日本語版あとがき

 今,あとがきを書き始めながら,この文章に目を通していただいている読者がどのような動機で本書を手にすることになったのか,想像している。病棟で初めて依存症の患者を受け持つことになり,不安に駆られて参考文献を血眼になって探している真面目な研修医の先生や看護師の方だろうか。外来でポツポツと依存症の患者に当たるようになり,薬を出す以外にどう関わっていけばよいのか知りたくなった中堅の精神科医だろうか。それとも依存症の患者が多い地域に異動が決まり,前任者から苦労話ばかり聞かされて,早くも苦手意識が芽生え始めている保健師や精神保健福祉士の方だろうか。訳者としては,できれば患者さんご本人や,その家族の方々,さらには芸能人の薬物乱用のニュースをきっかけに,何となく依存症について興味を持つようになった一般の方々にも,本書を知ってもらいたいと願っている。というのも,これほどインターネットによる情報通信ネットワークが発達して世界各地から最新の知識を簡単に入手できるようになり,国内でも社会問題として依存症がたびたびニュースに取り上げられているにもかかわらず,未だに「メンタルヘルスの問題としての依存症」がほとんど一般の人々に認知されていない現状が,残念でならないからである。  本書は,パウル・M・G・エンメルカンプとエレン・ヴェーデル(Paul M. G. Emmelkamp & Ellen Vedel)の共著,「Evidence- Based Treatment for Alcohol and Drug Abuse」(Routledge, New York, 2006)を訳出したものである。本書の特徴は,なんと言っても最新のエビデンス(研究成果)に徹底的にこだわった記述にある。これまで,日本国内で出版されているアルコール・薬物依存症に関する書籍は,患者や家族が自ら綴った体験談か,ベテランの臨床家が自らの経験をまとめた一般向け啓蒙書がほとんどであった。残念ながらそれらの内容は,アメリカと西ヨーロッパを中心にすさまじい勢いで蓄積されている臨床研究の最新の成果を反映したものとは言い難い。特に,依存症の治療論や,家族に対する援助方法に関する記述に至っては,アメリカで30年以上も昔に流行し,本国ではすでに「何ら科学的根拠がない」と結論づけられている考え方を未だに踏襲しているものも決して少なくない。  わが国でこれまで依存症の治療に関する臨床研究が低調だった理由としては,何よりもまず国全体として,メンタルヘルスの問題としての依存症という認知度がきわめて低いことが挙げられる。たとえばアメリカは,薬物依存に関する医学研究を推進する組織として,国立薬物乱用研究所(NIDA: National Institute on Drug Abuse)という巨大な国立の研究機関を抱えており,そのために年間約10億ドル(2006年),つまり1,000億円近い予算を連邦政府はつぎ込んでいる。一方,わが国では,国立精神保健研究所の一部局である薬物依存研究部がNIDAに対応する組織と言えるであろうが,国立精神保健研究所全体でも年間予算は約7億円程度(2001年)に過ぎず,平成21年度予算で厚生労働省が「薬物乱用重点予防啓発の強化」と「依存症対策の推進」に計上した金額に至ってはわずか9,400万円であった。同じ厚生労働省の予算でも,薬物事犯の取り締まりには5億6,000万円が使われており,金額だけ見ても,わが国では依存症はメンタルヘルスの問題ではなく,治安の問題であるという意識が圧倒的に優勢なことは明らかであろう。 厳密に言えば,これまで日本でメンタルヘルスの従事者たちが相手にしてきた依存症患者とは,離脱せん妄や中毒性精神病といった精神科救急の対象となる一部の患者だけであった。そのような周辺症状を伴わない中核的な依存症患者たちの多くは,薬をもらうだけの外来からやがて脱落してしまうか,医療機関ではない断酒会やアルコホーリクス・アノニマス(AA),ダルクなどの自助グループに丸投げされてきたと言っても過言ではない。  本書では,目次を見てもわかるように,専門的な治療理論とその応用例の記述に多くのスペースを割いており,中核的な依存症患者を治療へといかに動機づけ,治療につなぎとめていくか,という具体的かつ臨床研究の裏付けを持った方法論が数多く提示されている。依存症の治療論に関しては,事実上「鎖国」状態に近かったわが国にとって,本書は世界の依存症治療のスタンダードを知る上での貴重なガイドブックになるであろう。  本書の魅力は,エビデンスにもとづく援助方法・治療技法が数多く紹介されていることだけではない。アルコール・薬物依存の臨床では必発と言ってよい多剤乱用の問題や,うつ病など他の精神障害の併存についても詳しく触れており,しかも症例を提示して具体的な治療過程を描写することで,エビデンスにこだわるとしばしば陥りやすい無味乾燥さを読み手に感じさせない構成になっている。すでにある程度,依存症の臨床に携わった経験のある読者にとっては,「症例提示」以降の後半部分を読むだけでも,日本の依存臨床が今後進むべき方向性について,多くの示唆や刺激を受け取ることができるであろう。 このように個々の治療法について有効性の根拠を問いつつも,本書は実験動物相手のエビデンスではなく,あくまで多剤乱用や他の精神障害を併せ持つ生身の依存症患者を対象としたエビデンスにこだわり続けている。それは,原著者のエンメルカンプが臨床心理学者として強迫性障害やPTSD,回避性パーソナリティ障害に至るまで,多様な精神障害に対する心理療法を実際に行ってきたことが背景にあるからかもしれない。  2009年現在,エンメルカンプが臨床心理学の教授として在籍しているアムステルダム大学の英文ウェブページ(http://home.medewerker.uva.nl/p.m.g.emmelkamp/index.html)には,彼の自伝とも言うべき短文もリンクされている。それによれば,エンメルカンプは1949年にオランダの小さな村でカトリックの家に生まれた。ユトレヒト大学で広場恐怖に対する行動療法を研究して博士号を取得後,心理療法のトレーニングを受けているが,エビデンスと無縁な心理療法がまかり通っている当時の状況に対して「強い憤りを感じる血気盛んな若者であった」という。1974年にグローニンゲン大学臨床心理学部に移った彼は,研究範囲を社会不安障害だけでなく,カップル行動療法や臨床児童心理学にまで広げていった。1986年には同学部の教授に就任している。  彼が依存症の研究を始めたのは,1996年にアムステルダム大学の臨床心理学部長に就任してからである。依存症専門病棟を持つイェリネック・クリニックの協力を得て,彼はエビデンスに基づく依存症の治療研究を本格的に進めることができたと述べている。その後は,ヨーロッパ認知行動療法協会の会長を務めるなど,依存症にとどまらず,精神障害全般に対する心理療法の専門家として,今なお活発な研究活動を続けている。なお,共著者であるE.ヴェーデルは彼の妻であり,ヴェーデル自身も認知行動療法家としてイェリネック依存症治療センターに勤務している。  次に,訳者が本書を翻訳するまでの経緯について説明させていただきたい。そもそも訳者が依存症の業界に足を踏み入れるきっかけを作った張本人が,今回共訳者となっていただいた松本俊彦先生であった。訳者が研修医1年目の時に出会った最初の指導医であり,病棟で次々とリストカッターや過食嘔吐の患者を治療していく先生の姿に,自分がそれまで抱いていた精神科のイメージは根底から覆されてしまった。初めて見たものを親だと思い込んでついていくヒナ鳥のように,その後,松本先生の足跡をトボトボとついていくようになり,精神科医として年月を重ねていくうちに,気がつくと自分自身が立派な「依存症」依存になっていた。依存症患者の診療ができなくなると,何となく物足りない焦燥感が,つまり「離脱症状」が生じるようになっていたのである。  恐らく研修医の頃,松本先生から受けたトレーニングの賜物だったのだろう。割と早い段階から,依存症の患者さんたちの多くが,自分と周囲を傷つけなければ自分の生き辛さを乗り越えることができないほどの不器用さを持っていることに気づいて,診療に当たっている自分自身がとても楽になり,結果的に依存症が嫌いにならずに済んだのである。  生き方の不器用さなど,薬を処方しても,本人を隔離拘束しても治るものではない。むしろ「力ずくで治してやろう」とする態度自体を手放して,患者さんと一緒に不器用さが醸し出す「おかしさ」を楽しむようになった。患者自身が,自分の不器用さを何とか自己治療しようとして,それまでさまざまな嗜癖行動を繰り返してきたのだから,まず主治医の方が「患者の不器用さをコントロールしようとする態度」を手放す姿を見せる必要があったのだ。すると患者さんとの治療関係が生まれやすくなることにも気がついた。  もちろん依存症の臨床に「はまった」からといって,いつも楽しいことばかりだったわけではない。過酷な生育歴をアルコール・薬物を使うことで,かろうじて生き延びてきた重症な依存症患者たちに限って,いつも死は隣り合わせだった。「ちょっと彼氏のところに引っ越すから」とシンナーで溶けた前歯を見せながら静かに笑顔を見せていたので,本人の希望どおり紹介状を手渡した翌週,シンナーの入ったビニール袋を頭からかぶった状態で死亡してしまった患者がいた。病棟でルール違反を起こして強制退院となった患者が,その後しばらくしてひっそりとビジネスホテルの一室で縊死していたこともあった。  一般の精神科病院とは比べものにならないくらい患者の事故死や自殺の頻度が高い依存症専門病院に勤務していると,そのうち感覚が麻痺してきて,「まだ底尽き(依存症患者としての自覚)が足りなかったんだから仕方ないよね」と自分で自分に言い聞かせるようになっていく。一方で,本人が自ら依存症であることを認め,断酒・断薬を目標とすることに応じなければ,基本的に病院側も治療を提供しない従来の「底尽き」治療モデルに,「本当にこれしか方法はないのだろうか」と,かすかに違和感を覚えないわけではなかった。  そんな折,松本先生や国立精神保健研究所薬物依存研究部の和田清部長に随行して,ロサンゼルスのマトリックス研究所やミネソタのヘイゼルデンなど,アメリカの依存症治療施設で研修を受ける機会を得た。そこで,依存症患者の否認は打破しなくてもよいこと,底尽きを待っていては患者が命を落としてしまう危険性があり,その前に援助者の方が患者を積極的に動機づけていく必要があることを学び,当たり前のことに気がついた。依存症の治療で最優先すべきは断酒・断薬ではなく,患者が依存症を生き延びることではないかと。「がん細胞は完全に摘出したが患者は死んでしまった」という外科手術に意味がないのと同様,援助者が患者を完全な断酒・断薬へと性急に追い込んでいった結果,死なせてしまったのでは意味がない。  たとえ患者が依存症者であることをすぐに認められなくても,なかなかアルコール・薬物が止まらなくてもいい。外来に通い続けてもらい,何とか死なずに日々の生きづらさを乗り越えるための対処行動を学んでもらう治療プログラムが,日本でも必要なことは明らかだった。そのような外来プログラムの開発に従事し始めて1年以上たった頃,松本先生に本書の訳出を勧められたのである。 本書の中で随所にちりばめられている症例との具体的な面接の仕方や,治療計画を立てる際に原著者が下している臨床判断などは,外国の解説書にありがちな文化的違和感を与えることなく,むしろ共感を覚えることが多かった。完全な断酒・断薬を依存症者に一律に要求することの功罪や,自助グループの役割についても,エビデンスに基づいた冷静な記述がなされており,これまでの日本の文献では余り目にすることのなかった論点が数多くみられることも,本書の訳出を決断した理由の一つであった。  臨床現場で日々,依存症の患者さんたちの支援に奮闘されている各種援助職の方々や,依存症に関する海外のエビデンスが膨大すぎて,全体像の把握に困難を感じている研究者の方々だけでなく,当事者の皆様やご家族にとっても,本書が多少とも依存症を理解する上で役に立つことができれば幸いである。  なお,実際の翻訳作業に当たっては私一人では余りに負担が大きすぎるため,ご多忙であることを知りつつも無理を言って松本先生に共訳者となっていただき,第5章と第6章の訳出をお願いした。残る第1章から第4章までは小林が担当し,最終的な用語の統一などの校正作業も,適宜,松本先生にご助言をいただきつつ,小林の責任で行った。  今回の訳出にあたって,原著者のエンメルカンプ教授には日本語版への前書きをお願いしたところ,遠い日本からの突然の要望にもかかわらず快く寄稿していただいた。  ……後略 平成21年10月 訳者を代表して 小林 桜児

P.M.G.エンメルカンプ & E.ヴェーデル