせない。
なお「孤立」を常に意識しておくことは,患者ばかりでなく,治療者自身にも求められる態度である。治療者自身が孤立してしまっては本末転倒である。治療が正しい方向性を保っているか常に見つめていくためには,同僚やスーパーバイザーとの定期的な症例検討は不可欠である。また,万能感に満ちて,自分の能力の限界を理解していない治療者は,たとえ善意からであったとしても,その行為が患者に計り知れない悪影響を及ぼすことさえある。患者の傍らに24時間いるということはできないことを意識して,患者自身の問題解決能力を育むという姿勢も欠かせない。治療者ができること,できないこと,してはいけないこと,むしろ他者に適切に援助を求めることは何かを常に念頭に置きながら,患者と向き合っていかなければならない。
 担当している患者に立ち直ってほしい,自らの力で立ち上がってほしいと思わない治療者などひとりもいない。しかし,善意や努力が常に報われるとは限らない。これまでに長いこと治療関係にあった患者が自らの手で命を絶つといったことも,精神科医療の現場では現実に起こり得る。この領域で活動する者にとって最悪の悲劇といってもよい。しかし,われわれはこの現場から立ち去るわけにはいかない。そこで,本書では不幸にして自殺が起きてしまった際に,治療に関わっていた者の心理やその対応についても触れた。これもまさにリスクマネジメントの一環である。まだ経験の乏しい精神科医,看護師,臨床心理士が患者の自殺を経験した際の心理的な打撃はきわめて深刻である。彼らの指導にあたる人々は,このような状況にどう対処すべきかという点についても検討しておいていただきたい。
2006年には自殺予防基本法が制定され,自殺予防は社会全体で取り組むべき課題と宣言された。そして,世はまさに自殺予防「ブーム」の観さえ呈しているが,声高なキャンペーンだけで深刻な自殺の問題が簡単に解決するなどとは,精神科医療に従事する人々はとても考えられないだろう。そのような人々を念頭に置きながら,本書をまとめた次第である。 ……(後略)

2009年11月 著者を代表して高橋祥友