あとがき

 私が本当の意味でSBAに出会ったのは1996年の冬の日だった。それまでもSBAの面接を見学してその素晴らしさは知っていたが、心理療法なんていうものは医者が診療のかたわらでできるものではないだろうと遠ざけていた感があった。その日はちょっとした巡り合わせで自分が「お医者さん」ではなく「セラピスト」となって、SBAの方法だけを使って患者の心理面接をしたのであった。内容はひどいものだったろうが、面接後に妙に高揚したことを覚えている。そのとき自分の中のどこかにあった鍵穴に、SBAがカチャッ!と音を立ててはまり込んだ感触を感じた。とたん、それが私のなにかを起動して今まで動いたことのない歯車がガシャガシャと回りだし、ほかの歯車も機械仕掛けの大時計のように回り始めた。その日から自分の診療はもちろん人間関係も、人生すべてが違った方向に動き始めていった。私とSBAの出会いはそんな体験だった。それからというもの私は普段の診療のいたるところでSBAの質問を使った。質問が場違いで患者からキョトンとされたことがしばしばだった。トレーニングを受け続け、インスー先生が来日した時はその技と愛のアートに魂を奪われた。私生活でのいくどかの危機もSBAが救ってくれた。そうやって14年が経ったが熱はさめないままだ。
 これほどの年月同じ事をやっていると、それだけで国内外のセラピストやともに学んでいる仲間、メーリングリストなどからたくさんの知恵を授かってきた。それらは貴重な知的財産であるから、「なんとか形に残さなければ」と事あるごとに気にかかっていた。
 また本に書いてある内容やワークショップで教えられる事は基本的に30〜60分を単位としたカウンセリングのためのものである。10分や15分で診察をしなくてはいけない日本の精神科医のために書かれたような手引きはほとんど出会ったことがない。ということ自分で考えるしかないわけだ。(インスー・キム・バーグはBFTCのホームページやワークショップの中で、15分セラピーについて触れたことがある。それが唯一だったと記憶している)
 精神科医をやっていると、改善する兆しがないまま長年通院してくる患者の診療にもあたることがある。このようなケースをどうやって診察し向き合えばいいのか、誰も教えてくれないものである。もしかしたらそんなケースもマスターセラピストの手にかかれば、すんなりときれいに終結を迎えているかもしれない。しかし凡庸な私たちはそうはいかない。サッカーの試合に例えるなら、圧倒的な力差があるチームとの試合をなんとかドローに持ち込み、負け試合(つまり患者がひどく落ち込んだり、悪くなって終わる診察)にならないように日々食い下がっているのが現実ではないか。あきらめずにドローを重ね、いつか「この仕事をやっていてよかった!」と思える特別な日のために。そういう泥臭い診察場面について書かれた本があったらいいなと思っていた。
 ここまであげたような、書き留められていないSBAの知恵、短時間診察の仕方、下手でもあきらめない治療、そういうものを含んだSBAの本を作りたいというのが私の願いだった。
 2005年にスティーブ・ディ・シェーザー先生が、2007年にインスー・キム・バーグ先生が相次いで他界した。深い悲しみと喪失感。それとともに「いつまでも私たちに頼ってないで、自分たちでなんとかしなさい!」と二人から尻を蹴飛ばされた気がした。それがきっかけで私は筆を執り、本を書くことで彼らとSBAへの恩返しをすることにした。
 セラピーとは例えるなら演劇のように「今、ここで」行われる営みである。それをできるだけ生に近い形で読む人に伝えるために、この本では逐語を多くした。しかし文章化された会話の中には医師や患者の表情、身振り、声の抑揚や口調、診察室の空気や時間の流れなどが完全に抜け落ちている。そして明るい口調ならばソリューション・トークになるやり取りも、文章になると読み手から「プロブレム・トークじゃないか」と誤解されそうな場面もあったため配慮を要した。治療場面をリアルに描写しようとすると、「・・・・」という無言の部分も増えるしセリフも冗長で読みにくくなる。そこで会話の記述を実際よりも簡潔にせざるを得なかった。そうやって実際の面接場面とは若干の違いはあっても、SBAの対話のエッセンスや魅力を伝えることができるように努めたつもりだ。
 またSBAは対話による相互作用が変化に効果を及ぼすものであり、患者の言動を勝手に解釈しないものである。だから本書のように「SBAでは***すると患者の自己効力感が高まる」とか「患者はまだゴールについて考える準備ができていない」という私の解説は、本来のSBAのスタンスに相容れないものである。なぜなら「自己効力感が高まる」とか「準備ができていない」という言説は治療者側の勝手な思い込みであるし、患者はそんなことを一言も言っていない。それでも本書ではあえてそうした解説をしたのは、平凡な私たちには学ぶ上でそうした補助線が必要だろうと考えたからだ。
 賢い読者の方々には言うまでもないが、先に述べたような本書の会話部分と生のセラピーの間に抜け落ちているもの、解説の限界などについて知っておいていただきたい。
 お釈迦様が2400年前に説いた教えは、年月を経ても普遍的な真実としてなにかを足したり、削ったりする必要がない。同じようにインスー先生とスティーブ先生が作り上げた解決構築アプローチもこれ以上シンプルになりようがないし、何かを付け加えたりする必要は今後もないだろう。それだけ完成されたものだ。この本を書いていて繰り返しそのことを感じた。
 私はたぶんSBAに出会わなかったら、日々お会いする患者さんたちがこれほど強さと賢さを持っているなんて知らなかったし、今よりもっと無知で傲慢な医者であったはずだ。もちろん仕事はその分ストレスフルだったろうし、私の生き方も窮屈でつまらない、喜びの少ないものだっただろう。そんなことを想像しただけでゾッとする。
 私の人生が変わったように、この本にであった方とその周りの大切な人たちにも奇跡のさざ波が届くことを願っている。
 本書の中には私があちこちで見聞きした介入法、説明、考え方などがちりばめられているが、そのソースが既に不明なものも多い。そのような出典の情報、本書の内容への感想や意見などについて電子メールで以下までお寄せいただければ今後のためにも幸甚である。
 fuziokak@gmail.com

藤岡耕太郎