はじめに

一般読者の皆様へ
 この本をお手にとってくださいましてありがとうございます。読者の皆様にお願いがございます。
どうかこの本を「精神鑑定告発の書」などとはとらえないでいただきたいのです。私に告発する資格などありません。それどころか,告発されるべきは,誰よりもまず私自身かもしれないからです。
この本は「精神鑑定の乱用」と題しております。このような題を掲げる以上,私は,本書において建設的な代替案を提示しなければなりません。
 しかし,実際には,私も途方にくれております。私も,本当のところ精神鑑定の正しい適用を知っているわけではございません。本書のなかで刑法39条について私なりの意見を示しておりますが,それが唯一の正解だなどとうぬぼれてはおりません。それどころか私の意見もおそらくは数ある誤用・乱用の一つにすぎないのでしょう。
同業者の行う精神鑑定の結果が報道されるたびに,冷や汗が出ます。鑑定人は,大半が私もよく知っている著名精神科医です。しかし,精神科医として,あるいは精神医学者として一流であるということと,精神鑑定人として公正な仕事ができるということとは別です。そういう私にいたっては,精神科医として二流,精神医学者として三流にすぎませんから,さぞや,他の同僚たちを唖然とさせるような鑑定をしているのでしょう。
 神戸大学の名誉教授に中井久夫先生とおっしゃる方がいます。この先生は,今日のすべての精神科医の教師というべき偉大な人格ですが,精神鑑定について次のように述べていらっしゃいます。
 「精神科医はどうして患者の弁護に傾くのでしょう,と聞かれたことがある。他に弁護する人が沢山いれば別だが,というのが私の答であった」(『中井久夫著作集第三巻』,岩崎学術出版社)
この中井教授の言葉は,私自身も含めてすべての精神科医の偽らざる本音でしょう。精神鑑定人は,普段は精神科医です。患者を治療することが期待されております。一人の医師の良心に基づいて行動するかぎり,どうしても「患者の側に立つ」スタンスをとってしまいます。私ども精神科医は,日ごろ,「すべてを患者のために」という厳命の下におかれています。患者たちのすがるようなまなざしと,同僚の容赦ない批判の目にさらされて生きています。私どもの職業的格率は,触法患者たちに石を投げることを,けっして許しません。それは,精神鑑定においても同じことです。
しかし,中井先生は同時にこうもおっしゃっています。
 「患者にひいきの引き倒しをするつもりはない。それは患者を破滅させる」(前掲書)
と。
 患者を擁護することは悪くありません。しかし,問題は擁護のしかたでしょう。
 場所は,刑事法廷です。法廷は無法地帯ではありません。刑事法というルールがあります。
 多くの一般市民の皆様は,「事件が精神鑑定にかかると,刑事裁判は撹乱される」とのイメージを抱いていらっしゃいます。精神鑑定人は,この厳粛な場であるべき刑事法廷において,精神医学の専門用語をもって乱入し,理不尽な発言で被害者の感情を踏みにじる狼藉者とみなされてしまったのです。これでは,皆様,一般の市民が怒るのも無理はありません。訴訟関係者も当惑を禁じえないでしょう。こころを病む被告人にとっても,まさに「ひいきの引き倒し」です。
 精神科医による精神鑑定乱用の原因は,主として二つあると思われます。第一に責任能力減免(刑法39条)と情状酌量(刑法66条)との区別がついていないこと,第二に,責任能力判断に「疑わしきは被告人の利益に」原則を混入させてしまっていることです。この問題は,本書で取り上げております。
 いずれにせよ,責任能力とは,厳密にいえば精神医学の問題ではございません。「精神科医にまかせてもろくなことはない」,そう皆様はお思いでしょう。それは,私どもも同感です。私どもにまかせてもろくなことにはならないでしょう。むしろ,私ども自身が「まかされても困る」と内心思っているのが実情なのです。
とはいえ,それは,法律学の問題でもありません。それは,けっして刑法39条という一実定法の解釈の問題ではない。法律家にまかせればいいという問題ではありません。そもそも「法律家」とは一枚岩の集団ではない。司法官,弁護士,法学者のそれぞれがまったくかみ合わない主張を続けておられます。私ども精神科医としても,法律家の意見のいったいどれに耳を傾けるべきか,はなはだ当惑しております。
 結局のところ,心神喪失,心神耗弱の問題は,私ども精神鑑定関係者と一般市民の皆様とが一緒になって考えていかなければならない問題であるように思われます。

精神障害者の皆様へ
 刑法39条は,精神障害者の刑事責任を免除するための法律です。しかし,その根底には障害者に対する差別意識がございます。「まともな人間じゃない。だから通常の刑事手続きの枠外に置こう」,そういった趣旨です。このような条文がいまだに残されていることについて,精神障害者の皆様が怒りをお抱きになるのは,まったく無理もないことでございます。
すでに刑法40条(聴覚・言語障害者に対する免責規定)は,差別的との理由で削除されております。それなのに,精神障害者に対する免責規定は,いまだに残っております。この規定が精神障害者を「二級市民」扱いする侮蔑的な条文であることは,否定のしようがございません。
 私どもは,精神障害者の皆様のほとんどが一市民としての権利を主張することもできるし,同時に社会的な責任を負うこともできるということを存じあげております。皆様の大部分は刑事責任も負うこともできます。したがって,皆様が刑法39条に屈辱をお感じになるとしても,それは無理もないことであると考えております。
 しかし,例外もおられます。精神障害者の中でもひときわ重症の患者さん,同じく,知的障害者の中でもきわだって重度の患者さんです。この方たちは,何が正しくて,何が間違っているかもわからない薄明の中で日々を送っていらっしゃいます。この方たちは,ごくまれに,諸般の偶発的な事情で,法に触れる事件を発生させてしまうことがございます。そのような場合には,この気の毒な人たちを刑事法廷で断罪するのは,人として忍びない。このようなごく一部の重度精神障害,重度知的障害の方のためには,刑法39条はあったほうがいいと,私どもは考えております。
 私どもは,刑法39条を最小限に適用していただくよう,今後とも訴訟関係者にお願いさせていただく所存です。障害者の皆様におかれましては,どうかこの条文を存続させることにご理解をいただきたく,こころよりお願い申し上げます。

刑事司法関係の皆様へ
 これまで私は,経験不足のわりに,重大な事件の鑑定をお引き受けさせていただいて参りました。皆様のおかげで厳しい修羅場をふませていただき,多くの貴重な経験をさせていただきました。私のような駆け出しの鑑定人にご用命をくださいました刑事司法機関の皆様に,厚く御礼申し上げます。
 しかし,このことは私の鑑定人としての力量が評価されていたからではないと考えております。私は鑑定人としては無名の新人であり,私のつたない鑑定書は,裁判資料としても,学術資料としても,まだまだ価値のあるものではございません。
私なりに推測してみますに,理由は一つ。それは,「あいつは口が堅い」という評判です。皆様からこのような信用をいただいたからこそ,早くから厳しい事件ばかりをご用命いただくこととなったのだと思われます。
 被疑者・被告人は,公正な裁判を受ける権利があります。有罪が確定した後も,刑に服しつつ,社会復帰を夢見る権利があります。被疑者・被告人の親族・縁者は,静かな市民生活を送る権利があります。この人たちのために,私は今後も個別の事件についての具体的な発言は行わないつもりでおります。
 ただ,その一方で刑事司法関係の皆様にご理解を賜りたいことが二点ほどございます。
第一に,国民には「知る権利」があり,私どもには説明責任があるということです。精神鑑定という制度は,現今,国民の不興をかこっております。その原因は,「密室のなかで誰も知らないうちに処理されている」というイメージです。精神鑑定という営みも,社会の中のサブシステムです。守秘義務を課せられている立場だからといって,社会の構成員としての公共的な責務から逃れることはできません。本来,説明していいし,そうすべきである情報までをいたずらに伏せ続けることは,メディアをいらだたせ,国民を怒らせるだけでございます。
 したがいまして,今後,私に説明責任を問われる場面が発生いたしました折には,前述のように,「個別の事件についての具体的な発言は行わない」という条件で,課せられた務めを果たさせていただくことになろうと思われます。
第二に,実務法学が判例評論によって成り立っているように,実学としての司法精神医学も鑑定例評論なくしては成り立ちません。このような純然たる学術的な目的で,事例を学問上の議論に載せることはありえます。その際は,対象をすでに裁判の終了した事例に限定し,十分な匿名化を行うことをお約束させていただきます。私どもといたしましては,判例評論各誌における個人情報保護の内規を参考にしつつ,社会的に許容範囲のなかで事例研究を行わせていただきたく存じます。謹んでご理解のほどをお願い申し上げます。
 今後も,刑事司法の皆様の信頼を裏切らぬよう慎重な言動を続けてまいりますので,以上二点に関しましては,諸事情ご賢察の上,ご寛恕の程をお願い申し上げます。

刑事弁護士の皆様へ
 私は,これまで法廷で弁護人と対立しがちでしたし,本書でも刑事弁護における刑法39条のありかたに対し批判的な意見を述べています。
 しかし,このことはただちに触法精神障害者に厳罰をくわえよと主張しているわけではありません。私が疑問に感じているのは,触法精神障害者を弁護すること自体ではなく,むしろ,弁護の方法でございます。刑法39条は,それが不適切に用いられる場合,本来,二級市民ではない人に二級市民のレッテルを貼ってしまう危険がございます。弁護人の皆様のお仕事は,被告人の利益を擁護することにあるとうかがっております。不当な乱心者扱いが,本当に「被告人の利益」でしょうか。私にはとてもそうは思えません。
 ただし,こころを病む人による触法行為には,情状において酌むべき事情があることは少なくありません。刑事司法機関は強大な権力権限に支えられているのに,被疑者・被告人はまことに脆弱な地位にあります。そのようなときに,刑事弁護人は不利益処分に対して,異議と弁明を唱える唯一の存在です。私ども精神鑑定人が,弁護人の皆様と協力して,被告人にとって有利な情状を明らかにしていくことは,裁判の公平性という観点からも必要なことであると考えております。私になんらかの協力が可能でしたら,どうぞ御用命ください。

報道関係の皆様へ
 本書に関心をおよせくださいましてありがとうございます。
 精神鑑定をめぐる昨今の混乱につきましては,平素より報道にたずさわっていらっしゃる皆様がしばしばご指摘の通りでございます。私自身も胸を痛め,また,当事者の一人として深い反省の念を抱いております。
 本書は,この問題に関する私の答案のつもりでおります。とはいえ,しょせん「中間報告」にすぎません。
 私はまだ精神科医になって20年ちょっとしか経ていません。司法精神医学の世界に参入したのは,さらに日が浅く,しょせんは無名のルーキーです。ここ数年,私自身の考えも劇的にかわってきました。今後もかわっていくと思います。本書は,試行錯誤の暫定的な報告にすぎません。
 私は,今後,皆様から精神鑑定についてのご質問をお受けする機会もふえるであろうと覚悟しております。どうぞお気軽にお問い合わせください。私どもに一定の説明責任があるということは,重々承知しております。精神鑑定一般について,ご不明な点があれば,私に可能な説明はさせていただきますので,ご用命ください。
 ただし,以下の二点については,ご要望にそいかねます。ご理解を賜りたく存じます。
 @現在起きている事件についての発言を求めること
 A私が過去にかかわった事件の,被疑者・被告人・被害者・被害者家族にかかわる発言を求めること
 私が現在関わっている事件に関しては,公判を傍聴に来てくださることをお勧めいたします。鑑定人としての私の意見は,法廷においてすべて明らかにさせていただきます。
 それ以外には,裁判がまだ途中の事件については,私が直接関わった事件についても,間接的に見聞した事件についても,コメントは差し控えさせていただきます。私のように多少の専門知識をもっている人間が不用意な発言を行うことは,裁判の進捗の妨げとなります。訴訟関係者,被疑者・被告人,被害者の皆様にご迷惑をかけてしまう結果となってしまいます。
私が過去に関わった事件については,どうぞ,訴訟記録を閲覧ください。私の意見は,裁判記録の一部となった鑑定書,および,公判において証言した内容がすべてです。
 私は,これまで刑事精神鑑定を通して多くの被疑者,被告人と会ってきました。彼らは,死刑にならなければ,いずれ社会に復帰します。そのようなときに,人生のセカンド・チャンスに挑もうとする人たちの,足を引っ張ることはしたくありません。
 また,これまで刑事事件の被疑者・被告人の家族とも会ってきました。家族,関係者は,身内に不幸な事件がおきてしまったといっても,多くは善良な市民です。静かな生活を送る権利があります。それに,例えば,家族内殺人などでは,加害者も被害者も家族であり,凄惨な殺人事件の起きたその自宅で,依然として住み続けている場合もあります。複雑な心境でいるご家族の心中を察してしまいます。とてもこの人たちの神経を逆なですることはしたくないのでございます。
報道関係者の皆様におかれましては,諸事情ご賢察のほどをお願い申し上げます。

司法精神医学関係者の皆様へ
 この書は,司法精神医学についての私の独自の見解を述べたものではありません。いや,すくなくとも,「そのようなものであってほしくない」,「あってはならない」,そう私は思っております。もちろん文責はすべて私にあります。しかし,「ここには私のオリジナリティはない。なく,あってほしい。ただ,サイレント・マジョリティの意見を反映させただけである,そうあってほしい」,それが私の願いです。
 司法精神医学の領域では,「オリジナリティ」とはすなわち「独善的」という意味にすぎません。司法精神医学は,精神医学のサブスペシャリティのなかでも,格段の公共性を担っています。そこにあるべきは,思想・信条の自由ではなく,むしろ,法に服し,公に仕える義務のはずです。法の支配とは,私ども専門知識を有する者が,それを恣意的に乱用することがないよう,法によってコントロールするところにあるはずです。すなわち,私どもは,裁量的な権限を有しておらず,ただ,公共の福祉に奉仕する責務だけがあるのです。精神鑑定医が,刑法39条についての何らかの見解をもつとしても,それはつねに公的な責務をまっとうするという唯一の目的に従ったものでなければなりません。
 もちろん,実際には,本書で述べられる意見は,私見にすぎません。私の所属組織の公式見解ではなく,ましていわんや,私の属する学会・学界のコンセンサスでもありません。本書に批判されるべき問題点があるとすれば,それはすべて著者たる私の不徳のいたすところでございます。
 私は,司法精神医学に関わる身として,個を殺し,公に徹することをしなければなりません。しかし,本書においては,それは徹底されているとはいえないでしょう。若書きの部分も多く,読み返してみて,不遜なまでに「独善的」な箇所もあります。それはひとえに私の未熟さゆえのことです。
 ただ,この小著は,私の恩師,同僚,学兄の先生方に多くを負っております。それは,文献欄に示させていただいた先生方だけではありません。私より深い見識をおもちだが,私ほどに声が大きくはなく,したがって論文や学術書にご高見を示されていない先生方のお考えをも,かなりの程度拝借しております。もし,本書にいかほどか読むに価するところがあるとすれば,それは,多くのご指導をいただいた司法精神医学の先達・同僚の皆様のおかげです。謹んで御礼申し上げます。
 精神医学の認識,刑法の解釈についても,私には多くの誤解があると思います。そもそも,依然として理解できていない部分もあります。大愚たる私は,実に初歩的な誤解を犯し,厚顔にもその誤解に基づいて愚問を発し,大賢たる皆様にご叱責をたまわることによってしか,理解を深める方法を有しておりません。今後も,これまで同様寛大なお心をもってご鞭撻のほどをお願い申し上げます。
 本書は,『精神鑑定の乱用』と題しておりますが,刑事鑑定のみならず,広く法律と医療とのかかわりに関する自著論文を集めて編集したものです。後半は,精神鑑定とは直接関係ない章もあることをお断りしておきます。