まえがきより

 SSTという言葉は今日,わが国の精神保健,あるいは精神科リハビリテーション領域で働いている人びとにはよく知られたものになっている。SSTとはSocial Skills Training(社会生活技能訓練)の略である。社会生活技能と言えばその内容は多岐にわたるはずである。しかし,UCLAのR. リバーマン教授は統合失調症者のリハビリテーション活動で,社会生活技能の要をなすものとしてコミュニケーション技能を重視した。他のもろもろの社会生活技能の回復・改善はコミュニケーション技能の回復・改善の過程でとりあげられる技法を編み出した。
 このリバーマン式SSTは理論的には,行動療法にやや比重を置いた認知行動療法とされるが,そうした学問的位置づけは別として,1995年に「SST普及協会」が発足して以来,わが国では全国的に急速な普及発展を見ている。それには,精神障害者の社会復帰,社会参加へのニーズがたかまっているのに応じた新風として期待されたことが大きい。同時に同協会としても,精神科医のみならず,看護師,心理士,作業療法士,精神保健福祉士など職種を超えて対象にし,初級研修会,認定制度の確立など研修体制の整備を行ったこと,全国的規模での経験交流ワークショップ,学術集会を毎年開催していること,「必要な人に全国隈なくSSTを」をスローガンに地域活動に力を注いだこと,それが今日では,全国11ブロックに分けた支部組織に発展していることなどが力になったと思われる。さらに,現在では精神保健領域ばかりでなく,矯正教育更正保護分野,さらには児童生徒の学校教育現場へと広がっている。
 国際的にも,世界保健機関がおこなった「精神治療法に関する専門家会議」の討議をもとに出版された『精神障害の治療』(Sartorius, N. et al.: Treatment of Mental Disorders, Am Psychiatric Press, 1993)にも,“より行動的な”とされて認知療法の中に正式にあげられている。このように,アメリカで開発されたSSTは世界保健機関でも認知されているのである。世界精神医学会がその機関誌で特集した「今日の精神科リハビリテーション」の中でW. レスラー教授(チューリッヒ)は,“人との関係性を築く能力を体得するよう障害者を支援するためには,その方法として最も期待されるのはリバーマン教授の開発したSSTであり,その成果によって地域生活が可能なことが期待される”とさえ述べている(R嘖sler, W.; Psychiatric rehabilitation today: An overview, World Psychiatry 5(3): 151-157, 2006)。その後,A. ベラック教授の来日もあって彼の技法もわが国に紹介された。
 このようにSSTは精神科リハビリテーションをさらに進める技法として世界的規模で期待されているのであるが,わが国のSST普及協会のような組織的普及活動がなされている例は他にない。このように,わが国に普及活動が浸透してきた理由は,関係者の熱意と協力もさることながらSSTの持つ特性が大きいとも考えられる。SSTセッションに参加したメンバーと治療スタッフに奨められる行動が比較的に構造化され明確なのである。例えば,同協会の奨めでは「よりよいコミュニケーションの心得」が,SST治療室にハリ紙することにしてあるとか,また,「対人関係の問題解決の手段」も協会のガイドラインで明示されている。こうした明確さは「技術指向」のわが国民性に適合しているのであろう。
 「精神療法」誌では,その時点での重要なテーマについて論文の連載をするコーナーが設けられている。筆者にSSTについて連載の企画をするように要請された。その要請に応じて,筆者はSST普及協会のリーダーの丹羽真一,安西信雄,後藤雅博,野中猛の諸氏と編集委員会を構成し,わが国のこれまでのSSTの普及の経緯を踏まえ,さらにその発展を期すために最も適わしい内容のものにすることにした。その際,連載のタイトルを「SST:技法と理論」とだけにせず,後に「そして展開」を続けたのは,このSSTが「必要な人に全国隈なくSSTを」という精神を各執筆者が意識して下さることを願ってのことである。また,後述することだが,アメリカでつくられた対人コミュニケーションの治療法ないし訓練に導入する場合に文化的要因が関与することに対しても配慮を必要とすることもあってのことであった。
 連載の企画の段階から連載完結後は一冊の本として出版することも計画されていた。こうして出来上がったのが本書である。構成内容は13章よりなる。わが国にSSTを導入し,リバーマン原法を追試し,わが国の人びとに適用をくりかえし技法を確立したパイオニア,その人たちに新しく加わったわが国のSST実施と研究の最前線にいるリーダーたち,後進の指導の責任者,さらにSSTの新しい適用分野の拡大へチャレンジしている専門家たちによって執筆していただくことができた。実質的にはSST普及協会版「SST教科書」である。
 SSTへの動機づけに応じて,集団SSTにしても,個人SSTにしても参加してくれる当事者はよい。彼らは,直面し,しかも解決できず向き合うことも避けている課題にSST治療者がその解決に手をかしてくれることに勇気づけられる。その結果,当事者が提示する解決すべき課題は,より表面的なことからより複雑なものへと移っていく。その深化の過程に乗っていけば,やがてはセッション内だけのSSTにとどまらず,宿題などでも積極的に立ち向かっていくことが期待される。しかし,中にはSSTへの動機づけに応じない当事者や折角,参加したのに,SST集団から脱落する人もいる。
 現在,SST普及協会では,「精神科訪問サービスの技術研究会」を組織して,訪問サービス担当者が訪問サービスの成果をあげるのに,訪問先での当事者やその家族との有効な関係づくりに必要で適切なコミュニケーション能力の向上をはかる事業を始めている。その中での予備的調査によるとそもそも訪問サービスを受けている当事者は,一般的特徴として,病状の不安定さ,病状の強さ,対人関係がとぼしくコミュニケーションがとりにくく,服薬も通院も拒否的で,訪問担当者に拒否的あるいは支配的,過度に依存的といった特徴が見られている。その家族もしばしば当事者への対応で燃えつきていて,過剰感情表現状態になっているという。実はこうした当事者と家族の特徴は多くは退院する前の入院中にも見られたことであろう。訪問サービスの担当者が,困難な状況でも関係づくりを丁寧にし,当事者とその家族の自尊感情を支えることで局面の打開を計るにはSSTの素養を身につけることは有効で必要なことであろう。入院,外来,デイケアのスタッフにも当然のことであろう。実は,SSTは対象とした当事者やその家族によい影響を及ぼすばかりではない。筆者の見解によればSST治療者にもある種の変化が生じるのである。ことに相手のよいところが目につくようになる。このことはSST治療者のコミュニケーション能力を高めるのに役立つのである。本書が精神保健業務従事者のみならず,学校教育現場さらには矯正業務関係の皆さんの指針になることを願ってやまない。
……後略

2009年10月  西園昌久